第7話 社員旅行に若社長がついてきた!
前回までのあらすじ。
社長宅でめちゃくちゃゲームした。
一晩中寝かせてもらえなかった。(ゲーム漬けという意味で)
社長の呼び名が「社長」から「スバルさん」にランクアップした。
せめて名字呼びの段階を挟ませてほしかった。
社長宅で一夜を過ごしてから一週間も経たないうちに「社長と能登原さんがマジで付き合い始めた」という噂――いや、噂っていうか事実なんだけど――は衝撃のニュースとして会社中を駆け巡った。ホントこの噂ってどこから情報漏れてるんだ?
その噂が流れた頃から、スバルさん――いや、やっぱり会社では社長と呼ぶべきだな――の周りに女子社員が今まで以上に集まるようになった(ファンクラブとは無関係の人たちのようだ。ファンクラブは私と社長の恋を見守ると言っていたし)。肉壁となって物理的に私が近寄れないようにというのと、こんな魅力の感じられない冴えない女がいけるなら私にだってチャンスはあるはず、と考える女たちがモーションをかけているのだろう。
私も会社内ではなるべく社長に近寄らないほうがいいかもしれない、と思っていた。もう嫉妬をぶつけられる覚悟はできてたけど、無益な火の粉はかぶりたくないのが本音だ。
そう思ってはいるんだけど……。
「こずえさん、お迎えにあがりました」
社長が今まで通り毎日昼休みに迎えに来ちゃうんだよなあ……!
なんか噂が広まってから、今まで以上に女子社員たちの視線というかプレッシャーが集まってる気がする。覚悟はできているとはいえ、私のノミの心臓は重圧に耐えられるだろうか。
「社長、社内では名字でお呼びください」
「ああ、失礼しました」
事務的に言うと、社長は笑う。絶対この人わざと下の名前で呼んだな。
「そんなことより、会議室に参りましょう。時は金なり、一分一秒たりとも無駄にはできません」
喫煙室に女子社員が押しかけて超満員になってから、社長は会議室を借りてそこでカードゲームをするようになった。
今まで喫煙室の常連だった男性社員は会議室ではタバコ禁止になってしまって、まことに申し訳ない気持ちである。
「社長、私たちもお邪魔していいですか?」
女子社員たちが恥ずかしそうに申し出る。
「社長にカードゲームのこと、いろいろ教えてほしいです」
「いいですよ。それではみんなで行きましょうか」
社長の周りに女子社員が群がりながら歩き、私は三歩後ろをついていった。
このまま私が立ち止まっていなくなっても、社長は気付かないだろうな。
ふと、そんな考えが胸をよぎる。
覚悟ができたとしても、私は私を簡単に変えられない。私は相変わらず臆病で、社長がいま私を好きでも、これからもずっと好きでいてくれるのか疑問に思わないでもない。
社長の周りを歩いている女性たちはみんなキレイに化粧して服もオシャレで、女の私から見ても魅力にあふれている。きちんと自分を磨いているのだと、尊敬の念すら覚える。
対して私はどうだ。趣味に没頭しすぎてオシャレのことなんて気にかけたこともなかった。化粧なんて最低限外に出られる程度でいいやと思っていたし、服もそのへんの古着屋で買った安物だ。
……いや、それならこれからオシャレを頑張ればいいんだ。社長の隣に立っても恥ずかしくない女になるんだ。
よし、と私は無理やりネガティブ思考を切り替えようと気合いを入れる。
「
声をかけられて、前を向く。
社長が振り返って、私を見ていた。
「どうしたんです? 立ち止まっていたら、うっかり置いていってしまいますよ」
――社長、私が立ち止まっても、ちゃんと気づいてくれた。
「は、はい! すみません!」
私は嬉しくて、小走りで社長に駆け寄るのであった。
***
そんなこんなで、一ヶ月経った、春。
今日は社員旅行の日である。
バスで旅館へ行って、温泉に入って、酒やらご馳走やらを食べて、軽く余興などをして日帰りで帰ってくる、というプランである。
今日のサプライズといえば、総務部のバスに何故か社長が乗ることになったことだろう。
「他の部署のバスが満杯で」ということだったが、まさか私と一緒に乗りたかった、とかそんな職権乱用的なことではないですよね……?
