第60話 山中湖:”好き”に出会おう
「……」
息をのむ。景色にのまれる。圧倒される。
湖畔にいた時の箱庭感は消え失せていた。空はどこまでも高く広がり、大地はずっと遠く、富士山の遥か向こうで
(……すごい)
バイクを停め、展望スペースへと歩む。広場みたいになった舗装されていない地面をザクザクと踏んだ。フェンスすらも無くなり、遮るものがなくなった景色を前に、とっさに言葉が出てこない。写真で見るのとは比べ物にならないスケール感だ。自分がいかにちっぽけで、世界がいかに大きいのかがよくわかる。
(あ、写真)
慌ててスマホを持ち出す。そして構えた。スマホの小さな画面に、目の前の景色が映し出される。
(あぁ……)
まったく納まらない。この雄大さはカメラでは映しきれない。どんなカメラならこの圧巻を1枚の画像に閉じ込められるだろうか。心からだって
(それでも、きれいだ)
液晶画面に焼き付けることができるのはほんの一部。だけど元の景色が素晴らしければ、その数パーセントだけでも十分に素晴らしい。海と比べれば砂欠片のように小さい山中湖でも、人間からすれば溺れるほどに水を蓄えているのと同じだ。スマホがカシャっと鳴って、煌めく景色が手の中に納まる。
(1枚じゃ足りない)
何回も撮影ボタンを押した。何枚も画像を保存した。スマホのフォトフォルダが緑と青で埋め尽くされていった。周りの人々も同じのようだった。皆夢中になってシャッタースイッチを押している。中には山中湖と富士山を背景に自分たちを撮影している人たちもいる。私は一人なのでマネできそうにない。
「……?」
パノラマ台のさらに上へ続く道からちらほらとバイクや車が下りてくる。
(向こうにもまだなにかあるのかな)
道はまだ登っている。もしかしたらもっと眺めの良いところがあるのかもしれない。地図を確認してみると、先には三国峠という峠があり、山梨と神奈川の県境になっているようだった。
(峠……景色良いかも)
再びバイクにまたがって道を進む。そして間もなく三国峠に到着した。一瞬だった。
(……何もないな)
何も無いというと言い過ぎなのだが、お目当てのものは無かった。周囲は木々に覆われ、展望はほとんどない。ハザードを炊いてバイクを路肩に停め、さらに先に進むとどうなるか調べてみると、小山町の方に抜けるらしかった。
(神奈川、一瞬だけじゃん……)
振り返ると”山中湖村”という看板が見つかる。つまり今は神奈川にいるということだ。
(私、いま神奈川にいるのか)
神奈川といえば、浜松から見ると静岡市を挟んで反対側。同じ県外でも、少し走れば入ってしまう愛知県とはわけが違う。そんな遠く離れたところに自分がいるなんて。
(……来ちゃったなぁ)
気分が高まらないかというと、そんなことはなかった。
山中湖に引き返す。ここまで来たのだから、ご当地グルメや土産物を物色したい気分だった。それからもう少し湖の周りを流したかった。
「お」
道を下る途中、パノラマ台とは別に、眺めがよく、かつバイクを停められる程度のちょっとしたスペースがあった。そこからの景色もパノラマ台に負けず劣らずの景色だったのでバイクを停めた。
(ここならバイクも写真に入れられるな……)
バイクから離れ、背景に富士山と山中湖を据えた。雄大な景色に、美しいバイクが佇んでいる。自然いっぱいの背景に、クラシカルなスタイリングのエストレヤは不思議と馴染んでいた。
「……良い」
思わず口からこぼれていた。
(生半可な背景じゃ、エストレヤに主役を取られるだろうに)
エストレヤと調和するほどの眺めだと思うと、この眺めの素晴らしさをますます実感できた気がした。
(こんな景色を独り占めなんて良くない)
迷惑かもしれない。しかしこの感動を一人で抱えきることができなかった。だからメッセージアプリでミソラに画像を送った。そしてエストレヤに体重を預けて風景を堪能していると、じきにスマホが震えた。震え続けた。メッセージではない。着信だ。すぐに応答する。
『いやぁ……すごくきれいだね、メグちゃん』
うっとりとしたミソラの声。分かってもらえたようで、そして迷惑でもなかったようで、つい安堵の息が漏れる。
『富士山っておっきいんだね』
「大きいよ。すごく大きい。びっくりした」
『変更になるけど、悪役令嬢メグのラストシーンはここにしようかな』
「またシナリオ無茶苦茶になるんじゃない?」
『う゛!?』
変なうめき声の後に締め切りがどうのちょっとだけならどうのという声がスピーカーから漏れ聞こえる。愉快な反応につい口元がゆるんだ。
「そういえばミソラ」
『?』
「さっき好きな食べ物がどうとか言ってたけど」
『ああ、うん、何かあった?』
「ううん、それは無いんだけど」
好きな食べ物は、今はまだちょっと思い浮かばない。
だけど。
「この景色は好きだよ。好きになった。また来たい」
数瞬ののち、ミソラは『うん、それは良かったね』と返してくれた。
その優し気な声色も、今は私の好きなもののひとつだ。
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