第1話 かけだし司書と《諸都市の女王》


 そして時はしばさかのぼる。



 ※


この薄暗い室内に、さらさらと、ペンを走らす音だけがひびいている。



『――7年前、聖王国せいおうこくに「厄災やくさいの年」が訪れた。海には海賊が跋扈ばっこし、ある報告によれば、略奪により一都市に匹敵する人命と財産が失われた。西の国境では夷敵いてきが聖王国の連合軍を粉砕した。


 だがそれは神王しんおうが失われ、聖王国の六国りくこくが抱く聖君の座が空位となったことに比べれば大したものではない。いま現在をもって神君しんくん戻らず。六国は分裂し、光の都はくらき廃墟となり果てた。対して北の帝国の脅威は増すばかりである。――』



 パピルス紙に最後の一文字を書き終えると、わたしは大きくのびをした。



「……よし、できた〜!」



 わたし、神城みわしろあかり――もと「日本人」、文学部史学科卒の「元」女子――は、漆喰しっくい塗の小部屋で、あんまり女の子らしくなくうめいた。


 かれこれ数時間、机に向かって「」をしていたわたしは、肩が凝って凝ってたまらない。鵞ペンをインク壺にさすと、腕をまわしてコリコリの体をほぐす。


 気がつくと、もう日は中天をまわっているようだった。


 わたしは子供のころから集中すると周りがまったく見えなくなるタイプだった。ただこの「異世界」に来てからはそれに拍車がかかったのを自覚してる。


「の、のどがかわいた……」


 誰もいないのに独り言をつぶやき(これも天性のように身についた習性だった)、部屋の隅に置かれた「アンフォラ」のとこにのたのたと歩いていく。


 「アンフォラ」というのは、陶器でつくられた首の長い容器である。

 見た目、ちょっと倒れてしまわないか心配になる形をしているのだけれど、もちろん現在では使われていなくて、私もこの「異世界」で初めて実物を見た。

 現代どころか中世でも珍しく、古代ローマの図説本とかでしか見たことがなかったものだ。


 そのアンフォラからワインを青銅の杯に注ぎ、水で薄めて飲む。

 わたしはお酒は強くないのだが現代のワインより薄く、水代わりに飲むことができる。


 陶器から水分が蒸発するのと製造技術がいまいちなのかわからないが、ひどく甘口で、あと何か混ぜ物がしてある。このワインはわりと上等だよとこの部屋の持ち主が言っていた気がするのだけれど、正直アレだった。


 ……まあ、異世界転生して拾われた身としては贅沢は言えないよね。


 目がシバシバするので、窓(といっても窓枠もガラスもなく、壁に四角い穴があいているだけ)から身を乗り出して外を見る。


 南国特有の強い日差し、地中海のような白い建物……なのだが、その壁は極彩色のあざやかな神話のレリーフが描かれている。


 遠くにはおだやかに凪いだ鏡のような深い蒼色の海と、白い雲がたなびく。

 港の方からは、にぎやかな喧騒が風にのってとどいてきた。

 ニャア、ニャア、というカモメの鳴き声と、潮風のにおいがする。



 ここにきて、(たぶん)数か月。

 ようやくなじんで好きになってきた、この都市は“女王たちの都”ノチェットといった。


 ※


 ノチェット市は、この世界最大の人口をもつ港湾都市だ(と、わたしの拾い主が言っていた)。



 世界各地から船乗りたちがやってきていて、ちょっと離れたところにある港湾地区はとてもにぎやかだ。なんでも都の人口の3分の1は外国人らしく、西方セシュネラ東方クラロレラ、また遠くは南の大陸パマールテラからはるばるやってきて住み着いているひともいるのだという。


 とはいえ、その人口は、どうやら「10万人ぐらいしかない」らしい。



 江戸とか古代ローマとかの人口100万はいかないにしても、ネットでしらべたときに古代世界のアレクサンドリアとかでも確か20万とか30万人ぐらいは住んでたと思う。


 現代日本でいえば、人口10万人なんていうのは地方都市レベルである。



 ……でも、戦国時代の京都とか古代中国の長安とかも5~6万ぐらいだったような気もしたので、昔の都市というのはこんなもんだったのだろうか?

 それとも、この世界は未開で、人口が少ないのだろうか。


 よくわからない。


 こちらに来てからというもの、自分の勉強不足が痛感できる日々だった。



 この世界では「知識の神」に仕えることになったというのに、こんなに無知でいいんだろうか、と思ったりもする。


 ……そう、神様。


 典型的な日本人らしくまったく無信心だったわたしが、まさか「神に仕える」日がこようとは思わなかった。



 でも、それは、生きるため。具体的には仕事をするため。


 ――書類仕事をするには、知識の神を信奉する必要があるのだ!


 働かざるもの、食うべからず!——これは異世界でも不変の真理なのであった。


 さきほど古代ローマといったが、この世界はどうやらいわゆる「中世ヨーロッパ」風の世界ではなく、もっと古代世界に近いようだ。

 陶器甕アンフォラにしても、カップが青銅製なのにしても。こちらに来てこのかた、鉄や鋼のものを見たことがない。あとジャガイモも見たことない。トウモロコシも。


 この世界がわれわれの世界でいえば紀元前の世界の文明レベルに近い。クレタ文明だとか、古代エジプトだとか、そのあたりの水準なのだろう。


 まあ、わたしは大学では専門は中国史をやったので、古代ヨーロッパ(……の方が近い世界だとおもう)にはあまり詳しくない。というか、ゼミでもそんなに身を入れて勉強をしたわけでもなく、大学院にも「興味はあるけど学者としてやってけるとは思わないな~」という理由でいかずに就職したクチだった。


