森を背負う巨大亀 9

 と言っても、こちらから攻撃なんてしようがないので、刀香とうかは静かに座った。


戦部いくさべ君?」

「うるせえ! お前にもあるだろ駅ついたと思って立ったら隣の駅だったから座り直すことくらい! それと一緒だよ!」

「そんなにあるあるじゃないと思うなあ。ちゃんとアナウンス聞きなよ」

「イヤホンしてたんだよ!」

「オオオオオオオォォォォォォッッッ!!」


 猪の咆哮ほうこうに、そんな話をしている場合ではないと思い直す。今は命を賭けたチェイスバトルの真っ最中だ。気を緩めれば負ける。負けるということは死ぬということだ。

 死んでたまるか。

 『崩落ほうらく』を生き延び、戦争まで乗り越えたのに、こんなところで死んでたまるか。少年少女の思いは一つだった。

 行くべき場所がある。会うべき人がいる。その旅路をここで終わらせるわけにはいかない。

 目指すは東京。ここで死ぬことではない!!


「ガァアアアア!!」

「うおおっ!?」


 いつまでも追いつけないことにれたのか、猪は亀の甲羅を思い切り牙で穿うがった。そのヒビが疾走する『雪風一號ゆきかぜいちごう』の足元にまで及ぶ。足場が崩れる。

『危なぁっ!?』


 誕弾たんだんの巧みなハンドルさばき、もとい操縦桿そうじゅうかんさばきで何とか落下の危機は免れる。だがそれがわずかなタイムラグを生み、両者の距離はさらに縮まった。


「ゴァアアアアアアアアアアアァァァァァ!!」


 それに味をしめたのか、猪は牙を甲羅に突き立てながら突進し始めた。とんでもない力任せの戦法だ。だがそれを可能にする巨体が、『雪風』の走路を的確に壊す。


『うわっ! うわわぁっ!?』


 誕弾も何とか落下だけは回避する。しかしただ突進するだけの猪と、蛇行を繰り返す『雪風』とではどうしても速度に差が生まれてしまう。


「ゴァア!!」


 さらに猪は、突進で集めた甲羅の破片を投げてきた。刀香と戦っていた時と同じやり方だ。それが通用するような距離にまで、猪は追いついてきたということだ。

 だが。


「『我が道を征くゴーイングマイウェイ』!!」


 同じやり方なら、同じやり方で対処できる。刀香が『雪風』の上で黒い刀を振るえば、破片は粉々に砕け散った。散らばった細かな破片が、『雪風』の歩みを止めることはない。


「何度でもブン投げてこいよ、クソ猪!! 何度でもぶっ壊してやる!!」


 刀香は刀を揺らして挑発してみせた。言葉が通じるとは思えないが、その馬鹿にするような態度は伝わったらしい。


「ガア――――――――――――――ッッッ!!」

「っつう……馬鹿でけえ声だこと。リアルモンハンだなこりゃ」


 軽口を叩くが、追い詰められているのは少年少女の方だった。距離を詰められ、足場を壊され、あの牙が届くのも時間の問題だろう。

 ここが正念場。ここさえどうにかしのいでしまえば、もはや彼らを阻むものは何もない。

 ……と、思っていたのだが。


「あん!?」


 視界の端がオレンジに輝いた。刀香は突然降ってきたそれを刀で弾き、空中でキャッチする。


「矢ァ!?」


 矢じりに火の灯る矢。もちろん、こんなものあの猪の仕業ではない。そもそも方向が全く違う。矢は森の方から飛んできた。

 そして刀香には、この火には見覚えがある。


「まさか!」

「――この手に戻ってこないのであれば、いっそ諸共燃え尽きろ……!」


 森の奥、岩渕いわぶちたちは彼らの拠点で弓を構え、音のする方へと矢を放つ。『手製火柱ハンドメイドバーナー』でロケット噴射のようにして勢いをつけた射撃だ、多少距離があっても届く。


「この俺をコケにしやがった恨みだ! あの『幸運』のガキも刀のガキも全員一緒くたに燃えちまえ!!」


 岩渕は怒りに目をくらませ、弾幕を展開する。逃げるのも死ぬのも結果は一緒、だったらせめて死ね。そんな短絡的な考えで一行を襲う。

 次々と火矢は降り注ぐ。行かせまいと邪魔をする。上から来る矢を弾きつつ後ろの猪にも気を配らなければならない状況に、刀香は刀を振る速度が鈍る。


「どうせ戻ってこねえならいっそ、みてえなヤケクソで撃ってきてんだろあの野郎!」


 無差別な攻撃なら猪にも当たってくれと願う刀香だが、その厚い毛皮は炎も矢も通さないらしい。何発も浴びているが、まるで気にしている様子はない。隻眼が少年少女だけをにらむ。


