純喫茶「集い」
西川笑里
第1話 友情は
まだあった。
俺は、そのレトロな構えの喫茶店の前で立ち止まっていた。学生時代はいつもこの店で友達とくだらない時間を過ごし、気が向いたときだけ大学に授業を受けに行った。この店の前に立つだけで、青春時代が一気に蘇るのがわかった。
店に入るのをためらっていると、「カランカラン」と大きな鈴のような音を立てて、この店に似つかわしくない女子高生が3人何事か言いながら出てきて立ち去って行く。
……客層が変わったのか?
一瞬ためらったが、俺は意を決して昔と変わらぬ重い扉を押して、この昭和くさい、懐かしい「純喫茶 集い」に入った。
「いらっしゃい」
少し渋い男性の声が、薄暗いカウンターの向こうから聞こえた。店内に流れている音楽が昔と変わらずジャズであるのはうれしかった。
まだ背中しか見せていないが、カウンターの向こうにいるのは、かつて俺たちが「マスター」と呼んでいた、あの髭面のオヤジではないようだ。
とりあえずカウンターの端の席に座る。メニューをチラリと見る。昔とほとんど変わらない。
「キリマンジャロを」
そう言いながら、店内を見回してみる。7席ほどのカウンターとテーブル席が5つ。昔と変わらない感じが懐かしい。あの1番奥のテーブルが俺たちの指定席だった。書棚の陰の隅の席に、惚れたあの子がいつも座っていたな。
今日はテーブル席に数人の客がいたが、店内はほとんど学生時代と変わっていない。壁に貼ってあるポスターだけが時代の移り変わりを感じさせるぐらいか。
もちろんと言ってはなんだが、ウェイトレスの姿はない。さっき店から出てきた女子高生たちはバイトの子かと思ったが、それが必要なほど流行ってないところも昔のままだった。
「今頃遅えんだよ。今さら迎えにきてもお前と起業なんかできねえぞ」
俺が店内に想いを馳せてると、ソーサーをカウンターに置く音とぶっきらぼうな男の声が聞こえた。
振り向くとカウンターの中にいたのは、俺が裏切ってしまった、かつての親友だった。
「なんでお前がいんだよ」
俺は思わず口に出してしまった。
「なあに、2人で起業しようってやつの言葉を信じて就職活動をしてない俺を置き去りにして、さっさと逃げちまったやつがいたからな。あれからずっと行くとこがなくてここにいるんだよ」
怒っているのか笑っているのかわからない目で、やつは俺を見ていた。
「なんだよ、地縛霊かよ」
「似たようなもんさ」
会話が途切れ、次の言葉を探したがうまいこと言えない。
——まさかいるとは思わなかったよ。
俺はそう言いかけたが、言葉を飲み込んだでしまう。
——そうじゃない。ここは、すまん、だろう。
そう思いはするが、素直に言葉に出ない。
「叔父貴からな、引退するから跡を継げと言われてな」
カウンターに肘をついて奴が話し出した。
「叔父貴って、あの髭のマスターはやっぱりやめたのか」
「ああ、俺の親父よりだいぶ年が離れた兄貴だったからな。潮時だったんだろう」
「それにしても、お前に継がすとはマスターもえらい賭けに出たな」
「バカにするなよ。あの頃よりもこの店のメニューは増えたんだ。俺の才覚だな」
得意げに奴が言う。
「何があんだよ」
「よく聞けよ。レトルトのカレーさ」
「はっ。せめてウインナコーヒーぐらい客に出す店にでもなったのかと思ったよ」
「なんだよ、青臭え。もしかして、まだ彼女に未練タラタラかよ」
友情は一生もん。誰かがそう言ってたな。このくだらない会話ができるのが友情だってことなら、確かにそうなんだろう。どうやらこのコーヒーが冷めるまでは話が続きそうだ。
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