いや、それは流石に自意識過剰というものだろう。私は首を横に振ってバスに乗り込んだ。
「能登原さん、隣空いてますよ」
一番前の席に座っている社長が隣の席をポンポン叩く。
いやいやいや。
「社長の隣って普通秘書の方が座るものじゃないんです……?」
そう言って秘書課の方々を見ると、どうぞどうぞと言いたげに手でうながす。
ああ、秘書課の方々にはカードゲームを教えた恩を売ったからな……。
それでも座っていいものか悩んでいると、
「え~、ずるい! 私も社長のお隣座りたい!」
「私も!」
はいはいと女子社員たちが立候補する。
ああ、これは社長の隣の席争奪戦が始まる予感。
「じゃあ私、後ろに詰めますんで……」
私はそそくさと後部座席へ向かっていく。私がいつまでも通路に突っ立っていたらあとがつっかえてしまう。
「あ……」
社長が残念そうな声を出すのが聞こえて、胸がぎゅっとなる。
ごめんなさい、社長。まだ正面切って女子社員と対決する勇気がないんです。
覚悟とは、なんだったのか。
でも、昼ドラみたいにドロドロな女同士の戦いとか見たら、社長もドン引きだろう。私もそんなのの当事者になりたくない。
結局、バスが走り出す頃には社長の隣には秘書が座っていた。恋人(仮)である私が座らないなら秘書が座るべきだ、と判断したのだろう。女子社員たちの
後部座席に座った私の隣には、喫煙室で出会った男性社員のひとりが座っていた。
「あれから、なんかレアカード引けた?」
「そうですね……『悪魔の証明』とか『神殺しのニーチェ』とかですかね」
気さくに話しかけてくれる男性社員に、私も気軽に答える。
「マジか! うわ~見たいなあ。でもこのバスWi-Fi飛んでないっぽいんだよなあ」
『マジック&サマナーズ』は結構容量も大きいしデータ量も食う。Wi-Fiの飛んでない車内で開こうものなら私の1ヶ月分のデータ量の半分は持っていかれるだろう。
「旅館にフリーWi-Fiあるといいんですけどねえ」
「ま、モノ食ったり余興大会とかやってたらスマホ見てる時間どのみちないかもなあ。今度、会社で見せてよ」
「はい」
喫煙者とは思えないほど白い歯を見せてニカッと爽やかに笑う男性社員。いい人だ。私もつられて笑顔になる。
バスはやがて目的地の温泉旅館に着いた。
***
旅館に着いてから、私たち総務部の社員たちは温泉を満喫した。
温泉は久しぶりに入ったけど、やっぱりいいものだ。日頃の疲れがほぐれていくようだ。
浴衣に着替えて、火照った身体を廊下で冷ましていると、向こうからイケメンが歩いてきた。ああ、社長ですね。わかります。
「あ、こずえさん」
――社長、浴衣、似合う。
いつものスーツ姿もいいけど、こういう和の装いもいいなあ、なんて思ってしまう。
……そういえば、私この会社に勤めて三年目だけど、社長が社員旅行についてくるの初めて見たっていうか、そもそも参加してましたっけ?