「オオオォォォオオオオオォオォオオォォォォォオオオオオ!!」

「んなろっ!」


 怒れる猪は甲羅を崩すだけでは飽き足らず、近くに生えている木を牙で引っ掛けて投げてくるようになってきた。壊すだけなら簡単だが、疲労で中々肩が上がらない。そのくせ一度でも失敗すればゲームオーバーというのだからタチが悪い。


『トーカ! 大丈夫!?』

「心配っ、いらねえ! ただ前だけ見てろ、誕弾!」

(まだだ、俺。まだぶっ倒れるわけにゃいかねえ!)


 刀香は自らを奮起する。もう少し。あとちょっとだけ踏ん張れば終わる。目の前にある希望を掴むために刀を振るう。


『あと20メートル! 頑張って!』


 誕弾が叫ぶ。この速度なら20メートルなんてすぐだ。ようやく終わる。やっと休める。

 でもそれで気が緩んだわけではない。たしかにほっとしたけれど、油断までした覚えはない。

 だからこれは、猪が一枚上手だっただけだ。短いようで長い鬼ごっこの中で、彼は少し冷静さを取り戻した。戦略を立てた。


(また投げてきやがった!)


 丸太の投擲とうてきに、当然刀香は反応する。砕こうと刀を構える。

 だが此度こたびのそれは――


?)


 喧嘩で鍛えた刀香の動体視力は、丸太の軌道を正確に読んだ。それが『雪風』に届かず手前に落ちるということを把握した。

 だから刀香は丸太から目を外し、上から迫る矢に意識を集中させようとした。どちらも脅威であることは変わらないから、優先順位の高い方へと意識を逸らした。それ自体は論理的な行動だ。


(――――ッ?)


 しかし上を向きかけた直前、刀香の『野生の勘』が警鐘を鳴らす。その正体もわからぬまま刀香は再び丸太に目を戻し、

 見た。


(違う)


 確かに丸太は届かない。猪が高速接近しているということもない。単にあいつも体力が落ちて、狙いを外しただけだ。一瞬前の刀香はそう判断した。


(違う、こいつ、!!)

「誕弾!!」


 頭の中で言語が組み立てられる前に、刀香は叫ぶ。


!!」


 直後。



 意図的に狙いを外された丸太は、に直撃し――少年少女を飲み込むように、ぽっかりと大穴を開けた。



「「『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』」」


 バウンドした丸太は大きく跳ねて『雪風』を飛び越え、甲羅の端から海に落ちる。それを悠長に見送る暇のない少年少女は、全力で絶叫した。

 このまま滑空しようにも姿勢が悪く、無理にパラグライダーを開けば壊れてしまうかもしれない。かと言って下は海だし、この高度から叩きつけられればいくら水面とは言え、コンクリート以上の衝撃が伝わる。

 絶体絶命。

 だけどこの程度で諦めているようでは、少年たちは一年以上も実験を繰り返してはいない。


『ワイヤーアーム!』


 炭酸が抜けるような音と共に、『雪風一號』の腕がぐんと伸びて木を掴んだ。ワイヤーが伸び切ったところでバンジーのように腕がたわみ、『雪風』の体が少し持ち上がる。


『このまま、戻る!』


 ギャルルル! と凄まじい音が『雪風』の肩から聞こえたと思えば、伸びたワイヤーが巻き取られ少年少女を持ち上げる。そのまま大穴から、勢いよく飛び出す!

 が。


「ガァアアアアアァァァアアアァァアアアァアアアアァアアアァアァァァァァァァァァアア!!」


 巨大猪はそれも予期していたようで、飛び出してきた『雪風』ごと食らわんと大口を開けて飛びかかってきた。

 なんという読み。なんという知略の高さ。『崩落』で大きく変わった自然環境を、必死に生き抜いて身につけた野生の集大成が眼前に迫る。

 だけど。


「ようやくテメエから近づいてきたな」


 ――それでも人は、負けない。

 刀香は『雪風一號』を蹴って猪の懐へと飛び込み、刀をすっと滑らせた。

 その瞬間に猪が何を思ったのかはわからない。エサだと思っていた相手にやられて悔しがっているのか、一本取られたと感心しているのか。どうあれ、刀香の刀は猪に触れた。


「『我が道を征くゴーイングマイウェイ』!!」


 だったら、結果は言うまでもない。


「な、なんだ……?」


 森の奥で、岩渕が弓を射る手を止めて空を見上げる。


「――――、」


 森に住むあらゆる生物が、何かに気づいたように空を見上げる。


(あ……)


