第9話 若社長と花火大会クルーズ!

 前回までのあらすじ。

 私と社長が会社公認のカップルにランクアップした。

 社長とお花見デートに出かけた。

 あと花火大会の約束をした。

 

 社長――スバルさんと付き合い始めてもう数カ月は経った。

 季節は巡り、気づけば夏真っ盛りの八月である。

 「随分先の約束をするんだな」と思っていたが、いやはや時が経つのは早いものだ。社会人は忙しいのもあるだろう。時間なんてあっという間だ。

 そろそろ花火大会の時期が近づいている。八月中旬あたりに、港町で海に船を浮かべて、そこから花火職人が花火を上げるそうだ。

 その間も相変わらず私たちは昼休み、会議室に集まりカードゲームに興じたり、ふたりきりでおうちデート(ゲーム漬けコース)を満喫したりしていた。

 『そういうこと』をしないのか? と、スバルさんの家にいたときに訊いたことがある。

 「したいんですか?」

 「いえ、別に」

 「わたくしは婚前交渉はしない主義ですので、決してこずえさんに魅力がないわけではありません。誤解なきよう」

 あ、そうなんだ。

 スバルさんは決して無欲なわけではなく、むしろ独占欲にあふれていて、必死に我慢している状態だという。

 こわ、なるべく刺激しないようにしよう、と私は思ったのだった。

 「明日の約束、忘れておりませんよね?」とスバルさんが確認する。

 「もう明日ですか。あっという間ですね」

 「また車でお迎えに上がりますね」

 「でも花火大会はけっこう混み合いますし、車を停める場所もないのでは?」

 「ご心配なく。運転手を用意しております」

 お抱えの運転手がいたのか。今までスバルさんが自分で運転してたから初耳だ。金持ちすごいな~。

 私は完全に他人事のように聞いていた。

 そして、花火大会当日。

 その日は会社は休みだった。私はせっかくのお祭りだし浴衣でも着るか、と思い立った。LIMEでスバルさんに連絡すると、彼も浴衣を着てくるということだった。浴衣でデート。うーん、風情がある。

 私は着物の着付けはできないが、最近の浴衣は着脱が簡単なものがあって、帯なんかもワンタッチで装着してあとは結び目に見せかけた装飾をうしろにつけるだけである。便利な時代になったものだ。

 浴衣を着終わって、時間が来ると、やはり約束の時間ぴったりにスバルさんの車が到着した。

 「こずえさん、素敵な浴衣ですね」

 車の後部座席から降り立ったスバルさんは、藍色の美しい仕立ての浴衣を着ていた。スバルさんが着る服はどれも高そうに見えるし、実際高いんだろうなとは思う。

 「スバルさんこそ……」

 浴衣が似合いすぎて直視できない。社員旅行のときも思ったけど、和服も似合うんだよなあ。ずるい。スバルさんずるいな。ずるい。

 今日は運転席には制帽をかぶった、いかにも運転手然とした服装の誠実そうな壮年の男性が座っていて、私とスバルさんは並んで後部座席に乗り込んだ。

 「影山、出してください」

 「はい」

 影山と呼ばれた男性は制帽をかぶりなおすとハンドルを握り、車を出す。影山さんの運転は静かでスムーズで、スピードを出しすぎるということもない。ほとんど車体の揺れもなく、乗っていて安心できる運転テクニックだった。スバルさんの運転に似ている。

 「花火の前に、屋台でも回ってみますか?」

 というスバルさんの提案で、屋台の並ぶエリアに降りた。

 「わたくしたちは歩いていきますので、影山はわたくしの家に戻って待機していてください。迎えが必要になったら電話します」

 「かしこまりました」

 そう言って、影山さんはスバルさんの車で走り去った。

 「スバルさんって、こういうお祭りとか来たことあります?」

 「いえ、アニメなどで知識はありますが、実際に来るのは初めてです。いろいろとご教授ください」

 スバルさんと一緒に屋台の立ち並ぶ道を歩いた。スバルさんは何にでも興味を持つ子供のように、キョロキョロと忙しない。

 「あれがわたあめですか、実際に作っているところが見られるのですね」とか、「金魚すくいに興味があるのですが、水槽を用意しないといけませんね……」とか、そんな話をしながら屋台を覗いて歩く。

 「あ、あれやってみたいです」

 スバルさんが指をさしたのは、射的屋だ。

 「こずえさんは、何か欲しい商品ありますか?」

 「じゃあ、あのぬいぐるみを」

 「わかりました」

 この射的屋は、コルク銃ではなくBB弾を撃ち出す拳銃タイプのエアソフトガンを使う形式らしい。珍しいな。

 まあ、コルク銃だろうがエアソフトガンだろうが、狙いを定めるのは難しい――

 パァン。

 スバルさんは見事にぬいぐるみにヘッドショットを決めて、棚から落とした。

 「えっ」

 私は驚いてあんぐり口を開ける。射的初めてじゃないの?

