第146話 山梨:ソロツー
その名前の通り渓谷であり、渓谷の底を流れる川にそって遊歩道が設けられている。そこでは巨大な花こう岩や奇石が織りなす、水墨画めいた光景を見ることができるらしい。それからこの時期だと紅葉が見ごろとのことだ。
(昼までに着いて見物して出発できそうだな……)
昇仙峡グリーンラインなる道路も整備されているらしく、ライダーとしては興味がそそられる場所だった。
(行ってみよう)
休憩で立ち寄ったコンビニをあとにする。川のド真ん中で左折して入った道を外れ、甲府に向かう進路を取った。甲府は山梨の県庁所在地だ。
街は完全に動き出していて、車通りはかなり増えている。甲府に近づけば近づくほどその数は増えていき、それに比例して信号待ちで停車する時間も長くなる。行き交う自動車のナンバープレートはほとんど山梨ナンバーで、つい(県外の車ばっかりだ……)などと思ってしまうが、県外ナンバーなのは自分の方だ。
自分1人で他県の県庁所在地に来たのは初めてだ。自分ひとりじゃないなら、直近では京都が記憶に新しい。
(ぜんぜん都会だ)
軒を連ねるビルの隙間を走る。ふと見上げたビルの背景や道路の先に、うすぼんやりと山の姿が映った。
東京ではビルの背景には別のビルが、浜松では航空自衛隊の飛行機とかが見えたりするが、甲府で望むことができるのは山らしい。いまいる場所からは見えないけれど、富士山が見える場所もあるに違いない。
富士山と八ヶ岳では、山梨県の皆さまはどちらの方が身近に感じるのだろうか。アンケート結果があったら見てみたい。
なんてことを考えながら走っている内に、甲府の中心市街地を抜けた。そして【昇仙峡】と書かれた看板が現れるようになる。看板に従って進めば良いので迷う気がしなかった。いちいち路肩にバイクを停めてスマホでルートを確認するのはかなり面倒なのでありがたい限りだ。
山梨大学の近くを通り過ぎたころ、道は次第に山道になっていった。道が傾斜していて幅が狭く、さらにカーブもキツイ道だ。
山道は静岡から山梨に来るときにたっぷり通った。なのでそれほど緊張するということもない。しかし先ほどまでとはやや状況が違う点があった。52号線を走っていた時は早朝だったが、いまはもう太陽が高い。当然交通量も多くなる。
(対向車線からのはみ出しとか、気を付けないとな)
逆に自分がはみ出してしまうことも。猛スピードのバイクや制御不能になったバイクが他の車両に突っ込んでいくことをミサイルと呼んだりするが、そうならないようにしなければ。
などと自戒しつつルートを進むうちに、新たに注意しなければいけない点に気がついた。それはこの昇仙峡に向かう道、かつこの季節特有のものだった。
(この時点ですごい)
紅に色づいた木々の波。
道の両サイドが埋め尽くされている。空まで覆いつくさんばかりの勢いだった。入り乱れる紅・赤・黄色の洪水の中に、差し色のように微かに緑が混じっている。人間の目、その性能の限界を試すかのようなグラデーションは、繊細ながらも眩い輝きを放っているかのようだった。
(……紅葉に見惚れて事故りそうだ)
この道、この時期だけ、特別な注意が必要だ。
そんなこんなで辿り着いた昇仙峡。遊歩道の出入口の近くには無料の駐車場がある。そこの隅っこにでもエストレヤを駐車できればと思っていたが、何事も思い通りに行くわけではない。
「げ、激混み……」
人人人人車車車人車人人車。
そんな感じ。車はもちろん渋滞してるし、人ですら渋滞を起こしかけている。
考えてみれば当然だ。あれだけ看板に書かれている昇仙峡がメジャーなおでかけスポットでないわけがない。おまけに今は紅葉する時期。つまり昇仙峡のハイシーズンだ。駐車場の周りがすでに素晴らしく色付いていた。観光客は押し寄せてくるにきまっている。
「うん。諦めよう」
人の相手をしすぎて消耗したがゆえのソロツーリングだ。人混みに飛び込んでいっては本末転倒。それにバイクを駐車できそうにない。安全を確認しつつエストレヤを転回させた。
こういう時も割と簡単に向きを変えることができるのがバイクの良いところの一つだ。そしてソロツーリングでもあるので、気まぐれに行動を変えても問題ない。
(また来るよ。今度は最初からここを目的地にして)
そんな場所ばかりが増えている気がした。
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