第94話 東京:高揚感と罪悪感


 25年後の未天みそらだと言われたら信じてしまいそうなくらい、未天の母は彼女に似ていた。きっと、若かりし日の彼女は未天のような可憐で儚げな少女であり、25年後の未天は目の前の彼女のようなたおやかな女性になるのだろう。


「未天さんにはお世話になってます」


 未天の母はこちらが恐縮するぐらいにお辞儀をし、歓迎の言葉を述べてくる。最近の未天はとても楽しそうだ。あなたのこともよく話している。とても素敵でかっこいい人だっていつも言っている。あの子からゲーム以外の話題が出てくるのが嬉しい。お友達ができて本当に良かった。それもこんなに素敵な子なんて。そそっかしくてごめんなさいね。これ、あなたが来たら渡してくれって言われてたものね。これからもどうかあの子をよろしく、と。


「それでは」


 エストレヤにまたがり、軽く会釈してから発進した。こちらが曲がり角で姿を消すまで、未天の母はこちらを見送っていた。その様子がサイドミラーにしっかり映っていた。恐れ多い。


(こりゃ未天は良い子に育つわ)


 この親にしてこの子あり。その言葉を良い意味で使った時の例として、あの親子は最適に違いない。


(……よかった)


 ガラにも無く不安だったと、未天の自宅をあとにしてから気が付いた。


 客観的に見る。ニコリともしない顔、明らかに自然ではない髪色、そして高校生なのに中型バイクに乗ったヤツが、娘の現金を回収に来る――うん、1から10まで怪しい。あなたのお宅の大事な娘さんをたぶらかして現金をだまし取ろうとしているチンピラにしか見えない。未天が十分に親御さんに前フリをしてくれていなかったら、こうすんなりは行かなかっただろう。


(本当によかった……)


 思った以上にほっとしている自分にまた驚く。


 夏の夕暮れ。六間道路は今日も混雑している。陽射しのない薄明りの道は、どこかのんびりと流れる。






 翌日。朝4時。


 何故か弟も起きていた。よくわからないが、彼女の部活だかの手伝いでどこかに行くらしい。何部だったかは覚えていない。


 ともあれ、どうやら子供2人そろって親戚の集まりをキャンセルすることになりそうだ。まぁ、子供が不在なら不在なりの楽しみ方が大人にはあるだろうし、こちらが気にすることでもあるまいし、知ったことではない。


(涼しい……)


 空が白みかけている。冷えた夜気が街に静かに沈殿している。これから陽が昇り、人々が動き出すことで揺れ動く空気は、摩擦熱を得るかのようにその温度を高め、煮えたぎる油のごとき過熱を街にもたらすのだろう。動き出す街のそのきっかけが自分かもしれないと思うと、少しでも暑さをマシにするためじっとしていたくもなるが、今日ばかりはそうもいかない。私にはやるべきことがある。


 チェストプロテクターを装備し、クローゼットの奥の方で発見したデニムジャケットを羽織って前面のボタンを留める。先日着ていた春物ジャケットと比べると、いくぶんか風通しが期待できる素材だった。ごわごわしているので若干防御力は高い気がする。


 エストレヤのエンジンをかける。ボンという音が空の方にも伸びていったのがわかった。今日という日に点火したかのようだ。規則的なエンジン音が周囲に広がり、凪いだ世界を波立てていく。そっと走り出してようやくジャケットの表面で弾ける冷気の泡。このとき抱いた高揚感と罪悪感は、足跡ひとつない新雪に足を踏み入れた時のそれによく似ていた。




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