雨の降る館
海星めりい
第1話
「外は雨だしつまんないなー」
口を尖らせながら窓の外を眺めながら呟いたのは一人の少女だ。歳は5~6歳ほどだろうか。
子供特有の丸みを帯びた体つきに、あどけない瞳が大変可愛らしい。
そんな少女がいる場所は、天井にはシャンデリアが取り付けられ、床は真っ赤な絨毯が敷き詰められた大広間。
広間の中には動物の剥製や金で縁取られた装飾品や燭台などが並べられており、その絢爛さがうかがえる。
てとてとと少女が広間を歩いていると、微かに玄関の方が騒がしくなる。どうやら、予定外の来客らしい。
最初は追い返そうとしていたようだが、誰かが許可を出したようだ。
「いやー、申し訳ない。急にお邪魔してしまいまして……ありがとうございます」
入ってきたのはハンチング帽をかぶり、薄茶色のコートを着た男性。雨にやられたのか肩の部分は濡れて濃くなっていた。
「いえいえ、こんな土砂降りですからね。雨宿りぐらいなら構いませんとも」
答えたのは恰幅のいいちょび髭の男性。
他にも何人かこの場にはいるが、誰もなにも話さないところをみると彼がまとめ役のようだ。
とはいえ、不満がないというわけではないらしい。
見知らぬ男を一時的にとはいえ館にいれることをよしとしないのか、不機嫌そうな表情をするものも少なくない。
それどころか、
「まったく、今日は私達にとって大事な日なのですよ? よそ者を入れるだなんて……」
腹立たしいとばかりに扇を広げ苦言を呈すのは、勝ち気そうな顔つきに濃いめの化粧をし、黒のマーメイドドレスに身を包んだ一人の女性だ。
面と向かって言っているわけではないが、男達に聞こえるように少し大きめの声で呟いているのは明白だった。
「ご迷惑をおかけします」
「本当に気にしなくて良いんですよ。これ、失礼じゃないか」
「お兄さまはお優しいことですね!!」
女性はそう言い残すとふん、と鼻を鳴らしこの場から離れていく。
「少しピリピリしているようでして」
そう言って恰幅の良い男性はタオルで濡れた服を拭っている男に軽くお辞儀をする。
「いえ、そこは全く気にしていません。ですが、失礼でなければ、なぜあそこまで敵意を向けられるのか理由を伺ってもよろしいですか?」
こうしている間にも、先ほどの女性ほどではないが、冷たい敵意を帯びた視線を感じていた。
確かにいきなりやって来た見知らぬ男というのは歓迎されるものではないのは当然だが、ここまで邪険にされるほどでは無いと男自身思っている。
まあ、この館の絢爛さにふさわしいかと問われれば首を傾げる装いだが、相手に不快感を抱かせるような見た目ではない。
「え? ああ、はい。構いませんよ。別に隠すようなことでもありませんからね」
男性が口を開こうとすると、先にやって来た少年達が男に声をかける。
「おばさんが苛立ってるのはいつものことだから気にしないで良いよー」
「なんか、いさん? とかあとつぎ? とかの話があるから気が立ってるんだーってうちのママは言ってたけどね」
「そーそー、毎年、この時期は集まってるけど、似たような感じだし」
「今回はちょっと酷いけどねー」
窓辺にいた少女も少年達に混じって声をだす。少女もあのおばさんが金切り声を上げるのを良く聞いていたからだ。
「なるほど」
男は子供達の話を聞くと一つ頷いた。
大まかなことはなんとなくだが、理解出来たからだ。
「はは、まあ子供達が言ったとおりです。ご当主様の体調が近年芳しくなくてですね。親族を集めて一度しっかり話しておこうと言うわけです。妹は自分の息子に継がせたいようですが、まだ若いですからね役員になるのが精一杯ではないかと」
「その感じですと貴方が継ぐというところですか?」
男は目の前の恰幅の良い男性を改めて見る。歳は四十~五十ほどといったところだろうか。丁度良いというとアレだが、年齢的に当主となってもおかしくはなさそうだ。
「いえいえ、それは今後の話し合い次第ですよ。年功序列で決まるほど単純なものではありませんしね」
そこで言葉を句切った男性は窓の外を見ると男を見て再び口を開く。
「やはり、止む気配もないな……立ち話も何ですし紅茶でもいかがですか? 冷えた身体にあったまりますよ?」
「紅茶、おいしいよー?」
男性の声に合わせるように少女が首を傾げながらニッコリと笑う。
