第52話 山中湖:富士山



(海だ……!)


 一気に開けた視野、それからバイクが生み出すスピードが爽快感を演出していた。


 左手、バイパスの下には開けた地域があり、ビルや人家が広がっている。建物は北の山々を切り開くように広がっていて、その奥へと続く道には結構な交通量が見受けられた。山梨県甲府まで続く国道52号線だった。


 右手には様々な青を見せる駿河湾が広がっていて、遥か彼方の水平線は地球の丸みを思い出させていた。清水港が近いせいか、けっこうなサイズの船が行き交っている。うすぼんやりとして水面に浮かぶ船舶は蜃気楼じみていて、その背後には黒い大岩のような伊豆半島が寝転がっていた。


(これが駿河湾……)


 日本で最も深い湾、らしい。日本一高い山があると思ったら、日本一深い湾があるなんて忙しいことだ。


(富士山をスコップですくって、駿河湾にどぼんとしたらスポっと収まったりして)


 無論、富士山をすくえるようなスコップは無いが。

 くだらない妄想をしつつそのまま進むと、山が波打ち際まで迫るようなエリアに差し掛かる。家屋は一切無くなり、山と防波堤の間のスペースは道路と鉄道——JRの線路でパンパンになっている。山を切り崩し、海を埋め立て、なんとか鉄道と道路を通したといったような印象だ。


 さらにバイクを走らせると頭上に巨大な高架が現れた。


(東名かな?)


 鉄道、東名高速、そして国1。


 この国の大動脈が一堂に会していた。


(……他に通せる場所無かったのかな)


 おそらく無かったのだろう。それとも一か所にまとめた方が効率が良いという判断だろうか。いずれにせよ、ここは交通のためだけの空間だった。


(海、近……)


 海が近い。防波堤の向こうの波消しブロックが頭をのぞかせている。この分では海抜も低い。台風の時に通ろうものなら、きっと雨粒と同じくらい波しぶきを浴びるに違いなかった。いや、そもそも通行できるのだろうか。


(そういえば、第二東名は東海地震で東名が使えなくなった時のために急いで作られたって聞いたことある)


 この巨大なコンクリートの塊が壊れるという未来は想像し難い。しかし万が一というのは何事にも起こりうる。ライフライン、移動手段が多いに越したことはない。


(ここが通れなくなったら確かにまずいな)


 と、ここでふと思い当たる。


 家康がどうしてこんなこじんまりした街で隠居していたのか。


(ここを押さえたら江戸には抜けられないな)


 この狭まったルートはもちろんだが、南には海、北には険しく深い山、西には大井川や安倍川があるという条件は守りに適している。同じ静岡でも、だだっ広い浜松ではそうはいかない。あのくらいの平地が、陣を置くにはちょうど良いのかもしれない。


(隠居といいつつ働いてたか、家康)


 江戸時代に思いを馳せる、そんな国1静岡区間だった。







 道沿いに【桜えび】の文字が現れる。ということはこのあたりは由比町だ。


 この街は桜エビで有名だ。時期になると桜エビを天日干しにすることで現れるピンク色の絨毯がよくニュースになっている。


 海側を高速道路が並走していて、フェンスの向こうでも車が行き交っているのが分かる。背が高い車のルーフがフェンス越しから見えていた。こちらの車の流れも十分早いが、やはり高速とくらべるとややのんびりとしているようだった。高速度が得意ではないらしいエストレヤだが、今のところ流れについて行けない瞬間は経験していない。エンジンにはまだ余裕がある。


 時計を見ると出発してから2時間ほど経過していた。最後に掛川で休憩してからだと1時間半程度を休憩なしで走っている。


(おしりが痛い。右手も痛い)


 ずっと座りっぱなしの握りっぱなしだ。おしりの方はたまに座る位置を変えて、右手の方は力を込める指を少しずつ入れ替えたりして誤魔化している。


(ロングシートがありがたい)


 ロングシート。運転手のおしりが乗るシートと、後部座席の人のおしりが乗るシートがひとつながりになったシートだ。シートが分割されていないため、おしりを据えるポジションを比較的自由にとれる。血の巡りの悪くなったお尻には焼け石に水だが、何の身じろぎもできないよりずっと良かった。


(休憩したい……)


 清水IC近くの下道で休憩できなかったのが悔やまれる。


(海も見えなくなるし)


 右手は背の高い防波堤になってしまったため眺めは良くない。堤防の斜面にペイントされたポップなイラストが気休めだった。


(富士山、まだかな)


 と、思いつつエストレヤを走らせていた、その時。


「!」


 道が唐突に橋の上に出た。視界が一気に開ける。足元にはやたらと幅の広い川が流れていた。進行方向に広がる市街地は、傾斜のついたに広がっている。街のいたるところから生える煙突から噴き出す水蒸気は、この街——富士市のシンボルの1つだった。しかし、そのシンボルより象徴的なのはほかでもない。


(見えた……!)


 静岡で見ようとした時に立ち込めていた雲はどこかへ消え去ったようだ。さらに今は雲はおろか、その姿を遮ろうとする山々すらない。市街地の建物などあれに比べれば蟻も同然だ。古くから絵画等に描かれ、今なお人々の関心を集めるその山が、高く青く美しくそびえていた。


(富士山だ!)




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