 希稲きいなが、初めて少年たちと出会った時を思い出して空を見上げる。


「…………」


 森を背負う巨大亀が、自らの背中で起きた騒ぎをいとうように空を見上げ――ず、彼はただ前を行く。あくまでも自分の決めた道をく。

 そんなこんなで、森に住む誰もがそれを知ったり、または興味がなかったりした。

 森の主は、今死んだ。

 その花火のような血の雨が、森に降り注ぐ。


「おわああああ落ちるぅぅうううううう!!」

『考えなしに前に出んなバカトーカ! 危ないなあもう!』


 また穴から落ちかけた刀香を、誕弾がワイヤーアームでなんとか拾った。上昇の勢いはまだ生きているので、空中で刀香をコックピットの上に乗せ、向きを変えて腕を対岸まで伸ばして、それを巻き取って着地する。あわや落下の危機、というとこから決着まで振り返れば一瞬だ。


「急げ急げ! 雨が降んぞ!」

『わかってるってば、もう!』


 刀香が変身を解きつつ誕弾を急かす。『雪風』は着地と同時にすでに走り出しており、弾けた猪は雨となって降り注ごうとしている。

 追う者もいないとなれば、20メートルの距離は近い。キャタピラはとうとう甲羅から離れ、空へと躍り出る――翼を広げる。

 依然、真下は青い海だ。だがこのパラグライダーがあれば、距離を稼げる。砂漠まで飛べる。

 今まさに離陸した甲羅の上では、ちょうど赤いにわか雨が降っているところだった。離陸がもう少し遅れていれば、きっと濡れていただろう。


「『よっしゃあああああああ!!』」


 緩やかに風に乗り、前へと進むパラグライダーに刀香と誕弾は大喜びだ。一年半の努力が実を結び、空を飛ぶ喜びに湧いている。


「希稲ちゃん。ほら、見なよ」

「ん……」


 そんな彼らをよそに、千土は落ち着いた声でリュックに隠れた希稲を呼ぶ。さっきまでの高速戦闘で少し乗り物酔い気味の希稲は、千土の声でのそのそリュックから顔を出した。


「わあ……」


 朝日が東から昇っている。少年少女の進む道を照らすように、彼らの向かう先から光が差し込んでいる。


「早く会えるといいね、お母さんとお父さんに」

「うん!」


 希稲は満面の笑みで千土に頷く。この旅はうまく行く。少女の『幸運』が理由じゃない。確かな努力で空を飛んだ少年たちと一緒なら、どこへだって行けるはず。希稲はそう信じていた。

 ほどなくして、彼らは無事砂漠に着地した。振り返れば、あの亀が海へと沈んでいくのが見える。


「あいつ、もしかしてマジで海亀だったのか?」

「すごい……私、海亀さん初めて見た……!」

『ねえ、海亀の足ってあんなに長かったっけ……? あんな高度まで伸びるようなもんだったっけ……?』

「まあ、崩壊世界だしねえ。新種の亀っぽい生物がいたっておかしくないさ」

『便利な説明だなぁ……』


 四人は去っていく亀をしばらく見上げ、無言でいた。だがすぐに前を向く。彼らには行くべき場所がある。ここでゆっくりしてる暇はない。


『でもそもそも、ここってどこなの? こっからどっちに行けば東京に着くの?』

「ここがどこかなんて、決まってるじゃないか小倉君」


 見渡す限りの砂漠。崩壊以前の世界のランドマークなど見当たらないのに、やけに千土は自信満々だ。


「日本で砂漠と言えば、鳥取砂丘しかないだろう。つまりここは鳥取さ」

「適当すぎる! ……いやでも、案外そうなのか?」

『めちゃくちゃ砂丘広がってない?』

「崩壊世界だし」

『……うん、疑問に思う方がバカなんだね。わかったよ』


 だとすれば、日の差す方へと向かえばいいわけだ。太陽は東から昇る。東京は名前からして東。ごく単純なロジックだ。一行の針路は決まった。


「さて、じゃあ――行こうか」


 ある日、『崩落』が起きて世界は滅んだ。文明のなくなった世界で人間は戦争を起こし、そこから一年と半年。ようやく少年少女の旅は始まる。


 鎌倉かまくら千土。

 戦部刀香。

 小倉誕弾。

 そして、幸腹さちはら希稲。

 目指すは東京。一行は最初の一歩を、この鳥取砂漠に踏み出した。


 旅が始まる。

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