そんな可愛らしい仕草に、
「お言葉に甘えさせていただきます」
男も相好を崩しながら返事するのだった。
「これは……失礼かもしれませんが良い茶葉ですね。香り高くそれでいて口当たりがいい。落ち着きます」
場所は代わり、客間と思しきところで男は紅茶をご馳走になっていた。
わざわざ思しきとつけたのは男の知る客間と今、自分がいる客間が違いすぎるからだろう。
先ほどの広間と同じく高級そうな装飾が取り付けられた椅子やテーブル、季節ではないから火は入れられていないが暖炉まであるとなればそう思うのもむりはない。
男が手にしているカップやトレーも白磁の輝きが市販のものとは比べものにならないほど艶やかで綺麗であった。
これ一つでいくらするのかは定かではないが、今の男の手持ちでは到底払えない額であることに間違いはないだろう。
内心ほどほど緊張しながら飲んでいると恰幅のいい男性が話しかけてきた。
「おや? ひょっとして紅茶にお詳しいのですかな?」
「いえ、そこまでではありませんよ。ですが、そんな私でもすぐに分かるほどこの紅茶が美味しいということです」
そう言うと男は再びカップを傾け紅茶を口に入れる。
すると、
「お、紅茶か? 俺にもくれよ」
横合いからやって来た青年が、カップを取り出すとティーポットから無造作に注ぎ、呷った。どうみても高級な紅茶を飲む仕草には見えなかった。
「またキミはそんな飲み方して……怒られるぞ?」
「母さんなら今此処にいないからいいんだよ。それに俺も部屋で待機してるのも暇だからな」
「挨拶回りはすんだのかい?」
「すんだから休憩してたの。母さんは母さんでどっか行っちまうし、暇すぎて適当に歩いてたらおじさん達を見つけたわけ」
「私もーお兄ちゃんと一緒でねー、とっても暇だったんだよー!」
面倒くさそうに答える青年に同意するように少女もニコニコと返事をする。
「そうか……私ももう少し挨拶回りをしておくか。ついでに妹も探してみよう。私は一旦ここで失礼しますね」
「ありがとうございました」
恰幅のいい男性は男にお辞儀をすると客間から出て行く。
残されたのは男と青年と少女だけだ。
「ところで、アンタだれだ? おじさんと話してるから関係者かと思ったが、俺アンタの顔知らないんだが?」
「あのねー、このおじちゃんさっき来たんだよー」
「おじ……ごほん。私は雨宿りでこの館に立ち寄らせてもらった部外者ですよ。先ほどの方には快く入れていただいたのですが、その他の方からはどうにも邪魔者のようで、してここでこうして休憩させていただいていた次第です」
「ああ、まあわざわざ今日来たならそんな反応にもなるだろうな。ただでさえ、当主の容態が云々でひりついてるってのに……」
「それは先ほど聞いた跡継ぎのお話ですか?」
男が問いかけると、青年は一瞬目を丸くするもののすぐに呆れた顔つきになる。
「あ? おじさんが話したのか? 大したことじゃないとはいえ部外者相手にベラベラとよく話せるな……まあ、それだけじゃねえけど」
「それだけじゃないとは?」
「当主――つーか爺さんは昔っから癇癪持ちだったらしくてな。こんだけ人が集まるといっつも不機嫌全開で怒鳴るんだよ。おじさんや母さんも良く怒鳴られてたらしい。俺は、あまり怒鳴られた記憶はないが……亡くなったおじさんの娘さんは好奇心の塊でよく調度品を触って怒られてたっけかな」
どこか懐かしむように呟きながら青年は紅茶の入ったカップを豪快に傾ける。
「……そんなことが」
なんと答えたものか困った男は口を噤むことしか出来なかった。出来たのは心の中で亡くなったという子供に冥福を祈ることぐらいだ。
「おじちゃん何か祈ってるー? やさしいんだねー!」
すると、少女が男の顔をのぞき込みながらそんなことを言ってきた。
男の表情が苦笑いへと変化する。これはこれで答えにくいことに変わりは無いからだ。
そんな男の微妙な表情を見た青年が頭をかく。
「わざわざ、部外者のアンタに話すことじゃなかったな。悪い」
「いえ、それは構いませんが――あ、一つ気になったので聞いてもよろしいですか?」
「別に良いけどよ……あんま面白い話とかないぜ?」
青年は肩をすくめつつ男を見つめる。
「貴方も当主を目指しているのですか?」
「俺? そりゃ成れるならなりたいね。母さんとこの一人息子だし、立場は分かってるつもりだよ。問題はあのじいさんが何考えているのかわからねえことだな」
