おーい、お茶部!

西川笑里

第1話 北条先輩の卒業

 鈴の音(すずのね)学園中等部の茶道部は学園でもとびきり長い伝統があるが、近頃の生徒はなかなか茶道に興味を示してくれないため、今年の部員は三年の北条華ひとりだけとなってしまっていた。

 普通、部活動を継続するには最低五人程度の部員が必要である。にも関わらず茶道部が継続されたのは、私学である鈴音学園に多大なる寄付をしてくれている北条家のひとり娘、生徒会長も務めた北条華が在籍していることと、一番古い教員で、茶道部顧問の湯谷女史の力によるものだろう。ただし、茶道部がこんなにも部員が増えなかったのも、この湯谷女史の厳しい指導方針によるとのもっぱらの噂だ。

 しかし、今年はついにこの学園の長年の力関係に転機が訪れようとしていた。

 まず、湯谷女史がこの三月で定年のため退職することになっており、茶道の指導ができる教師がいなくなる。併せて、三年で部長の北条華が高等部に進学する予定となっており、部員がついにいなくなってしまう。

 つまり、学園で一番長い伝統のある茶道部が、存続する理由も存続できる条件もなくなるのだ。いわゆる「存続の危機」というやつだ。


 卒業式を明日に控え、茶道部部長の北条華は、おおいに迷っていた。

 先ほどから歴代受け継がれてきた、鈴の音学園中等部茶道部員名簿を穴のあくほど読み込んでいた華は、意を決したように立ち上がった。その手には、名簿と部室の鍵をしっかりと握られている。

 やがて、華は二年桜組の教室入口の前に立ち、大きく息を吸うと、勢いよく扉を開けた。

 室内の生徒の視線が一斉に華へ振り向いた。

「九谷雅さんはどこ?」

 華が声を出すと、今度は皆が一斉に教室の後ろに視線を向けた。

 華は皆の視線の先を認めると、ツカツカと教室の奥へ歩を進める。

「茶道部の北条先輩……」「生徒会長の……」

 後輩たちのヒソヒソ声がする。

 華は、机に伏せて寝ている生徒の前に着くくと仁王立ちとなった。

 隣の席の女子に、

「みやび、みやび!」

と肩を揺すられて、「ふあっ?」っと寝ぼけた声を出しながら、その生徒がやっと顔を上げた。

 目の前に立つ華と目が合うと、さすがに元生徒会長の顔は知っていたようで、その生徒、九谷雅はピッと背筋を伸ばした。


「く・た・に・み・や・び、さんでよかったよね?」

 華に尋ねられて、

「はい」

と雅が応えると、華は手に持っていた部員名簿と茶道部の札が付いた部室の鍵を、雅の机の上にトンと置いた。

「じゃあ、後はよろしくね」

「ちょっ、えっ!? よろしくって、どういうことですか?」

 すでに立ち去ろうとしていた華が振り向く。

「あなたは、鈴の音中等部唯一の茶道部員です。だから、今日から九谷さん、あなたが茶道部の部長になりました。私はちゃんと引き継ぎました。茶道部が潰れたら、それはあなたの責任です。いいですね? では」

 早口でまくしたてるように言い残して、また華が行こうとする。

「先輩! 北条先輩! なんで私が茶道部って……」

と、雅があわてて引き止めた。

 華がもう一度雅に振り向いた時、華の目にはいっぱい涙が溜まっていた。

「私だってこんな風に引き継ぎたくなかった。私の代で茶道部を終わらせようかとも思ったのよ」

 華が続ける。

「でも」

 華は、気持ちを落ち着かせるように、ひとつ深く息をする。

「でも、ずっと続いてきた名門茶道部の最後の部長なんて、やっぱり嫌。先輩たちに私が茶道部を潰したなんて、ずっと言われ続けたくないの」

 泣きながら華が訴える。

「だからって、なんで私なんですか?」

 雅が聞くと、本当にわからないのかという呆れた顔で華は雅を見つめた。

「九谷さん、本当に覚えてないの?」

「はいっ?」

「あなた、入学した時に、茶道部の入部届けを書いたのを忘れたの?」

「私が、ですか?」

 キョトンとする雅。

「そう、書いたの。私が書かせたの。入学者名簿の名前を見て、あなたは茶道部に入るべき名前だって、雅な九谷焼きさんだって。だから私が勧誘に行ったの」

「あっ」

 華に言われて、雅はやっと思い出した。

「思い出した? だから、次の部長に引き継ぎに来ました」

「でも、私、退部しました。だから、茶道部員じゃ……」

「あなたのはっ!」

 雅が言いかけるのを遮るように、華がたたみかける。

「あなたのは、辞めたとは言いません。ばっくれた、と言うんです。一日だけ部活に出て、正座に足がしびれて、それが嫌で逃げたのよねえ?」

「ま、まあ」

「だから、それから一度も部活に来てないだけで、退部届は提出されてません。あなたはまだ、茶道部員です」

「は、はい。ごめんなさい」

 雅は、何も言えなくなった。

 さらに華が続ける。

「さっきも言ったけど、今日からあなたが茶道部の部長です。ただし、今のところ、部員はあなただけですが。それに、顧問の湯谷先生もお辞めになります。この後どうするかは、あなた次第です。できれば続いて欲しいけど、学園が続けさせてくれるかどうかは、わかりません」

 そこまで言うと、華はそっと目を伏せた。

「明日、私は卒業式です。私にしてあげられることは、部室を引き渡す以外もうありません。健闘を、祈ります」

 「祈ります」に随分と力を込め、華は去って行く。そして雅は、途方に暮れて、部室の鍵を握りしめていた。


 次の日は卒業式だった。

 昨日、雅の前で泣いていた北条華は、卒業生代表として答辞を読み、大きな花束を下級生に貰って、綺麗に背筋を伸ばし、涙を見せずに中等部を去って行ったのだった。

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