4章
第186話 予感
きっとヤツも同じ気持ちだったのだろう。自宅の玄関先に突然バイクが置かれていたらそれは驚く。
「……は?」
安全第一を思わせる
ヘッドライトは2眼。タイヤは太い。パイプ状の部材がふんだんに使われている。工業機械のような趣があった。
最も印象的なのはシートだ。なんと背もたれがある。その後ろは広い荷台になっていた。背もたれは可動式で、立てれば背もたれになるし、倒せば後部座席の座面になる仕組みだ。
目の前のバイクに私が”レトロ”という感想を抱いたのは、きっと【モトラ】を連想したからだろう。スクーターの【ズーマー】の方が馴染みがあるライダーであれば、レトロという印象は抱かなかったと思われる。
PS250。
ホンダ製のビックスクーター。かつてあったビクスクブームに生まれ、そしてエストレヤより前に生産終了している。しかし最近になって人気が出始めてプレミア的な扱いを受けつつある1台だ。バイクメーカーは時折こういう時代を先取りし過ぎたような、あるいは一周回って新しいようなバイクを世に送り出すことがある。同じホンダでいうと、これと同じように背もたれのある【NM4】とか。
「おかえり」
唖然としていると玄関扉がガチャンと開いた。続けて聞こえた声に視線を向けると、私と同じ顔をした男が満足げにドヤ顔していた。
「
「ああ。これで遠くの食材も買いに行けるよ」
弟だ。双子レベルで顔は似ているが双子ではない。性差による顔つき体つきの違いくらいはある。学年も違っていて私は高2でヤツは高1となっている。ちなみに私が4月生まれでヤツは3月生まれなので、実質的には2歳差だ。
「じゃあ今度から
「それはそれ。これはこれ。2人で別々の所に行けば2か所の食材が手に入る。これからも頼むよ」
私は食材探しの旅をしているわけではないのだが。
「見てくれよこの荷台! キャリアも付けて拡張したんだ! たっぷり積める! ねーちゃんくらいなら積めそうだ!」
人間乗せるなら普通に後部座席スタイルにして乗せろよ。
「どうするのこれ。ケースとか据え付けるの」
「いや、ネットとかロープにしようと思う。普通のコンテナじゃなくてクーラーボックス載せたい時とかあると思うし」
食材探しガチ勢か?
「知らなかった。いつの間に自動車学校通ったの」
「学校帰りとか。別に隠してたわけじゃない。だけど言ってもねーちゃんが感心持ったとは思えないね」
肩をすくめる明秋。まぁ確かに「車校行ってる」と言われても「ふぅん」で終わる自信があった。
「まぁ、安全第一で運転するように」
「……ねーちゃんがオレの心配するとは」
「PS250壊すのももったいないし」
「ひでぇ!」
このあとも明秋は「普段オレがどれだけ」とか「そっちがその気ならこっちも」とか言っていたが、人の話を聞かないやつだ。なので私もエストレヤを駐車して話を聞かずに家に入る。まったく、壊すのもと言っただろうに。
メットとかもろもろの装備を解除し、洗濯物の取り込みやらなんやらといった私が分担している家事を済ませた頃には夕食の時間になっていた。リビングに行くとエプロン姿の弟がダイニングテーブルの上にちょうど土鍋を据えていた。
「今日のメイン食材は牡蠣だ」
訊いてないのに知らせてくる。またご満悦なドヤ顔で。ドヤるとこか? あと私と同じ顔でそういう顔するのやめてもらえないだろうか。自分のドヤ顔見てるようでアレなので。
「浜名湖産だぞ。早速
弁天島は遠出っていうほどじゃないのでは。
「あ、こっちは牡蠣をウナギのかば焼きのタレで焼いたやつな。一度やってみたかったんだ。さぁ食べよう。腹が減った」
テーブルの上の料理、特に中央でぐつぐつ煮えている鍋からは盛んに湯気が立ち上っていた。
「ねーちゃんポン酢でいい?」
「ん」
席に座り、明秋が鍋をつついている間にウナギのかば焼きのタレで焼いたという牡蠣をいただく。丸みを保ったプリプリな身が、タレの味と香ばしさに負けない濃厚なクリーミーさを口の中で広げていた。
「おいしい」
「それは良かった」
続けて鍋の方もいただく。牡蠣はもちろん、白菜や春菊といった野菜も鍋の中で煮えていた。
(冬の味覚だ)
冬。そう、冬だ。
窓の外でゴゥと音が鳴る。何度も鳴る。遠州の空っ風だ。これまで懸念していたそれがついに本領発揮していた。浜松の冬はこの風と、この音と共にある。
「冬だね」
「ああ」
一方で今の私――私たちには今までに無いものがあった。
私ならエストレヤ。
明秋ならPS250。
つまりはバイク。オートバイ。
「……」
今までに無いものがある。
だから、きっと、それはつまり。
この冬は、今までに無い冬になる。
そんな予感が、強くしていた。
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