第26話 その三

 朝食の後、男達はこれから神殿に向かうと言う。

 今日は礼拝の日というわけではないが、「神殿関係者」として入国しているので、別に可笑しい話ではない。

 ただし、彼らは何かそわそわしているように思えた。それに、酒の臭いもする。

 法国の神官も酒は飲む。ただし、嗜む程度でそんなに深酒はしない……の筈だが、明らかにそのレベルではなさそうだ。


 神殿に着くと、礼拝は程々に、視察団のリーダーたるフィリップがこの神殿の司祭と思われる男性となにやら話し込んでいる。フィリップは熱心に話しているのだが、司祭は関わりたくないのか? 手を横に振って顔を背ける。

 いったい、どんな話をしているのかとナタリアは耳を澄ます。

「――こちらは神官長の指示で動いているのだ。遂行の為にはもう少し金がいる」

「だからと言って、こちらも寄付が集まらず、他に回せる金などないのだよ」

「何故、寄付が集まらない?」

「それがわからないのだよ。例年ならこの時期に流行り病が広がって、治癒や予防に来る市民が増える筈なのだが、今年はほとんど来ない。いったいどうなっているのやら……」

「そんなこと言って、本当は金を出したくないだけではあるまいな?」

「滅相もない。本当に金がないんだ」


 司祭が何度説明してもフィリップは納得できないという表情をする。「それなら私が帝都の民に六大神の有り難みをわからしてやる!」と言って、ナタリア達も呼んで神殿を出た。

 フィリップは人の集まりそうな広場に来ると、皆に聞こえるように語り始める。

「帝都の民よ! 今年も黒死病の季節がやってきた。しかし、安心したまえ! 私は法国で黒死病の予防魔法を習得している。皆、神殿に足を運びたまえ。さすれば病の心配から解き放たれる」

 完璧だ。法国では、このあと六大神を讚美する声が上がる。男は自分の言葉に陶酔し民の反応を待っていた――しかし、帝都の民は誰一人足を止めることはない。

 聞き逃したのかと思い、もう一度言うのだが状況は変わらない。

 フィリップは他の同行者三人の顔を見た。ナタリアも含めて、不安そうな顔で彼を見つめている。

 フィリップは焦っていた。あれほど威勢良く言い放ってきたのだ。このまま、何の成果もなく、戻るわけにはいかない。仲間にも示しが付かない。しかし、何故だ? 帝都の民は病が怖くないのか?

 男は目の前を通りすがる婦人の腕を掴む。

「貴様は病が怖くないのか?」

「はぁ? 何言ってるんだね。怖いに決まっているさ。親戚も今年、黒死病に掛かったよ」

 男は少し安堵の表情をして、「そうだろう」と言う。

「それで治癒魔法の有り難みが解っただろう?」

 どうだとばかりにナタリア達の方を見る。自分の手に掛かればこんなものだと、自慢気だ。

 しかし、婦人はムッとした顔で、掴まれていた腕を振りほどく。

「離してちょうだい! 何が有り難みだよ! 年々、寄付を値上げして、私達の足元を見て!」

「――はい?」

 婦人が突然怒り出すので、フィリップは豆鉄砲食らった鳩のように目を丸くする。

「それでも病気が怖いからと寄付してきたけどね。もう、あんた達の助けは必要ないから、寄付はしないよ」

「なっ⁉ 何っだって⁉」

 フィリップは婦人が何を言っているのか理解できない。

 二人のやり取りを見ていた別の男性が、会話に割り込む。

「そうだ! 昨年も受験を控えた娘のために、寄付を出して予防の魔法を掛けてもらったんだ。それなのに、娘は結局、流行り病に掛かったんだよ! そしたら司祭はなんて言ったと思う? 『信仰心が足りなかったから』だとよ。予防魔法の金を返して貰えないどころか、より高位の治癒魔法が必要だと言って、倍の寄付を要求してきたんだ!」

「しかし――それはより効果の高い治癒のために必要なことで……」

「何が『より効果の高い』だよ⁉ 俺たちには魔法の区別が付かないことをいいことに、同じ魔法を掛けてただけだろう⁉」

 周りに集まってきた野次馬たちも「そうだそうだ!」と男性の擁護をする。

「だけどな。もうお前達の助けは要らない。お前達の要求する寄付の十分の一で買える魔導国製のポーションがあるからな」

「なっ⁉」

 思いも寄らない国の名前が出てきて、男は唖然とする。

「ポーションは治癒ばかりか予防にもなるんだ。しかも効き目は確実だ。お前達もポーションくらいの値段に寄付の要求を下げることだな。まあ、俺ならポーションの半分の値段でも、お前達の治癒魔法よりポーションを選ぶけどな」

