第57話 山中湖:到着
景色は次第に閑散としていった。それを寂しく感じなかったのは、道の両脇に生い茂る鬱蒼とした草木のおかげだろう。
信号待ちで見上げた青い案内標識には、いよいよと”山中湖”の文字が刻まれている。これから始まる山道の先で、山中湖が水を湛えているのだ。
(……バイク、めっちゃ増えてきた)
けっこう手前からその片鱗はあった。しかしここまで来ると極まってくる。山中湖にアプローチできるルートは限られているし、そして山中湖は人気のツーリングスポットだ。必然的に交通は集中する。
(大型ばっかりだ……たぶんだけど)
前も後ろもバイク、という状況になってかれこれ10分くらい経過している。そして信号待ちの間にさらに増えていた。ついでにいうと反対車線でも幾台かのバイクが信号待ちしているし、道路脇にあるコンビニでも何台ものバイクが駐車場を占拠していた。四輪車の方が肩身が狭そうだ。こんなに大量のバイクを見るのはお店以外では初めてかもしれない。
(ナンバープレートに緑の枠があったら大型だっけ)
あいにくと車体を見ただけで名前や排気量が分かるほどの知識は無いし、誰がどんなバイクに乗っていようと知ったことではない。しかしその大きな車体やドルドルと響くエンジン音、吹き抜けるようなマフラーの音で、エストレヤとの違いをひしひしと感じる。
前で信号待ちをしている3台のバイクを眺める。たまに顔を見合わせているあたり知り合いで、インカムか何かで会話しているのだろう。3台ともナンバープレートには緑の枠が付いている。後ろに連なるバイクもサイドミラーで盗み見る。空気抵抗を軽減する形状のカウルを持ったスポーツバイクはもちろん、逆に前が見えなくなりそうなほど巨大な、ライダーを走行風から守ることに特化したカウルを備えたクルーザーもいた。
(クルーザーを見るとフィリーかと思ってちょっとびっくりする……)
からかわれそうなので本人には言わないでおこう。
山道に入る。道の傾斜は徐々にきつくなっていった。
(富士山でっけー……)
富士市で眺めた富士山も十分に大きく感じたが、ここまでくるともう比べ物にならない迫力になる。大空を覆うようにそびえるその姿は、巨大という言葉がとても良く似合っていた。そんな富士山を横目に見ながら、道の駅すばしりを通り過ぎる。
傾斜のある道はくねくねとねじ曲がっている。山道ではあるが、それでも片側1車線あってセンターラインがある程度には道幅が確保されていた。
(……なるほど)
エストレヤの性能に不満を感じたことは無かった。むしろその性能に感動を覚えるばかりだ。今も不満を感じているわけではない。ただ、「こうなるのか」と納得しているだけだ。
(ギア落とさないと厳しいか……)
ギアのチェンジペダルを踏みこむ。ガチンと鳴ってギアが5速から4速に落ちた。エンジンが大きくうなりをあげる代わりに、ぐいっと車体が前に出て、一瞬だけ体が置いて行かれる。
傾斜がきつくなってからエストレヤの速度は露骨に出なくなった。トップギアの5速にしている間は特にだ。やや減速してからカーブに入ったあと、次の坂道の直線で速度が回復するのに時間がかかるし、スロットルも普段より多めに開かなくてはならなかった。
ギアを変速させるとき、パワーとスピードは反比例する。
ギアは1速に近いほどパワーは出るがスピードは出ない。逆にトップギア(エストレヤの場合は5速)であれば、パワーはあまり出ないが速度は出る。
坂道の上にいるバイクは重力の影響を受けて下に進もうとする。それに対してエンジンのパワーが十分であれば、重力を押し返して坂を登り続けることができる。しかしこれくらいの傾斜の前では、5速のエストレヤではどうやらすこし厳しいらしい。登れないということはないが、エンジンの負荷がとんでもないことになってしまう。音を聞き振動を感じれば分かる。
(速度があんまり出せないな)
出せないといっても40キロ程度は出せる。街乗りでは問題ない。しかし坂道の直線で、周りが大型バイクだったりすると事情が変わってくる。
(……はや)
前のバイク集団との距離が離れていく。大型バイクであればこの程度の坂道はトップギアでも余裕なのだろう。当然速度も出せる。おまけにベテランなのか、ヘアピンカーブにも結構な速度で進入していく。カーブを曲がる際に車体をバンクさせているが、その姿にも安定感があった。おかげでさらに距離が開いて行く。
初心者にはそんなことはできないので、ギアと速度を落としてソロソロとカーブをクリアした。車体はほぼ垂直だ。こちらが初心者だと気が付いたのか、後ろのバイクはずいぶん車間を取ってくれていた。自己防衛でもあると思うがありがたいことには変わりない。
(登坂車線ください……)
そんなこんなでなんとか坂道を登りきる。そして道は下り坂に転じた。
木々のトンネルを思わせる森の中の道に抜ける。次第に看板やフェンスといった人工物が現れはじめた。カーブも穏やかで、先ほどはうってかわった快走路だ。
(別荘……大学……?)
別荘のほかに大学の名前が記された看板をちらほら見かける。どうやらこの辺りには大学の研修施設が集まっているようだった。進学先によってはお世話になったりするのだろうか。
「あ」
やがて道は突き当たる。正面にはもったいぶるかのように木々が植わっていたが、その隙間から覗く背後には、光をちらつかせながら青い水面が揺れていた。間違いない。
山中湖だ。
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