「ご当主様がですか?」
「そうだよ。おじさんは自分が跡継ぎになれるか分からないってこぼしてるが、親族の間じゃほぼ内定してるって話だ。おれも噂程度には聞いているが、正式な発表があったわけじゃねえからな」
「あ、それ私も知ってるー! お爺ちゃんそんなこと言ってたー!」
青年だけでなくこんな少女にまで知れ渡っているとなれば、かなり確証性の高い話なのだろう。
だが、青年は気にした様子もなくごく普通のように語る。
「母さんが諦めてない以上、いつなっても良いように心構えだけはしておく。別におじさんに決まったからって一生成れないわけでもないしな。にしても、なんでアンタこんな話が聞きたかったんだ?」
わけが分からん、とでもいうように首を傾げる青年に対し男は、
「気になったことは聞かなきゃ気が済まないタイプなんですよ」
「俺は気にしないから良いけどよ……アンタ早死にするタイプだぜ?」
「はは、良く言われます」
「はやじにー、はやじにー!」
クスクスと全員笑うのだった。
「全く止む気配がないな」
「ねー、止まないねー」
男は紅茶を口に含みながら窓の外を改めて見る。
止むどころかむしろ以前よりも勢いを増しているようにも感じられる。激しい雨音が部屋の中にまで響いてきていた。
青年もすでにどこかに行ってしまい、ここにいるのは男と少女だけだ。
正直、手持ちぶさたも良いところだった。
時刻は、すでに二時をまわったところ。
男がこの館にやって来たのが一時頃だから、すでに一時間は過ごしていることになる。
下手すればこのまま夜になっても止まないのではないだろうか……などと思ったときだ。
「きゃぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
雨音すらかき消すような女性の悲鳴声が館中にこだました。
「!? 何が起きた!」
「すっごい声―!?」
男と少女が客室から飛び出すと、他の人間も大広間に出てきていた。
その中には、
「何事だ!?」
「この声……まさか母さん!?」
男を案内した恰幅の良い男性と青年も混じっていた。
「声の聞こえてきた方向的に……二階の右の方だと思うのですがあちらには何が?」
男は二人を見つけると声をかける。男が話せるのは彼らだけなのだから、当然と言えば当然だ。
「え……ああ、あちらにはご当主様の――」
「爺さんの部屋があるはずだ!」
そう言うやいなや、青年は思いっきり駆けだした。
「なるほど……!」
それを追いかけるように男も走り出す。
「ああ!? ちょっと待ってくださいよ!?」
二人を追いかけるように恰幅の良い男性も追いかけるが、その体型のせいかどうにも遅かった。
「母さん! どうした!!」
「何がありましたか!」
男と青年はほぼ同時に女性に声をかける。女性は一つの部屋の開け放たれたドアの前で尻餅をついており、近くには扇が転がっていた。
二人が問いかけても、震えるばかりで返答はない。
「あ、あれ……」
そんな彼女がなんとか出来たのは部屋の中へ指を向けることだけだった。
そのまま、二人が指を追うように部屋の中をみると、
「じいさん!?」
「これは!?」
長髪で白髪の老人が床に倒れ伏していたのだ。だが、血痕などが周囲に残っている様子はない。綺麗な状態だった。
「失礼!」
「お、おい!?」
男はそれをみると一人部屋の中へとゆっくり入っていく。
(呼吸は……駄目だな)
顔の近くに手を持っていっても老人が呼吸をしている様子はない。念のため、手首から脈も測ってみるがそちらも駄目だった。
「はあはあ、ようやく追いついた……いったい何が――ご当主様!?」
「あー、お爺ちゃんが倒れてるー!」
男が脈を測り終わるのとほぼ同時に恰幅の良い男性と少女の後ろからも次々と人がやって来ていた。おそらく屋敷の人間の殆どがやって来ているのだろう。
その時、やって来た誰かが叫んだ。
「何をしているんだ!? 早く助け起こさなくては!!」
その言葉を皮切りに雪崩のように部屋の中に入ってこようとするが、
「皆様にはここから動かないでいただきたい!」
混乱する人々を一喝するように、男は声を張り上げる。
そのあまりの声の大きさに全員ビクッと身体を止める。
