第194話 明秋と呼春ちゃん:世間というやつは案外狭い



 世界は広い。


 バイクに乗っているとそれを実感する。

 もちろん、自転車で30分はかかる学校まではバイクでは15分だし、今までは行ってみようとすら思わなかった東京とかだってバイクなら目的地の選択肢に入る。そういう意味では世界は狭くなったといえるかもしれない。


 しかし依然としてそこに距離はある。100キロメートルは100キロメートルだし、静岡県はうんざりするほど横に長い。私たちは地面を踏みしめるたびにその事実を噛みしめることになる。


 ただし、世間というやつは案外狭いらしかった。


「えぇーッ!?」


 声を上げたのは未天みそらだった。フィリーと呼春こはるちゃんという猛獣たちがいる空間では息をひそめ気味だったせいか、それは悲鳴に近いように感じられた。


「び、びび ”Bee Spring” って呼春ちゃんの名義なの!?」


「名義というと大げさですかね。アカウント名ですよ音楽配信サイトの」


「わた、わた、わたた」


「わたた?」


 呼春ちゃんが首をかしげている間に、未天はバッグを漁って財布から紙切れを取り出した。見覚えがあった。



「わたしこういう者です……」


「…………あぁー!!」



 今度は呼春ちゃんが声を上げた。部屋で微かに音が反響する。今日だけで何回目か分からないが、今までは無かったことだ。私と明秋ひろあきだけではこんなに賑やかになったりしないし。


「ゲーム作ってるかたではありませんか! その節はどうも!」


「こちらこそ! 依頼を受けてくれてありがとう!」


「えーと、その様子から察するにミソラの作ったゲームのサントラ提供してくれたのがコハルだったってオチ?」


「オチとは何ですかオチとは!」


「おおぅ? ソーリー?」


 明秋にちょっかい出してるように見えているせいだろうか。フィリーが呼春ちゃんの警戒対象になってるみたいでめっちゃおもしろい。その調子だ。たまにはフィリーも調子を狂わせられるといい。明秋め、頼りになるカノジョを作ったものだ。あとで褒めてやろう。


「フィリーさんにはメグ先輩を貸してあげますからそっちで遊んでてください」


「やったー!」


 前言撤回だ。やはり自分しか頼りにならん。フィリーに絡みつかれる前にその辺にあったお菓子をぶん投げる。狙い通りフィリーはそっちに飛びついていった。


「名刺! プロみたいでカッコいいです!」


「アマチュアだけどね。それをいうならわたしが報酬払ったから呼春ちゃんの方がプロだよ」


「ありがたいことです。完成品置き場くらいにしか思っていなかったのですが、あの後からジワジワ再生数が伸びるようになったんです。ちょっとしたお小遣いくらいにはなるようになって、おかげで機材も充実させることができました!」


「もしかしたら名刺が欲しい時が来るかもね。どういうデザインが良い? 家庭用プリンターのクオリティで良ければ作るよ」


「このレベルの名刺ができるってことですよね? よろしければぜひ!」


 と、その頃フィリーが戻って来た。モゴモゴさせていた口の中身を飲み込んでから話し始める。


「ねえコハル、私の動画に使うミュージック作らない? オープニングかエンディング。もちろん報酬を払うわ。ミソラのゲームのあのサウンドを作ったなら期待できる」


「動画? ウィーチューバーか何かされてるんですか?」


 フィリーが自分のスマホを呼春ちゃんに渡した。


「……!? せん、まん、じゅうまん……ひゃ、ひゃく……!」


 登録者数のケタを数えているらしい。スマホを食い入るように見つめて何度も数え直している。そんな呼春ちゃんにフィリーが耳打ちする。なんか生々しい金額がかすかに聞こえた。


「バイクのエンジン音とか排気音とか、あとはギアを変える音とかをサンプリングしたヤツで何か作れないかしら?」


「……ふむ、なかなか面白そうですね」


 確かに面白そうだった。エストレヤのギアを1速に入れる音は車体サイズの割りに重厚感があって最高にカッコいいし。


「たしかドイツのテクノユニットがそんな感じのを作っていて気になっていたんです」


「やっぱり先人はいるのね。でも喜んで! ここにはバイクが4台もあるわ! きっとまだ誰も聴いたことが無いサウンドだって作り出せるはずよ!」


「たしかに……分かりました。とりあえずデモを作ってみましょう」


「そうこなくっちゃ! みんな、始めるわよ!」


「あ、マイクとか無いのでまた今度で」


「ウチの庭先でやらないで。近所迷惑」


「くぅっ……!」


 崩れ落ちたフィリーはドンと拳で床を鳴らした。せっかくだから後日それもサンプリングしてもらうと良いだろう。



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