第2話 新入部員の野望

「今年度も無事に始まりましたねえ」

 葉桜となりつつある桜を眺めながら、教頭が校長に話しかけた。

 鈴の音学園中等部も始業式が無事に終わり、部活動がスタートを始めている。明日からは新入生の勧誘も始まり、学園もますます賑やかになることだろう。校長と教頭は、満足そうに部活動の様子を順番に見て回っているところであった。

 運動部の様子を見た後、校舎内の文化部の活動もひとつずつ丁寧に見るのが、校長の毎年の恒例となっているのだ。今年は教頭も一緒に回っている。

「トラブルもなくて。これもひとえに、教頭先生の御指導の元、各先生方のひとかたならぬご尽力のおかげと感謝していますよ」

 校長に言われ、満足そうに教頭が微笑んだ。


 鈴の音学園は、大学、高等部、中等部がある。元々は鈴の音女学園という女子高校が開校されている。リンという涼やかな鈴の音から、高校は「りんじょ」と呼ばれていたが、その後、併設して大学、そして中学ができた。すべて女子だけの学校であるが、高校が「りんじょ」と呼ばれて地域に定着していたため、大学は「りんだい」、中学は「りんちゅう」が呼び名となっている。


 校長が廊下の一室の前で、急に足を止めた。腰巾着のようにすぐ後ろを歩いていた教頭がぶつかりそうになったが、かろうじて避けた。

「教頭先生、この部室は茶道部でしたが、顧問の湯谷先生が定年でお辞めになられてからどうなりました? 確か生徒も北条華さんが卒業されましたよね」

「さすが校長先生、よくご存知で。部員も北条様のお嬢さんがおひとりでしたので、彼女が卒業したら存続できないと聞いておりましたが」

「ああ、それならこの部室は空き部屋ということですか」

「そうなると思います」

「毎年の理事会で、茶道部の子にお茶を立ててもらっていたんですが、今年はなしとなりますねえ。初代茶道部長であられる理事長も楽しみにされていたので、それは残念ですね」

「時の流れ、でしょうか」

 校長と教頭がそう話しているとき、誰もいないはずの部室の中から話し声が漏れてきて、ふたりはいぶかしげに顔を見合わせた後、教頭が部室の扉に手をかけて引き戸をガラリと開けた。

 目に飛び込んできたのは、数人の女生徒。車座になってペットボトルのお茶を飲みながら袋物のお菓子を食べている者。仰向けになり、漫画を読んでいる者。

 突然入ってきた校長先生と教頭先生に驚いて、部室にいた生徒たちはあわてて正座し直したが、しっかり見られた後であった。


 話は卒業式まで遡る。

 北条先輩の卒業を見送った雅は、受け継いだ茶道部の部室の前に立った。鍵を開け部室に入ると、まだ新しい畳の匂いがする。廃部となるはずの部屋に、真新しい畳が敷いてあったのだ。長年顧問を務めた湯谷先生が、部の存続を願い、残り少ない希望を込めて、畳を入れ替えてから退職したらしい。

 雅はその新しい畳に、ごろりと横になってみる。天井まで綺麗に掃除してあるのがわかる。


「私、ここで何をすればいいんだろ」

 独り言以外に何もすることがない。やっぱり潰れるしかないのかとも思う。

 雅がひとりでボーッとしていると、ガラッと扉を開ける音がした。

「みーやびっ」

 静寂を破り、親友の詩音たちがドヤドヤと賑やかに入ってきた。

「詩音、どうしたの」

「どうしたって、ほら。雅が潰れかけた茶道部のぶちょーになったわけだから、親友としては心配なわけじゃん」

「そうそう、部員が不足してるんでしょ」

と言うのは、「幸」と書いてみゆき。

「だから、私たちが茶道部に入ってあげようかと。ねえ、優奈もそうでしょ?」

と春香に言われて優奈が頷く。

「つまり、私たちが茶道部に入部すれば、五人だから続けられるんでしょ?」

 詩音が言う。

「そうなんだけど、なんで急に? なんか怪しいんですけど」

 雅には、この子らが茶道に興味がないことなど、お見通しなのだ。

「まあ、もう湯谷先生はいないしい。部室は使い放題だしさ」

「保健室よりパラダイスを見捨てるわけにはねえ」

 詩音たちがへへっと笑う。

「部費でさ、お茶とかお菓子、買えたりして」

「ったく。そんなことだと思った」

 雅はあきれ顔。

「でもね、部費は顧問の先生が持ってるから、使えないらしいよ。湯谷先生が学校に預けてるはずだし」

「あら、残念。じゃあ、新しい顧問の先生が来ないとダメじゃん」

 食いしん坊の詩音は、心底がっかりした様子だった。


 実は雅は昨日北条先輩から鍵を受け取ってから、雅なりにプレッシャーを感じていた。「潰れたらあなたの責任」という言葉がのしかかる。元々は割と能天気な性格の雅だが、でも、昨日の北条先輩の涙が忘れられないのだ。

 先輩は、この茶道部を大事にしてきたのだ、という思い。本当に潰していいのかという思い。歴代の名簿や部の会則、これまでの長年の活動記録を読み込むうちに、言葉にできないものが雅の胸に込み上げてきたのだ。

 だから、正直なところ、詩音たちが来てくれたのはとても嬉しかった。

「みんなさあ、受験生になるときに部活に入るなんて、ばっかじゃないの? でも、仕方ないから入部を認めるわ。部長権限でね」

 少し涙ぐみながら、雅が憎まれ口を言う。

よし、これで部員は五人揃った。雅は心の中で小さくガッツポーズをした。

「でも、部費が使えないから、当分お茶やお菓子は自腹で持ち込みだからね」

 部長として念を押すのも忘れない雅であった。

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