まったく記憶にない。いや、もしかしたら別の部署の旅行についてたのかもしれないけど、少なくとも私が総務部に配属されてからは初めて見た。
「雰囲気の良い旅館ですね。眺めもいいし、温泉も気持ちよくて」
私の疑問なんてまったく関知せず、社長は廊下の窓から外を眺めながら言う。
オーシャンビューというのだろうか、海がすぐ近くにある。春の海は穏やかに凪いでいる。ザザ……ンと波の音が周期的に聞こえてくる。
「こずえさんと、どこか出かけたいな……」
社長が独り言のようにつぶやいた。
「……社長。名字で呼んでください」
「おや、ここは会社ではないですよね?」
「そういう問題ではないです。社員旅行なのですから、業務時間です」
「まあ、そうですけど」
社長は苦笑いをする。
「なんだか最近の能登原さんは、以前よりもよそよそしくなりましたね」
そう言われて、グサッと何かが刺さった気分だった。
「……すみません」
「ああ、そんな顔しないでください。別に責めているわけではないんです」
うつむく私に、慌てた声を出す。
「なにか、わたくしに言えない悩みでもあるんでしょうか?」
「……そんなところです」
社長を狙っている女性たちと奪い合いをしなきゃいけないことに胃痛を感じてるなんて、本人に言えないよなあ。
「なら、無理には聞きませんが……つらくなったら、いつでも頼ってくださいね?」
そのためにわたくしはここにいるのですから。
そう言って微笑む社長の顔は、どんな絵画よりも美しいと思った。
「そろそろ宴会場に行きましょうか。どんな料理が出るか楽しみだな」
社長が腕時計を見ながら言う。浴衣の袖から見える腕がなんか新鮮だ。スーツのときはほとんど露出のない人だから。
私と社長はふたり並んで宴会場へと向かった。
***
宴会場。
日本酒やビールが卓の上に所狭しと並べられている。
ステージではカラオケ大会が開催されていた。
鯛のおかしら付きの刺し身なんて食べる機会めったにないので、歌を聴きながらついつい食べてしまう。
「能登原さんは歌わないんですか?」
ちゃっかり隣に座っている社長が訊ねる。
「あ、私ヒトカラ派なので、人前ではちょっと」
「そうですか……」
社長がちょっとシュンとした顔をしている。またそんな上目遣いでこっちを見て……。
「そんな顔しても歌いませんよ」
前までは自覚のないイケメンだと思ってたけど、絶対この人自分の顔の威力を理解してて武器にしてるよな。
私はだいぶ社長のことが分かってきた気がする。
「しゃちょー、なんか歌ってくださいよ~」
酔いの回った女子社員が社長にマイクを渡す。
「え? わたくしですか? いいのかな……」
社長は困惑した顔をしている。もしかして音痴だったりするのかな。
「これで曲を選ぶんですよ」
手渡されたタッチパネル式のリモコンを操作して、社長はステージに立った。
「社長、何歌うのかな?」
「ヂャヌーズとか似合いそう~」
女子社員はキャイキャイとはしゃいでいる。
私も社長の歌には興味がある。
カラオケの歌詞を表示するためのテレビ画面に――
『鮮血の十字架』という不穏なタイトルが表示される。
「???」
「???」
「???」
宴会場の社員一同、はてなマークが頭に浮かんでいる。私もこの曲知らない。
「よろしくお願いいたします」
おどろおどろしいイントロをバックに、社長が礼儀正しくペコリと頭を下げる。
そして、イントロが終わって、曲が始まると――
「ヴァァァァァァァァァイ!!!!!!」
社長が突然、デスボイスでシャウトする。
「!?」
社員たちの間で動揺と困惑が広がる。
そのまま歌は続き、「十字架を
それがしばらく続いて、どうやら曲は終わったらしい。
「――ありがとうございました」
社長は歌い始めと同じく、ペコリと頭を下げた。
社員たちは呆然としていた。女子社員は明らかにドン引きしている。それはそうだろう。応募すれば間違いなくヂャヌーズに加入できそうな端正な顔をして、少女漫画の世界から間違えて現実世界に来てしまったような華奢な身体の男性が、こんなヘヴィーなメタルを歌ったら、まず驚く。
一方の私はといえば。
か……か……
「カッケーーーーーーー!!!!!!」
私の言葉は同様の言葉を叫ぶ男性社員たちの叫びにかき消される。男の子が好きなものは、たいてい私も好きである。
「ちょ、社長~! どっからそんな声出るんすか!?」
「デスボでシャウトして声枯れてないし!」
「喉が傷まない発声法があるのですよ」
カメラを向けられ、男性社員とダブルピースしながら社長は満足そうに笑っている。ダブルピースしてる社長可愛い。
ふと、社長が私の方を見て、笑った気がした。
――私に聴いてほしかったのかも、なんて思うのは、自意識過剰だろうか。
私は社長に微笑み返して、隣に戻ってきた社長に水を渡すのだった。
***
宴会の最中、私はひとり宴会場を抜け出した。
外の空気が吸いたかったのと、お土産屋さんを
社長はスマホに着信があったらしく、一足先に外に出ていたが、今はどこにいるんだろう。
お土産屋さんはたしかあっちだったな、と目星をつけて廊下を歩く。
「――社長、お話があります」
廊下の角を曲がろうとすると、女の声が聞こえて、思わず身を隠す。
廊下の影から覗き込むと、社長と女子社員がふたりきりで会話しているようだ。
「能登原こずえさんとの噂、本当なんですか」
「本当だと言ったら?」
「私にチャンスはありませんか」
――あっ、これ、告白タイムに出くわしてしまったやつだ。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は来た道を戻るべきか迷う。
「残念ながら、わたくしはもうこずえさんしか愛せません」
そう言って、社長は左手を女子社員に見せる。
――左手の薬指に、銀色の指輪をしていた。
……???
