第40話 撥水


 ヘルメットフックにメットを掛けた。


 何気なく使っているヘルメットフック。装備されていないバイクもあるのでありがたい。カシャンと鍵をかけたちょうどその時、駐車場にDS400Cが滑り込んできた。フィリーだ。彼女はエストレヤの隣にマシンを滑り込ませる。ヘルメットを脱ぐと、笑顔を浮かべて片手を上げた。


「ハーイ」


「ん」


「待った?」


「いま来たとこ」


 よかったよかった、とフィリー。彼女もヘルメットをヘルメットロックにあずける。


「あれ、どこか行くんじゃないの?」


「すぐそこだし、さすがにまだ早いわ。お店覗いてかない?」


 時刻は11時を少し過ぎたところ。たしかに昼食を食べるには早すぎる。


 またしても人の返事も聞かずにフィリーは歩き出したのでその後を追った。背が高いせいか、彼女の1歩は大きかった。足は長く、使い込んでいるブーツは良く似合っていた。


 店に入る。休日らしい客入りのようだった。店のどこを見ても人影がある。

 フィリーは店員さんたちと顔見知りらしい。彼女を目にしたとたんに店員さんたちは笑顔を浮かべ、軽い世間話が展開される。フィリーの圧倒的コミュ力を感じた。


 彼女が立ち止まったのはヘルメットコーナーの手前だった。棚にはスプレー状のものを中心に、【塗るだけ!】【長持ち!】などと主張する何かのパッケージが並んでいた。


「何か買うの」


「んー、撥水はっすい剤。もうすぐ梅雨じゃない? だからメットのシールドに塗ろうと思って。急に雨降ってきて、シールドに水滴が付いちゃうと運転どころじゃなくなるのよね」


「風で流れてかないの」


「ムリムリ! 風で飛ばされるぐらいならこの世の車にワイパーとかいらなくなるわよ。バイクのシールドにワイパーとか無いんだからなおさら必要」


 撥水剤。

 つまり水をはじくようにする薬剤のことだ。塗ったり吹き付けたりすると、水が付着しにくくなる。そうすると風や振動で水が流れ落ちていってくれるのだ。ヘルメットのシールド(顔の前にある透明だったり少し色がついていたりする部分。視界を確保しつつ風避けになる)は、想像以上に雨粒が張り付いて落ちないらしい。当然視界の妨げになり、運転の障害になる。そのためシールド用の撥水剤に加え、ワイパー代わりになるゴムヘラのついたグローブなんかも販売されていたりする。実物も見せてもらった。


(そんなに見えないのか……)


 雨になると知っていてエストレヤを走らせるつもりは今のところない。しかし突然の雨に見舞われないとも限らない。服が濡れるのはまあ良いとして、視界が制限されて事故に遭うのは全然良くない。


「私も買う」


「メグも買うの? どれ?」


「よくわからないからフィリーのと一緒のにする」


「イエーイ、おそろいー♪」


 フィリーは手に持っていた商品をこちらに渡し、本人は新たに同じ商品を棚から取り上げた。


「私は今日ほしいのこれだけだけど、メグは他に何かみる?」


「洗車の道具が見たい」


「オッケー。洗車動画もけっこう再生数稼げるのよねぇ。ね、別々の製品買ってみて試してみない? 動画にしたい」


「なんで再生数稼げるの?」


「百聞は一見にしかず」


 フィリーがスマホを取り出して自分の動画を再生する。下は迷彩柄の短パンで、上は白いTシャツの裾を結んだへそ出しルックのフィリーが洗車をしていた。インナーは下着ではなく水着のようだった。洗車中にしゃがめばヒップや太ももが強調され、屈んだりすると胸の谷間が見えそうになる。水で濡れた白いシャツは透けて水着の模様が分かるようになっていた――いや、洗車程度でそんなずぶ濡れにはならないだろう。さてはワザとか。


「BANされてしまえ」


「えぇー? 大丈夫大丈夫。BANされそうなシーンは編集して動画にしてるから」


「動画はダメ。少なくとも私は出ない」


「そんなぁー!」


 私を説得しよう背後でごちゃごちゃ言っている彼女を尻目に、洗車用品を物色する。バケツとクロスは家にある。洗剤はプライベートブランドのが安かったのでそれにした。あとはテキトーにスポンジとブラシを選んだ。


「ほら、お昼行くんでしょ」


「あぁん、待って~」


 店を出る私を、諦めきれないフィリーが涙目になって追って来ていた。





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