第183話 神奈川三浦エリア:新企画が決まったわね


 フィリーが輝かせる瞳のように、どんぶりの上で生しらすとその他もろもろがキラキラしていた。生しらす丼。鎌倉の名物らしい。たしかに”生しらす”と書かれたのぼりが通りにたくさん立っていたっけ。


 激推しされているしらすだが、しらすは何も鎌倉だけで水揚げされるわけではない。日本の津々浦々で捕ることができる。なんなら静岡県でも水揚げされている。例えば磐田市の福田ふくでとか、静岡市の用宗もちむねとかでも生しらすは有名だ。


「鮮度が良くないとダメなのよ、良くないと。ベターじゃなくてマストなの」


「新鮮な生しらす、けっこうレアなんだよね。お父さんたちが朝に漁港の直売所に行ったりするんだけど、よくしょんぼりしながら帰ってくるよ。買いにいっても売り切れてたり、そもそも捕れた量が少なかったり、捕れたけどクラゲが混じって商品にならなくなっちゃってたりとかするんだって」


 そんな生しらすが街中まちじゅうで提供されている。これは驚くべきことだ。鮮度を維持したまま、大量に、安定して生しらすが供給されていることの証左なのだから。


「見てこの創意工夫! 生しらす丼の激戦区じゃないとこういう個性は出てこないわ!」


 生しらす丼というと、ごはんの上に生しらすがドーン、薬味にネギとショウガ、みたいなのを想像する。素材の味を直球ど真ん中で楽しめるし、それで十全だ。だがそれはそれとして目の前の生しらす丼は一味ひとあじ違う。いや、使われている食材の多さを考慮するに一味ひとあじどころではない。


 飯の上にはたっぷりと生しらすが載せられている。そして同じ量のゆでしらすも載せられていた。飲食店では”二色”とか呼ばれて提供されているスタイルだ。一杯で2種類のしらすが楽しめる。生しらすと比べるとゆでしらすの方は馴染みがあった。


 その上にまだ色々と載っている。ネギやショウガはもちろん、ゴマや刻み海苔、大葉、海藻類、それからウズラの生卵だ。想像していた生しらす丼より数倍の色鮮やかさだった。人口密集地・観光地という激戦区で競争にさらされ、他の地域や店とは違う価値を求めてきた結果だ。


「このツーリングの最後の――たぶん最後の、おそらく最後の……あー、もしかしたらまた何か食べるかもしれないけど予定では最後の食事にふさわしいというものよ!」


 最後の食事じゃないだろうきっと。食事とはならないまでもフィリーが何の飲食もしないとは思えない。ただそれをツっこんでいても時間のムダだ。鮮度が命な生しらすは、冷蔵庫から出されて刻一刻と新鮮さを失っていっている。それは何よりも回避すべきことだった。


(……甘い)


 醤油も何もかけずにひと口いただいてみる。ぷりぷりとした身を噛みほぐすと、確かな甘みが口の中に広がった。


(どれだけ新鮮なんだこれ……)


 生しらすを食べたことくらいある。そして鮮度が落ちた生しらすは苦みが強まることも知っている。


 この生しらすも苦みが全く無いわけではない。それは魚をまるごと、つまり内臓を食べる以上は避けえないことだ。さんまの内臓を食すようなもの。苦いものは苦い。自然なことだ。


 それにあり余って甘みある。


「頭が下がるわ」


「ほんとだね」


 その通りだ。この1杯のために注がれている多くの人間の努力と情熱と技術を考えれば当然の感想であった。


 生しらすだけではない。ゆでしらすはふわふわとした食感で、口にふくむと柔らかな塩気としらすの香りがあふれ出す。ごはんがわしわし食べられるやつだ。卵をつぶして混ぜ合わせるとさらにそんな感じになる。


 醤油を垂らしたり、ごま油を垂らしたりして味を変える。あとは薬味のネギ、ゴマ、海苔や大葉の食感・香りも合わさって一向に飽きがこない。


 常に新しい味を口が感じていた。ひとつとして同じ波が打ち寄せることのない由比ヶ浜の隠喩いんゆのようにも思えた。


「大根おろしが載っててもいいかもね。あとは梅肉とか」


「絶対おいしいそれ!」


 たぶんこの生しらす丼も進化を続けていくのだろう。技術が進歩したり、新しい名産品が生まれてそれと組み合わされたり、あるいはバイクで言うところの排ガス規制のような――何らかの制限が生じてしまったりとかして。


「あと私は生しらすと麺類の組み合わせが気になるわ。お蕎麦とか!」


「無いとは思えないよどこかにあるよ。あと絶対おいしい!」


「新企画が決まったわね! 幻の生しらすそばを探すわよ!」


 なおこのお店を出てすぐに”生しらすそば”の看板を見つけたことにより、フィリーの新企画は終了した。




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