第106話 東京:出かけてみない?



「はぁ~、疲れたー」


 荷物を投げ捨てた未天がベッドに倒れる。昨日から使っていたらしいベッドは乱れていて、そこに寝転がる彼女は……正直のやり場に困った。無警戒に閉じられたまぶたや、少し持ち上がったシャツの裾から覗く素肌とか、特に。


 華奢な感じは幼さにも似ていて、感が強かった。陽射しを吸う習慣に乏しいその青白い肌を目にすることに、ひどい罪悪感を覚えていた。


 荷物を置き、空いているベッドに腰かける。しばらく部屋内を眺めていたが、これと言って珍しいものもない。窓にはレースカーテンがかかっていて、夏の光がわずかに柔らかくなっている。あいにく窓の外に東京タワーは見えず、名も知らぬビルたちの姿が並んでいた。当然すぐに飽きて上半身を背後に倒した。見慣れない天井が視界いっぱいに広がった。


(……今日は家に帰らなくていいのか)


 今日の夜はこの部屋で過ごす。ここで眠る。たぶん。さすがに一晩中東京を走り回ることはしないと思う。そんなことしたら帰る体力がなくなってしまう。


(いつぶりかな、こういうの……)


 宿泊を伴う家族旅行とかに出かけた記憶はほとんどない。なので一番新しい記憶は中学の修学旅行だろうか。京都に行ったことは覚えているが、しかしどこで何をしたかは覚えていなかった。泊まった場所もどんな所だったか。


 もっとも、偶然同じクラスだっただけで特に親しくもないクラスメイトと同じ部屋に詰め込まれただけの環境は、睡眠に適していなかったことは想像にかたくない。しかし今はどうだろうか。すぐにでも眠れそうだった。


 首だけで未天の方を向く。すると彼女もこちらを見ていた。


「!」


「……どうしたの?」


「ああ、いや、その……初めて見る風景だなぁって思って。メグちゃんがベッドで寝てるのとか――ちょっとドキドキする」


 未天は掛ふとんを抱き枕のように抱える。ふとんにうずめた顔に朱が差しているのがわかった。ふとんを挟む足、その膝からお尻にかけての柔らかな丸みに思わず視線が吸われる。


「……赤の他人が寝てる姿なんて、普通は見たことないよ」


「そ、それもそうだね……あ、でも。これはあれだね、修学旅行みたい」


「それはちょっと思った」


「修学旅行、秋に行くらしいよ。今年の」


「今年? 3年じゃなくて?」


「3年になると受験で忙しいしね。ほら、うちこれでも進学校だし」


「どこいくんだろう」


「……バイクで行こうとしてる?」


 それはさすがにない。


「東京だったりして」


「わたしほぼ半年に1回は来てるんだけど……!?」


「用がなければ来ないよね。私も届け物がなかったら来なかったと思う。それに大都会に用があるなら、浜松なら名古屋の方が近いし」


 今日ここまで来たり、首都高を走ったり、C2トンネルの熱気にお見舞いされたり、羽田空港に行ってみたり、電車ではない乗り物で未来を感じたり、温泉につかったりできたのは未天のおかげだ。彼女に誘われなければ、私は今頃浜松の親戚の家あたりで緩慢すぎる時間の流れに精神を病んでいただろう。


 そしてバイクが――エストレヤがなくてもそれは同じことだ。エストレヤがなくても、今日ここにはいられなかった。エストレヤがあったからこそ、未天は私を召喚したのだ。そのことを忘れるつもりはない。


「未天、出かけてみない? その、せっかく東京にいるし」


「で、出かける前にシャワー浴びさせてもらっていいかな……?」


「じゃあ、私はちょっとフロントでバイク駐車できないか訊いてくる」


「メグちゃんはいいの? もしあれだったら先に――」


「未天に会う前にお台場で温泉入ったから」


「そうだったんだ。いいなぁ。だから良い匂いしてたんだね」


「行ってくる」


 この暑さであの環境だ。未天は一刻も早くシャワーを浴びたいだろう。なのでさっさと部屋を出て行く。そしてどうやって時間を潰そうか思案した。早々に部屋に戻っても、彼女が浴びるシャワーの音を聞くことになるだけだ。妙な気分になりそうで、あまり気が進まなかった。


(戻ってきたら、湯上りの未天が待ってるのか……)


 部屋のドアを開けるのに数分くらいためらいそうな予感がした。




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