第196話 伊良湖岬:知らない一面を知ることができた


 国道1号線浜名はまなバイパスというと、通行料が無料にも関わらず制限時速が80キロとなっていることが特筆される。


 話を聞いたかぎりではそんなことして大丈夫かとも思う。しかし実際に走ってみると全く不安は無くなった。車線の幅は広いし路肩にも余裕がある。


 道は完全な一直線ではない。しかしハンドル操作がほとんど不要な程度には直線的な道だ。フェンスの外、陸側にはみっちりと防砂林の松が植えられていた。


 自動車専用道なので歩行者・自転車・原付もいないあたり、ほとんど高速道路みたいなものであった。実際、かつて、つまり私が生まれるよりも前は高速道路のように通行は有料だったらしい。単に制限速度が高いことが有料道路の要件ではないことは首都高などで経験済みなので、逆に制限速度が高い無料の道路があってもいいと納得できた。


『なあねーちゃん。ここの制限時速って80だよな』


『そうだよ』


『めっちゃ抜かされるんだけど』


『時間的な余裕が私たちにはあって、かつ制限速度で走っても楽しい乗り物に私たちは乗っていると思うことにしている』


『たしかに時短とか、ねーちゃんが帰ってくる時間とか考えずにメシを作れるって置き換えると悪くない。ねーちゃんもたまには良いこと言う』


『……』


 未天の受け売りだとは黙っておこう。


『それにしてもさっきよりも寒くなったな。寒い。マジで寒い』


 明秋ひろあきがうるさい。確かに寒いし、個人的にも文句のひとつも言いたいところだ。しかしこうもやかましいヤツがいると、ああはなりたくないと自然と口数が減った。


『お、あれが浜名大橋か。でけー。さらに風が強そうだ』


 直線の先、視線の先、地面が緩やかに傾斜を始めていた。いや、緩やかに見えるのは遠近感のおかげだろう。仮にあのレベルの坂道を自転車で登れと言われたらお前が実践して見せろと自転車を投げつけている。


 浜名大橋の長さは約600メートル。

 墨田区の電波塔とほぼ同じサイズのものが横たわっているというと、浜名大橋と電波塔のどちらを驚くべきか。いや、両方だろう。いずれにせよ人間の感覚がマヒするスケールの建造物だ。


 じっくりと空に伸びる(ように見える)坂道はあるところでふつりと途切れる。浜名大橋は中央に向かって高さが上がり、反対側は下がっていく作りになっていた。にわかに落ちる速度を察してスロットルをひねる。


 内燃機関を搭載した乗り物といえど、坂道というある種の重力の形からは影響を受けざるを得ない。漫然とした運転は適切な速度の維持を妨げ渋滞を招く……寒いから速度上げたくないな。


『こっちから見ると弁天島ってあんな感じなんだな』


 橋の上からは周囲が一望できる。

 弁天島も見える。フィリーとエンカウントした場所だ。海辺にマンションやホテルが密集している様子はリゾートらしいと言えよう。海の中にシンと佇む鳥居が目を引いた。国1コクイチをずっと走ってきた自動車なら、こういった景色の変化はひときわ楽しく感じられるだろう。


『……空が綺麗だ。夜明け前から走り出す理由にはなる』


 よそ見するな。そう言いたくなる。しかし明秋の気持ちもわかる。

 空は美しかった。東の方角。背後から伸び広がる、まだ昇り切らない太陽のオレンジ色の光で、凍てついた空がけ始めていた。


 遥か上空、細かな雲に光が当たって円錐型の影ができていた。あの高さにはもう光が当たっているということだ。地球は丸い。


 道が下り始めた。先の景色が見えるようになった。海岸線に沿ってバイパスが伸びる様子がよく分かる。海では白い波が立って、道路にはまだ赤いテールランプが連なっていた。


『うおっ!?』


 明秋が声を上げる。横風に煽られたらしい。これだけ開けた場所なら無理もない。


『ああああかぜええ!!』


 前方を走る明秋がぎゅっと身を縮める。隣の車線に行ってしまいそうなほど車体が流れた。冗談ではなく危ない。こちらは何ともないあたり、本当にわずかな条件の差で風に吹かれたり吹かれなかったりするらしい。


『おいおいおい、まだ今月の調味料メーカーのレシピサイトの巡回済ませてないんだよ勘弁しろよ』


『……そんな趣味あったの?』


 弟のまた知らない一面を知ることができた。


 別に知りたくはなかった。




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