「いきなり何を言い出すんだ! それにお前は部外者だろう!! さっさと――」
「残念ながら当主殿はお亡くなりになっています」
激高した人々をなだめるように男はゆっくりと首を振る。
「「「「なっ!?」」」」
その言葉に全員息を呑む。
「……じーさんはホントに死んでんのか? 倒れてる=死ってわけじゃねえだろ?」
青年だけはまだ少し冷静なようで、男に当主が本当になくなっているのか問いかけていた。
「……確認しますか?」
「一応、行かせてもらおうか」
あまり中に人を入れたくないのだが……と思いつつ男は青年だけを招き入れ確認させる。
「死体の確認法なんか詳しく知っちゃいねえが……脈が全く感じられねえ。この人の言う通りだろうよ」
青年の言葉に親族一同からため息のような声が漏れ出ていた。なんでこんな時に、といったところだろうか。
「本来なら警察を呼ぶべきなのでしょうが……この雨ではどれほどかかるか……」
窓の外では未だに雨が続いており、この館が山間に佇んでいることを考えれば警察もすぐには来られないだろう。
とりあえずやれるべきことはやっておこう、と男は青年を再び部屋の外へだそうとする。
しかし、
「なんで部外者のお前が仕切っているんだ!!」
一人の発言に合わせるようにそうだ、なぜだ、と人々が再びざわめき出す。
だが、男はそう言われるのが分かっていたかのようにハンチング帽を深く被り直し口を開く。
「現場を保存しておこうと思いましてね。これでも探偵ですから」
「探偵……」
「というわけで、出て行ってもらえますかな?」
「わーったよ。だが、警察を呼ぶ必要はあるのか?」
「それはどういう意味ですか?」
青年は部屋の外へ歩きながら男――探偵へと質問を投げかけた。
青年は振り返りざまに倒れている老人を見やると、
「アンタが現場を保存しておくってのは分からんでもない。だが、爺さんは病気で死んだんじゃないか? 医者の話じゃもって一年ぐらいって話だったからな。起き上がろうとして、倒れそのまま死んだってとこだろ。今日っていうタイミングが最悪だが――」
「いえ、違いますね」
探偵は独自の予想を話す青年の言葉を遮る。
そのまま、倒れている老人の側にしゃがみ込み、髪をかき上げて首筋の痕をみせる。
「首に何かで絞められたような痕があります。周りには紐などもありませんし、自殺して此処に倒れた……なんてこともないでしょう。間違いなく何者かに殺されたということですよ」
確かに、老人の首筋には探偵の言う通り何かが巻き付いた痕のようなものが存在していた。そんなものを見せられれば、病気で死んだなどとだれも思わないだろう。
「なるほど、な。じゃあ、アンタは犯人がこの館のどっかにいると思っているわけだ」
「はっきり言うのは憚られますが……そうなりますね」
青年と探偵のやりとりを聞いていた全員が再び息を呑む。
この中に殺人犯がいるかもしれないのだ。
目に見えて狼狽する人が増える。
今、横にいる人間は大丈夫だろうか、と疑心暗鬼になってしまうのも無理はない。
それを横目に見つつ探偵が立ち上がる。
「さて、一先ず皆様のアリバイを聞いてもよろしいですか?」
「アリバイ……ということはご当主様が亡くなった時刻がこの一瞬で分かったと言うことですかな?」
話しかけてきたのは探偵や青年と一緒に走ったもののこの場に来るのが遅れてしまった恰幅の良い男性だ。
走った影響かそれとも死体を見たからかは分からないが多少呼吸が荒い。
目安程度ですが、と探偵は前置きをしてから話はじめる。
「この死体は死後硬直が始まっていません。つまり、彼が殺されてから三十分は経っていないと見るべきでしょう」
死後硬直の時間は状況にもよるが最短でも一時間程度はかかる。それにまだ、老人の体温が感じられることも考えれば偽装されたとも考えにくい。
「ここ三十分ほどの行動について聞かせてもらっても?」
再び放たれた探偵の言葉に全員仕方なく頷くのだった。
そのまま、全員のアリバイを聞いていくのだが、アリバイがないのは三人だった。
一人は恰幅の良い男性。
「貴方と別れた後、十分ほど挨拶回りをして、その後は休憩を兼ねて自室で過ごしていたので……」
もう一人は青年。
「俺もアンタと別れた後は自室で休んでたな。誰とも会ってねえ」
最後は当主の遺体を発見した女性だ。