 「ふふっ、ハワイで射撃訓練を受けたことがあるのですよ」

 うわー、いかにも社長っぽいエピソード。

 と思いつつ景品のぬいぐるみをスバルさんから受け取る。

 「こずえさんもやってみたらいかがですか? 撃ち方お教えしますよ」

 と言われたので、スバルさんのご指導を受けることにした。

 「身体を軽く前に傾けて……肘と膝は軽く曲げて……利き手のほうの足を少し下げて外側に向けて……」

 文字通り、スバルさんに手取り足取り教えられている。

 「銃の前と後ろの出っ張りを合わせるようにして……そう。それで撃ってみてください」

 パァン。

 私の銃は狙いをそれた。

 「惜しいですね」スバルさんが笑う。

 いや、だって、周りがジロジロ見ていて集中できない。

 こんなイケメンが拳銃撃ってたらそりゃみんな見るよな。私だって見る。

 「す、スバルさん、そろそろ行きましょうか」

 「まだ回数残ってますよ?」

 「もうぬいぐるみはいただいたからいいんです」

 ぬいぐるみを片手で抱え、もう片方の手でスバルさんの手を握る。

 スバルさんを引っ張るように人混みを抜けた。

 「――そういえば、こずえさんから手を握ってくださったのは初めてですね」

 振り向くと、スバルさんは幸せそうに笑っていた。

 

 ***

 

 私たちは、屋台の通りを抜けて港にたどり着いた。

 「ここらへんで花火を見るんですか?」

 「もっといいものを用意しております」

 そう言うスバルさんのあとをついていくと、船――というかクルーザーが停泊していた。

 ――船? ……船!?

 「クルーザーに乗って花火を見れば人混みを回避できるでしょう?」

 発想が完全にセレブのそれ。いや、そういえばこの人、金持ちだった。

 「このクルーザーもスバルさんの所有物なんですか?」

 「いえ、父から借りてきました。先ほどの影山という運転手もこのクルーザーを操縦してくれる方も父が雇っている者です」

 お父様も金持ちなのか。そういえば会社内の噂でスバルさんのお父さんは藤井コーポレーションよりさらに大きな企業の社長だか会長だかやってると聞いたことがある。その時はふーんって感じだったけど。

 「花火が始まる前に船を出してしまいましょう。乗って」

 海に落ちないように気をつけながら、クルーザーに乗り込む。

 中は外観以上に広く、しっかり固定されたソファにテーブル、広いガラス張りの窓。花火を見るにはおあつらえ向きだ。

 私たちがソファに座ると、それが合図だったかのようにゆっくり船が出港し、動き出して少し揺れた。窓からだけではよくわからないが、沖を目指しているらしい。沖から花火を見る、ということなのだろう。たしかに人混みの苦手な私には助かるプランではある。

 沖についたらしく、また船が揺れて、止まった。

 「そろそろ時間ですね」

 スバルさんが腕時計を見て時間を確認すると、ヒューと花火が上がる音が鳴り、ドーンと音を立てて花火が開いてはパラパラと消えていく。花火大会が始まったのだ。

 「きれい……」

 私は思わずつぶやく。お祭りも花火も、いつ以来だろう。外に出たり、人混みの中に入るのが苦手で、なんとなく避け続けて何年も経っていた。

 でもスバルさんのためなら! と一念発起してこの日に臨んだのだが、まさかこんな方法で人混みを回避してくれるとは。

 ふと横に座るスバルさんを見やると、スバルさんは花火なんか見ていない。じっとこっちを見ている。

 「あ、あの、花火始まってますよ……」

 「花火なんかより、こずえさんを見ているほうがずっといいです」

 「何のために花火大会誘ったんです……?」

 私が疑問を呈すると、スバルさんは浴衣の袖から小さな箱を取り出す。

 スバルさんが蓋を開いて見せると、銀色に光る指輪が入っていた。

 これは、その、いわゆる――。

 「こずえさん。わたくしと、婚約していただけませんか?」

 ――プロポーズってやつだ。

 嬉しさで、くらりとめまいがする。

 「え、と、あの、……ふつつかものですが、よろしくおねがいします……」

 もうひらがなの台詞しか言えない。

 ほぅ、と安心したように息を吐いて、スバルさんはそっと私の左手を取る。

 左手の薬指に、……指輪をはめた。

 「絶対、ずっと、幸せにしますから……どうか、わたくしのそばを離れないでください」

 スバルさんは祈るように、私にはめた指輪に唇を落とした。

 じわ、と感涙しそうになる。ずっと憧れてきた、焦がれてやまない人と、今日、結ばれた。

 にじんだ涙を、スバルさんが舌で舐め取って、そのまままぶたに、額に、頬に、唇に、キスの雨が降る。いつの間にかソファの上で組み敷かれていた。

 「は……っ、こずえさん、こずえさん……」

 変なたとえだが、まるで助けを求めるように、スバルさんはキスをしながら何度も私の名前を呼ぶ。

 「スバルさん、私はちゃんと、ここにいますよ」

 私が目を細めてスバルさんの頬を撫でると、スバルさんは泣きそうな顔で私を見る。点滅する花火が、ふたりを照らしては消えていく。

 クルーザーでの夜は花火に彩られて更けていった。

 

 〈続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る