 先ほどの婦人も周りの野次馬も同じようなことを言う。

 十分の一の半分? それでは宿代も払えない……

「し……しかし、あのアンデットの国のポーションだぞ。貴様達には人としての誇りはないのか?」

「病気が治るんなら、悪魔からでも買うさ」

「なっ、なんとおぞましい……」

 こいつらは心が病んでいるのか? もしくは従属の魔法でも掛けられているのか? フィリップは焦りを通り越し恐怖さえ感じる。

「お前達だって、効きもしない魔法を掛けて、治らないなら、もっと寄付しろと俺らが稼いだ金を根こそぎ持っていくではないか! それと悪魔とどう違うのか⁉」

「何を……解らんことを……」

 治癒魔法は位階毎に効き目が違う。より高位階ほど効果が高い。当然である。そして、高位階の魔法ほど習得するのに時間が掛かる。才能がなければ習得できずに終わる者もいる。だからこそ、効果の高い魔法のために高い代償を要求する。それも当然のことだ。

 なのに、彼ら、帝都の市民はそれを「暴利」と決め付ける。

 いったいどうなっているんだ? 常識が通用しない……

「要するにあんたら神官はもう『用無し』なのさ。わかったら、とっとと帰ってくれ」

 婦人の言葉に賛同し、周りの野次馬も「帰れ! 帰れ!」と叫ぶ。

 圧倒されたフィリップ達は、逃げ出すように、その場を離れた。

 結局、銅貨一枚も寄付を取り付ける事ができず、途方に暮れていた。あれほど啖呵を切ったのだ。さすがに何の成果も無しに神殿に帰ることもできない……


「こんな屈辱を受けたのは初めてだ! 何故だ! 何故、我々が悪徳のような扱いを受けなければならない⁉ ここの民はなんて恩知らずなんだ⁉」

 怒りが収まらないフィリップに、別の同行者が声を掛ける。

「まあ、落ち着いて。きっと場所が悪かったのだろう……別の所でなら、きっと上手くいくよ」

 なんとか宥めようとするが、フィリップの怒りは収まらない。それどころか、その矛先が宥めようとした男へと向けられる。

「うるさい! だいたい、お前が船は酔うので陸路にしたいと言うから、こんな目に合うんだ!」

 言い掛かりもいいところだが、こうなると言われた方も黙ってはいない。

「お、お前だって、帝都の娼婦館で楽しめるからと賛同したじゃないか! この辺りは知っているから大丈夫だって言ったくせに、あんなぼったくりの店に連れて行きやがって! そのせいで旅費までなくなったんじゃないか⁉」

「ばっ、馬鹿!」

 フィリップは慌てて、男を制止し、ナタリアの顔を見る。

「あっ……」

 男も「しまった……」という顔して、口を塞ぐが、時既に遅し――

「えーと……聖職者でもそういう所には行くのですね?」

 ナタリアは素直な感想を言ったつもりだったが、同行者達にとって、これ以上羞恥を感じる言葉は無かった……

 

 結局、金策に走るのを諦めたフィリップ達は、今残っている金で旅を続けることに切り替え、四人は馬車の業者を回った。しかし、価格かなかなか折り合わず、最終的には、行き先が同じ荷馬車があったので、それに乗せてもらうことになった。

(冒険者、修道女の次は荷物か……)

 ついに人間でも無くなった……と、ナタリアはため息を付いた。

 荷物を載せ終わるまで、その辺りで待ってろと輸送業者の主人が言うので、ナタリアはぶらぶらと近くを歩いていた。すると、ドンッと誰かに押される感じがした。

 何だろうと後ろを見るが、誰もいない――

 あれ? おかしいな……? と思ったところで、手に何か握らされていることに気付いた。手を開くと小さく折り畳んだ紙が出てくる。

 なんだろうと開くとそこに、「ウレイリカがさっき死んだ」とだけ書かれていた。

 慌ててもう一度辺りを見回す。きっとウサギメイドが伝えに来たのだろう……しかし、それらしい姿はもう無かった……

 もう一人――クーデリカだったっけ? ――は今朝、王国に旅立つと言っていたが、この事を知っているのだろうか?