「私は当主と話があったから、それまで自室で待っていただけよ。余裕を見ていったらあんなことに……」
他の人間は纏まって空いた時間が存在しておらず、当主を殺せる時間があるとも思えなかった。
おまけに、当主の部屋に向かうための通路には警護の人間が二人たっており、通り過ぎた人間を覚えていたのだ。
「ここ、三十分ですと婦人以外には誰も通っておりませんね」
「その前となりますと探偵さんが館に来る前に当主の息子である貴方と婦人の息子さんが通ったぐらいでしょうか」
「ありがとうございます」
スーツ姿の警護の男性に話を聞いた探偵はお礼を言うと考え込む。
(状況からみれば婦人が殺したといえるが……老人相手とはいえ真正面から物音一つ立てずに絞め殺せるものだろうか)
それに警護がいうには、
「婦人が通り過ぎて悲鳴が聞こえるまでそんなになかったですよ?」
具体的な分数こそかぞえていなかったようだが、かなり短い時間のようだ。
殺せるチャンスがそこまであるとも思えなかった。
そうなると、残りはあの二人なのだが、警護の目をかいくぐって当主の部屋へ行くルートは存在してないらしい。
バルコニー伝いにいくのも距離があって無理そうだ。よじ登って窓から侵入すれば可能かもしれないが、あいにくこの雨となればかなり危険が伴う。
「どうしたものかな」
探偵は一人殺害現場となった当主の部屋でごちる。
警察に全て任せるというのも手だが、このままでは婦人が犯人、で終わってしまいそうな気さえしてくる。
状況だけ見るならばそうなのだが、探偵の――自身の勘が違うと告げているのだ。
「ねー、おじさん。なにに困っているのー?」
その時、少女がテクテクと近づいてきて探偵に話しかける。
「いや、どうやったら誰にも見つからずにこの部屋にこれるものかと……って、こら、キミ今ははいってきちゃ駄目じゃないか」
警護は何をしているのかと、ため息をつきながら少女を部屋の外へ押し出そうとするのだが、するりと避けられてしまう。
「ここね隠れんぼ出来るところいーっぱいあるんだよ?」
「はいはい、これだけ広いお屋敷なら隠れんぼも出来るだろうね。隠れんぼなら他の子供達と――」
「たとえばー鏡とかー!」
「鏡?」
少女の言葉に探偵はこの部屋の鏡の前へと移動する。
何か思うところがあったのか探偵は鏡をあれこれと調べてみると……
「これは!?」
ズズッと横にスライドして、その後ろに通路が出てきたのだ。
直後、ピシャーン!! と雷が室内を照らす。
「キミは……どこでこれを? ってあれ?」
振り返って少女に問いかけてみるもすでに少女はこの部屋にはいなかった。探偵に伝えるだけ伝えて、何処かに行ってしまったようだ。
「とにかく行くしかないか」
探偵は意を決して、薄暗い通路へと足を踏み込んだ。
進めば進むほど暗くなる通路に探偵は胸元からペンライトを取り出すとあたりを照らす。
「大分古い通路のようだな……それに湿度も高いか……あまり長居はしたくないな」
そのまま、手当たり次第に通路を探ってみると、どうやらいろんな部屋と繋がっているようだった。
所謂、隠し通路というやつだろうか。
「此処が使えれば、誰でも殺せそうだな」
とはいえ、通路内の狭さと長さを考えると数分で往復するのは無理だろう。やはり、あの三人の誰かと言うことになる。
「一度戻るか……」
探偵は来た道を戻り、全員が待機している広間へと戻るのだった。
探偵が戻ってくると、質問攻めにあったが今はまだ何も分かってないと答え、ハンチング帽を深く被りあの三人をつぶさに観察する。
婦人は同じような立場の女性相手に遺体を発見した恐怖と探偵の振る舞いを愚痴のようにこぼしている。
青年と男性はというと、二人で何かを話していた。
「ち、それにしてもあっちーな。家の中だってのにかなりじめじめしてやがる。どっかで雨漏りでもしてるんじゃねえか?」
「この館も古いからねえ……そう言った可能性もあるね。ほら、ハンカチだ」
「お、悪いなおじさん」
青年は恰幅のいい男性から受け取ったハンカチで額の汗を拭っていると、その視線が下の方へ行く。
「つーか、おじさん靴汚くねえ?」
「え、ああ、本当だ。全くどこでこんな汚れが……」
恰幅の良い男性はメイドに話しかけてタオルを持ってこさせると、自身の靴についていた泥汚れを拭っていた。
「ふむ……」