 元の世界では、少年誌に連載されていたバイキングの漫画を読んでいた程度だ。

 いや、でもあれも古代でもなかったな。


 ……なんの話だっけ。

 そうそう、信仰の話。


 中国でいえば、最古の王朝である(※諸説あります)いん王朝とか、そのあとのしゅう王朝の初期ぐらいまでとかもそうなんだけれど、古代では「職業」と「信仰」が分化していないことがままある。王様は国の最高神官だったりするやつだ。


 そういったわけで、この世界では「文字を扱う仕事をする」には「知識の神の信者である」必要がある。

 知識の神の神殿が、文字の管理をとりしきっているのである。


 わたしの就職先(予定)の、「大図書館」が、その神の神殿でもあるのだ。


 ……と、


(くぅ)


 とおなかがなった。



「……おなかがへりました。」


 またひとりつぶやく。



 基本、こちらは基本一日二食。


 でも習慣で昼すぎには小腹が減ってしまう。すきっ腹にワインを飲んでまた余計におなかが減ってきたみたいだ。


 写本で頭も使って糖分がたりない気がする。

 どっかに買い食いにいこうかな、と思っていると、入り口の飾り布をもちあげて、ひょっこりと優男さんが顔をだした。


「アカリさん、調子はどうですか?」


「あれ? パヴェルさん、こんにちわ?」


 予期せぬ来客にびっくりしながら、わたしは短かったOL生活で身につけた営業スマイルを駆使しつつ、先ほど完成させたの写本の束を手渡した。


「ええ、頼まれた書類は片づけてありますよ!」



 この人はパヴェルさん。


 異世界でゆきだおれていたわたしを拾ってくれた好青年だ。

 彫りの深い顔立ちをして、南国らしく浅黒い肌。


 おなじ知識の神ランカー・マイに仕える身、ということになるが、彼は「大図書館」の司書をしているので、わたしよりかなり偉い。歳は20歳にとどかないだろうが、立派な長いひげをたくわえている。ひげはきれいに手入れされていて、彼の几帳面さと育ちのよさを表していた。

 実際、彼は大金持ちの家の出なのだ。


 パヴェルさんは一通り目を通したあと、うなづいた。


「すごいですね。けっこうな量あったんですけど……。じゃあ、これはごほうび」


 と差し出してくれたのは、お盆にのった冷製のお肉のスライス(たぶん豚肉の茹でたの)とちょっと固くなったパン。それと豆のスープと、ぶどうとイチジクだった。


「港のほうの市場でもらってきました。また、おなかをすかしているんじゃないかと思いまして。でも健啖家のアカリさんには足りなかったかな?」


「いえ、すばらしいです! ありがたくいただきます!」


 文字通り小躍りしてしまった。

 のだけれど、はっと気づいてさすがに恥ずかしくなった。


 咳ばらいをして、昼食に手をつける。


「いただきます」


 両手をあわせる。合掌。


 ぱくり。


 うん、この豚肉にかかっているソースはなんだろう。魚醤かな? おいしい!


 パンは豆スープにつけてやわらかくしてからいただく。ちょっとナッツのような、蕎麦のような香りがして、甘みがあった。

 もしかすると、小麦が現代のとは種類がちょっと違うのかもしれないな~。


 などと、一生懸命に昼食をやっつけているわたしをみて、パヴェルさんは目を細めて笑った。


「その、食事の前に手をあわせているのはなんですか?」


「え? あ、ああ。以前にいたところの習慣なんですけど、……気になります?」


「いえいえ。……あの異世界からやってきた、というのは本当なのかな。見た目はふつうのエスロリア人に見えるのだけれど」


 あとの方は口の中のつぶやきみたいなものだった。

 聞こえないふりをして、もくもくと食事を口に運ぶ。


 パヴェルさんはそれからは何も言わず、じっとわたしのことを観察していた。



 そう、わたしの外見は、この世界にきたときに変わってしまっている。


 典型的な日本人文系女子だったわたしは、こちらの世界では推定年齢で14~15才くらいの、オリーブ色の肌の美少女(自称)になっていたのだ。


 銅鏡に写してみた姿は、だいぶ可愛いといってもいいと思った。



 不思議なことに、この世界の言葉はすっと理解できたし、彼の教えてくれた文字だとかもすっと頭に入った。

 これがチートスキル?というやつなのかは、よくわからない。



 そうこうするうちにお昼を食べ終わり、また手をあわせて「ごちそうさまでした」をする。


「おいしかったです。……えーと、写本は終わりましたけど、まだ何か仕事はありますか?」


 人心地ついたわたしは、パヴェルさんに仕事熱心さをアピールしてみる。


「ええ、じつはですね。仕事ではないんですけれど、わが家の女主人があなたに会いたいと言っておりまして……」


 おっと、珍しく図書館勤めのパヴェルさんがわざわざ顔をだしたと思ったら、そういうことだったのか。


 パヴェルさんは、ノチェットの名門氏族のひとつ、デリーオス家の一員だった。


 わたしが部屋を借りているこの館もその邸宅のひとつ。その大家さんであるデリーオス家当主が面会を求めているという。断れるはずがなかった。


「わかりました。湯浴みをしてからお伺いいたしますとお伝えください」


 目上の人に会うのにいちいち湯浴みをして着替えないといけないのは面倒だが、ところどころにインクの飛びちった服で会うわけにはいかない。

 あと、礼儀として、こういった場合は礼装を着なくてはいけないのだ。


 パヴェルさんは、にっこりと笑った。


「大広間でお待ちしてます。下女を呼んでおきましたので、お使いください」


 優雅に一礼をしてパヴェルさんは部屋を出ていった。

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