 残念ながらそれを知ることはできないし、知ったからってどうすることもできない。

 せめて最後に残った一人だけでも、幸せになって欲しい――とナタリアはそう願しかなかった。


 しばらくして、荷積みが終わったようで、ナタリア達は馬車に乗り、帝都を後にした。

 荷馬車は予想以上に乗り心地が悪く、ナタリアは体のあちこちが痛くなる。帝都から離れるほど路面が悪くなるのか? 振動はより激しくなる。

 あまりのも辛そうな顔をしているので、それを見かねたのか? 御者の若者が手招きして隣に座るように誘った。

 御者の椅子も決して座り心地が良いものではないが、荷台よりはマシだった。

「お嬢ちゃん達、ベバードに行くんだって?」

「……えっ?」

 御者の若者が訪ねるが、ナタリアはそれで初めて自分の行き先を知った。

「あれ? 違う? 確か親方からそう聞いたのだけど……」

「えーと……多分、そうです」

 煮えきれない回答をナタリアがするので、聞いては行けないことを聞いてしまったのかと、御者はそれ以上聞かなかった。

 

 こうして、宿場町毎に馬車を乗り換えて、ナタリア達は山間の小さな町に来ていた。どうやら、ここから峠越えするようだが、そちらに向かう馬車がまたもや見付からない。

 やっとのことで見付かったのは、御者も馬もかなり年期の入った馬車だった。

 それでも仕方ないと乗車するが、本格的な山道を前に、速度は遅くなる一方で、もう歩いているのと同じくらいだ。

「オヤジ、これで明るいうちにベバードに着くのか?」

 心配になってフィリップが尋ねる。

「大丈夫でさぁ。ほらあの山を越えればもう街が見えるさ」

 御者が指差した先は確かに遠くはないが、絶壁のような山が連なる。

「本当にこんな馬で……いや失礼……あの山を登れるのか?」

「なあに、この馬は昔、この辺りで一番の怪力で有名だったんさ」

 昔は……だよね、と誰もが心の中で突っ込みを入れる。

 案の定、坂がよりきつくなろうとする手前で、馬が座り込みビクともしなくなった……

「こりゃダメだ……お客さん、ここからは歩いて行ってくれないかい?」

「歩いて登れ……ここから?」

 ナタリアも含め四人が山の頂上を見る。まだ、かなり登る必要がありそうだ。

「あそこまで登れば、ベバードの街が見える。今からなら明るいうちに着けるさね」

 明るいうちに……と言うが、まだ、午前中なのだが……

 しかしここまで来て引き返すのも何だし……既に予定を大幅に遅れている……

 フィリップは歩いて登るよう、一行に指図する。皆、諦めてフィリップに従った。

 しかし、いざ上り始めると直ぐに男達は息が切れ、歩みが遅くなる――気か付くとナタリアは男達よりかなり先を歩いていた。

 こんなんで、本当に明るいうちに辿り着けるのだろうか……ナタリアは心配になってくるのだが、他人を心配するほど余裕はない。

 登り始めて二時間が過ぎ、やっと頂上に近付いた。振り返っても男達の姿は全く見えなくなってしまったが、一本道なので迷うことはないだろう。

 とにかく早く登りを終わらせたい一心で、頂上を目指す。

 急な坂が終わり、行く手の視界が広がり、青空が大きくなった。どうやら頂上だ。

 ナタリアは頂上に立つと、向こう側の景色に驚いた。

 ――真っ青だ。

 空ではない。地上が水の青で覆われている。

 そうだ。これが海というものだ!

 本の挿し絵で知った海は黒の墨で書かれていたので白黒だったが、本物は真っ青だ。いや、良く見ると白い筋のようなものが、少しずつだが動いている。

 その広さに圧倒され、言葉も出ない。

 しばらくぼーっと見ていると、海と陸地の境界線上に、街が見えていることに気付いた。

 山の斜面に所狭しと建ち並ぶオレンジ色の屋根の建物が、海の青と相まってとてもきれいだ。

 それら建物の見える場所に向かって、海の上を建造物が動いて行く。純白それは、沢山の布のようなモノを広げて三角形を成していた。

(確か――船と言うんだっけ?)

 遠いので、小さくにしか見えないが、周りの建物と比較すると、かなりの大きさだろう……

 今まで見たことのない異国の風景に心打たれて、自分が法国からかなり遠い地に来たんだと改めて感じた。

 ナタリアが峠の頂上に辿り着いてから十分位して一人、また一人と到着し、最後の一人が到達するまで三十分待つことになった。

 しかし、そんな待ち時間が全く気にならないほどの絶景に、ナタリアは大満足だった。


 こうして、ナタリアは三つ目の訪問国、都市国家連合のベバードに到着した。

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