第103話 東京:そういう意味ではない



 ヴヴヴ。



「——……はっ」


 胸の上で抱くように持っていたスマホが震える。それで目覚めた。ぼやけた視界でスマホを確認すると、未天からメッセージが届いていた。


「あっ」


 意識が一気に覚醒する。思わずガバッと体が起きた。スマホの片隅に表示されている時間を確認すると、どうやら1時間ほど眠ってしまっていたらしい。傷は浅い。未天からのメッセージの内容は、会場まで来たら入り口まで迎えに行くから連絡して、とのことだった。寝過ごさなかったことに安堵してまたシートに体重を預ける……。


「いや、コレまた寝るでしょ」


 などとひとごとりつつ上半身を起こす。視界がぐらりと揺れた。船酔いに似た感覚に襲われていたが、目を閉じて数秒待ったら収まった。


(もうひとっ風呂……はやめとくか……)


 未天が首を長くして待っているかと思うとここでのんびりしている気にはならない。『一駅のところにいます。いまから行きます』と返信してからぬるっとシートから離れた。


 着替えを済ませる。ジャケットを一度羽織ったが、歩く間はジャケットを着る必要がないことに気が付いた。なので小脇に抱えて更衣室を出た。始めからこうしておけばよかった。そう考えるとデニムジャケットを着たままモノレールに揺られていた光景の狂気度が増した。暑さで頭が茹だっていたのだろう、たぶん。そして精算を済ませて温泉施設から退館した。


 時刻は13時を少し回ったころ。太陽はほぼ天頂に近い。足元に落ちる影はとても濃く小さかった。ようするにとても陽射しが強くて暑い。即刻りんかい線……ではなく、ゆりかもめに乗り込んでビッグサイトを目指した。ゆりかもめには運転手がおらず、自動運転で走行していた。運転手のいる乗り物に慣れきっているので、違和感がすさまじい。


(未来だなぁ……)


 ※ゆりかもめは20年以上前からあります。






 見渡す限りの人、人、人、人。


 ビッグサイトの中は人間であふれかえっていた。特に混みあっていたと感じた海老名サービスエリアと比べても……いや、比べものにならないほど人で埋め尽くされている。人にぶつからないで歩くのが困難なほどで、テーブルの向こうを行き交う人々は体を斜めにしたりしながらなんとか通路を進んでいた。


 かくいう私もブースに来るまで、未天に手を引かれていたにも関わらず何度も人に衝突した。未天とつないでいた手も時折離れて迷子になりかけた。頼られているのが嬉しいのか、彼女の手を必死に握る私の様子に未天はご満悦だったように見受けられた。


「すみません、おまけはもう無いです」


「サントラ1,500円です。ちょうどですね、ありがとうございます」


「ステッカーは300円です。……700円のおつりです」


「私は八方塞はっぽうさいではありません」


「ソフトはありません。ダウンロード版ならあるそうです。チラシをどうぞ」


「私は八方塞ではありません」


「私は八方塞ではないです」


 おかしい。見物に来ただけなのに。私は何をやっているのだろうか。私にも何が何だかわからない。今起こっていることをありのまま話せば、気がついたら未天のブースでレジ係をやっていた。何を言っているのかわからないと思うが……この同人誌即売会とやらの恐ろしさの片鱗を味わっている。


「ご、ご、ごめんね。ありがとうねメグちゃん……」


 未天は私のとなりで縮こまっている。


「こっちは私に任せて未天はそれ片付けなよ」


「そ、そうさせてもらいます……」


 未天はスケッチブックに向き直った。ファンに頼まれて断りきれなかったらしい。頼まれて押しきられる様子が目に浮かぶ。


「助かるなぁ、私、接客も苦手で……」


 少し様子を見ていたが、正直ひどかった。テンパっておつりの計算を間違えるわ、小銭はばらまくわ。その上スケブまで受け付けたらパンクするに決まっている。


「見てられない」


「……そ、それは手を出したくなる的な意味で……!? ちょ、ちょっと待って私まだ心の準備が……!」


 念のために言っておくとそういう意味ではない。


 このイベントは何度もあるらしいし、今度も手伝った方がいいかもしれない。などと考えていたとき、新たな参加者がやってくる。


 例によって、八方塞先生ですか? と尋ねられた。


「違います。彼女です」


「メグちゃん!? かかか彼女なんてそんな、いきなり……! え、えへへ……っ///」


 念のために言っておくと、そういう意味ではない。




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