女子社員より先に、私のほうが混乱している。
私は、社長と結婚していた……?
いや、自分の左手を見ても、指輪はしていない。そもそも、もらった覚えもない。
「他の女子社員の方にも、お伝え下さい。わたくしはもうこずえさんのものだと」
「……」
「それと……こずえさんに手荒な真似をしたらわたくしが許さない、とも」
「……失礼します」
女子社員は走るように去っていった。多分目に涙を浮かべていたと思う。廊下の角に隠れていた私には気付かない様子で、宴会場の方向へ戻っていく。
「しゃ、社長……?」
「ああ、こずえさん。そこにいらしてたんですか」
言ってくださればいいのに、と社長は笑う。いや、言えませんよあんな状況で……。
「その指輪はいったい……?」
「ああ、これですか? 家にあった指輪を適当につけてきました」
社長はあっけらかんと言う。
「えっ、――
「? 騙してませんよ。わたくしは左手を見せただけで、向こうが勝手に勘違いしたのです」
いや、たしかにそうだけど、でも左手の薬指に指輪してたら誰だって結婚か婚約でもしたと思うだろう。
「……社長は悪い男ですね……」
「こずえさんにそう思われるのは心外です」
またシュンとした表情をして、上目遣いに私の顔を覗き込む。この顔をすれば私が折れると思っている。本当に卑怯だ。
「まあ、いずれ婚約指輪を作りに行きましょうか。――受け取ってくださいますよね?」
社長は私の左手を取り、薬指の付け根をそっと撫でる。社長に触れられていると思うとゾクゾクした。
***
社員旅行はつつがなく終了した。今はバスに揺られて、会社に戻って、そこで解散。今日は業務はないのでそのまま帰れる。
帰りのバスの中で、私は社長の隣に座っている……というか、社長に強引に座らされたというか……。
カラオケ大会での社長の変貌ぶりにドン引きしたのと、社長に告白した女子社員がきっちり他の女子社員に伝えたらしく、誰も社長の隣に座りたいとは言わなかった。
「楽しかったですね、社員旅行」
社長はドン引きされていることも気に留めず、私に笑いかける。
「私は胃が痛いです……」
「おや、鯛のお刺身にでもあたったんですかね」
社長はとぼけたことを言う。
「――もう邪魔者も消えたんですから、大丈夫ですよ」
社長は周りの誰にも聞こえない音量で、耳元にそう囁いた。
なんか今日の社長、怖い……。いろいろ怖い。
多分今日のことは、会社中の女子社員に伝わると思う。
たしかに、もう女子社員とドロドロの死闘を繰り広げる心配はないんだろうけど……。
「社員旅行の次の日は休みですよね? また私の家に来ませんか?」
社長が小声で私に話しかける。バスのエンジン音で、隣りに座っている私以外には聞こえないようだった。
「いいですけど……もう百年もすごろくはやりませんよ」
『浦島太郎鉄道』のことである。あれはものすごく疲れる……。
「そうですね、あれはもうこりごりです。何して遊ぼうかな……」
ゲームの話をしているときの社長の少年に戻ったような顔も好きだ。
「なんでしたら、指輪を作りに外に出かけるのもいいですね」
「……あ、あれ本気だったんですね……」
「もちろんです」
社長は蜂蜜のようにとろけた笑顔を浮かべる。――この顔はやばい!
「婚約どころかこのまま結婚してしまいたいくらいです」
「……っ」
なんか、今日の社長、やけにグイグイ来るな。
頭の中は冷静だが、顔が熱くなっているのが分かる。
「……ああ、すみません。バスの中でプロポーズはちょっとシチュエーションが良くないですね。後日改めてプロポーズするので忘れてください」
できるかーい!
私は脳内でツッコミを入れた。
そんなこんなで、社員旅行は幕を閉じたのであった。
〈続く〉
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