俺はどこも悪くない
有髷℃
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俺は、「幸せな」人生を送れたのだろうか。
悔いは無い、と胸を張って言えるのだろうか。
満たされたはずの器はまだ、足りないと駄々をこねている。
ここまで来ても尚、欲望は満たされぬまま、俺は「不幸せ」だったと喚き散らすのだろうか。
*
俺は、長い階段を昇っていた。光の届かぬ部屋の中央に、突如として現れた階段に。
それは、鈍い光を放っていた。そして、俺の足元まで来ると、早く昇れと言っているかのように、ゆっくりと動き始めたのだった。手すりなど何も付いていなかったが、一足踏み出してみると、底知れぬ安定感があった。
昇り続ける階段からは、暗い部屋が見下ろせた。大きなベッドの上に横たわる男女の体、ベッドの前で泣き続ける女、部屋のドアから垣間見える顔面蒼白の男。そこにいる奴らは皆、俺の大切な人たちだった。俺を支え、愛し、勇気づけてくれた数少ない人たちだった。
階段を昇るにつれて、闇に沈む部屋はぐんぐん遠ざかり、ついには町全体が見渡せるくらいになっていた。
この階段は、どこへ行くのだろう。
俺を、どこへ連れていくのだろう。
ふと、強い眠気に襲われた。風に煽られたように浮き上がった体は、階段を踏み外し、落ちていった。この時の感覚は、眠りに落ちるときと似ていた。体の力が抜けて、一瞬で何か得体の知れないものに攫われていくかのような、あの感覚に。
そこから今までの記憶は、この頭に一つも残っていなかった。
ただ、覚えていることと言えば、あの時の空の色が、どこか懐かしい風景に似ていたということ。
どのくらいの間気を失っていたのか、再び目を開けると、周りの景色は、先ほどとは全く違っていた。遥か遠くに空があることは変わらないが、俺の近くには、数人の男女が座っていた。
髪が薄く、何やらぶつぶつ呟いている人、顔を隠し、ぶるぶる震えている人、茫洋とした眼差しで、空を見上げている人……。
「あの、ここはどこなんですか」
俺は、一番近くに座っていた、髪の薄い男に声をかけた。
「あ?どこって……、そりゃあ、ねぇ?」
「勿体ぶっていないで教えてください」
頭の薄い男と他の人たちが顔を見合わせ、何やら目配せしている状態に、俺は無性に腹が立った。
「……あなたは、覚えていないの?」
今まで震えていた女が、顔を隠す手の隙間から、涙目で俺を見上げた。
「覚えているって、何を、ですか?」
「自分が死んだときの情景を、に決まっているだろ」
少し怒ったような口調で、先ほどまで空をぼうっと見上げていた男の子が話し始めた。
「ここにいる人たちは皆、確かに死んだ。でも、死んだ瞬間に、空から階段が下りてきて、それに昇った。そうして辿り着いた場所が、ここっていうわけ。今、ここの空間にいる人は皆、今週死んだ人たちだって聞いたけど」
男の子の説明で分かったこと。
その一、ここは死んだ人たちが集まっている場所。
その二、ここにいる人は皆、今週死んだということ。
その三、俺は、どうやら死んだらしい。
「そう、なのか」
言葉を失った。それまでふわふわしていた全感覚が、一斉に体の中へ戻ってきたような気がした。その衝撃に、頭の中が真っ白になって、自分が誰なのか、なぜここまで来たのかを、危うく忘れそうになった。
「でも、あんたは二度も死にそうになったんだって?こちらへ渡る階段の途中で下界に落ちそうになって、魂が自然消滅する寸前に、ここのスタッフに助けられたんでしょ?」
俺は、二度も死にそうになったらしい。全く覚えていないのだが。
その後も、俺の登場した時の様子だとか、自分たちの階段の形はどうだったとか、そんな他愛のない話が続いた。
皆、故意に避けていたのか、自分がなぜ死んだのかまでは、語ろうとはしなかった。今週死んだ人たちばかりだ、とは聞いていたが、死んだときの記憶が無残だったのだろうか。それとも、何か人に話したくないことがあったのだろうか。
一度芽生えてしまった好奇心は、留まることを知らなかった。生前抑えていたものが、一斉に飛び出した。
「あの、皆さんはなぜ死んだのですか?」
自分の行動が、無意識に人を傷つける。学習したはずなのに、その癖は治っていないようだ。和んでいた空気が一変し、まさに墓場(皆死んでいるのだから、強ち(あながち)間違ってはいない)のような空気になってしまった。
「あ、すみません。何でもないです」
「私も、知りたいって思ってたの」
ぶるぶる震えていた女が、明るい口調で俺に賛同した。未だに、顔を隠している。
「僕も、です」
「おれも」
次々に賛成の声が上がり、また明朗な空気に戻った。
「じゃあ、誰から話しますか?」
「……僕から、いいですか?」
ぶつぶつ呟いていた男が名乗りを挙げた。
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