第87話 高速道路:CUE
別れ際、夏休みの間にどこへ行くかという話になった。私はまだ何も考えられていなかったが、フィリーは相変わらず北海道を含めていろいろ検討しているらしい。
「北海道以外に行くとしたら?」
「四国だったら四国カルスト、九州だったら阿蘇かな。最終的には旅費と相談。上限とかあんまり考えてないけど」
フィリーだったらそうかもしれない。彼女の場合、動画による収益が引くくらいあるだろうから。あるいは黒字にしたいくらいは考えているのか。
「あ! もしかして一緒に行きたいの!? えぇ~? だったらもっと早く言ってくれればいいのに!」
「言ってない」
「じゃあ宿代はこっちで持つから、その代わりにぃ……ぐへへへ」
「代わらない」
仮にどこかへ泊りがけで出かけるとしたら、必ずセキュリティの整った宿をとることにしよう。
「っと、もうこんな時間。そろそろ行くわ。がっつりお昼どきになるとお店混むから。まったく、楽しい時間はあっという間ね」
彼女は肩をすくめる。時間を確認すれば午前10時半くらい。三保までなら1時間弱といったところだろうか。
「巨大メンチカツが待ってる! さらば!」
「うん。また」
彼女は清々しい様子で手を振って去った。バイクを駐車している場所が上下線で違うので、別れたあとはそれぞれ別の方へ向かうことになる。下り線の駐車場に出ると、さきほどよりずっと強くなった日差しと熱気が出迎えた。陽炎の中でオートバイたちが揺れていた。
(あのバイク、なんかいい感じだな)
周囲のスポーツ系のバイクとは一風変わった佇まい。こじんまりしてカウルは無く、全体の塗装は落ち着いた色が採用されている。美しい直立したエンジンまでブラックアウトしているのが印象的だ。その全体像がバイク置き場に近づくにつれ明らかになる……が……。
「……わ、私のエストレヤだった」
『なんかかっこいいバイクあるなーっと思ったら自分のバイクだった、っていうのはライダーあるあるよ』『いや、ないだろ』というやり取りをした、わずか数十分後の出来事であった。
購入した財布に早速いくらかの現金を移し替え、ジャケットのポケットにしまった。先ほどと比べるとかさばらなくて快適だ。身動きも取りやすくなった。ジャケットも型崩れもしないで済んでいる。
(いい感じだ)
相変わらず暑くもあるし、ライディングジャケットに比べれば防御力は低いままだ。ライジャケないしプロテクターの導入は急務だろう。そもそも、まっとうな装備なしに高速に足を踏み入れたのが間違いだったと言っても良い。何かあったらどうするのかと。周囲にいるライダーたちの服装を見てもそれは明らかだ。
しかしどんな土砂降りの雨でも雲の上は晴れているように、何事も悪い面ばかりではない。こういうジャケットでは高速は心もとないということはもう肌で実感している――体を殴りつけるような強風、瞬く間に置き去りにされる看板類、スレスレを追い越していく車両、擦りおろし器と化したアスファルト――そういう経験は得難いものだ。ライディングギアに投資するには十分な理由になるし、自分が装備に求めていることを知るヒントにもなる。
(帰りに用品店に寄ってこう……)
浜松までは何分だろうか。第2東名の浜松の出口は浜北なので、宮竹までは時間がかかりそうだ。
(120キロ制限……)
バイクが生み出すスピードに魅力を感じているわけではない。というかほぼ感じていないといって差し支えない。エストレヤもそういうバイクではない。かといって、その限界を知りたくないと言えば嘘になる。知りたいし、実感したい。
(どんな景色が見えるのか)
ガコン。
ギアを一速に入れる。この重厚なチェンジ音も、最近はお気に入りだ。バイクが走り出す合図であり、これから始まるであろうワクワクの合図でもあった。
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