探偵はその光景を見つつ、考え込む。
「うん? これは……もしかして」
今の光景になにか感じ取った探偵はこの場にいる全員を当主が亡くなった部屋へと集めるのだった。
「皆様にわざわざここに来ていただいてありがとうございます」
探偵としては丁寧にお礼を言ったつもりなのだが、どこか手品師がショーでも始めるかのような前口上になってしまった。
舐められていると思ったのか一人の男性が声を荒げる。
「何か分かったのならさっさと話せ!」
その言葉にちょっと気圧された探偵は額に冷や汗を感じつつ、咳払いを一つすると口を開く。
「とりあえず一つずつ整理していきましょう。まず、ご当主が殺された時、アリバイがないのは三人です。これに相違はありませんね?」
「ええ、ですがそれについては説明したはずですが……」
頷きつつも恰幅の良い男性は戸惑ったような声を出す。自分に嫌疑をかけられているとなれば無理もない。
「それに、俺とおじさんはアンタの言う死亡時刻には爺さんのほうへ行ってすらいないぜ? 母さんも母さんでそんな余裕はなさそうだしな」
「ええ、その通りよ!」
青年と婦人も声を上げる。たしかに、これだけ聞くと誰も犯人ではなさそうだが……
「ええ、ですが、こんなものがあれば話は変わってきます」
探偵は再び鏡をずらし、隠し通路を全員の目に映す。
「「「なっ!?」」」
知らなかった隠し通路に全員が驚愕の表情を浮かべる。
「これは……いったいなんですか!?」
「見ての通り隠し通路ですよ。少し探ってみましたが、いろんな場所に繋がっているようですよ? 皆様の部屋とも繋がっているようでしたね」
そう、この隠し通路と時間があれば当主をやれる可能性は誰にでもある。その時間があったのはこの三人というわけだ。
ここまで聞けば、この場の視線は三人へと向く。探偵の言葉が間違っていないと理解したからだろう。
「そんな……」
「っち、まあ筋は通ってるわな」
「私じゃないわよ!」
「ええ、婦人ではないでしょうね」
婦人が叫ぶのと同時に探偵は婦人の言葉に同意する。
「え?」
それに驚いたのは婦人だ。まさか、あっさりと同意されるとは欠片も思っていなかった。探偵に悪感情を向けていたのは理解していたからだ。
「この中ジメジメしていてとっても暑いんですよ。そんなところを通れば婦人の化粧は崩れていてもおかしくありません。ですが、全く崩れていません。女性の化粧は長いともいいますし、当主を殺した後、今と同じ化粧をするだけの時間はないと思われます」
「え、ええそうね……」
自分の濃いめの化粧が殺していない証拠と言われると微妙な気持ちになるが、それで助かったのも事実なのだから強く否定も出来ない。
周りの視線は婦人から青年へと向けられる。
なぜかというと青年は今も汗だくだからだ。
「じゃあ、俺が犯人ってか? 汗かいてるからって犯人にされたらたまったもんじゃねえな」
首元のシャツを広げながら、やってらんねえとばかりに悪態をつく。
その態度に親族達の目が厳しくなるが、
「いえ、彼でもないでしょう」
探偵が否定した。
「だが、彼が跡継ぎになるのを否定されて……それで殺したという可能性も!」
親族の一人がありそうな動機を口にするが、
「そこら辺のことは部外者の私には分かりませんが……彼の服が何一つ変わっていないので殺した可能性は低いでしょう」
「あ? 服?」
「ええ、服です。彼に比べて貴方の服……よく似ていますが別物ですよね?」
そのまま、探偵は恰幅のいい男性へと向かう。
「はい? 何を言っているのですかな? 私の服は……」
「ネクタイが違いますよ。私が最初に会ったときは赤いネクタイでしたよね。今は青いネクタイに変わっています」
「服が替わっていたから何だというんですか? 彼と同じく汗をかいたので変えたのですよ」
一転してそれっぽい言葉を並べる男性だが、探偵は待ってましたといわんばかりに笑みを深めた。
「本命はそこではありません。靴ですよ」
「…………」
「あ、靴だと?」
男性は黙り込み、青年は訝しげな声を上げる。
靴が何だというのか分からなかったからだろう。
「私の靴を見て下さい」
全員が探偵の靴へと注目する。みれば、泥が靴に付いており、汚れていた。
「貴方!? 何という靴で!? この館を歩いているんですの!?」
あまりの非常識さに婦人が大声を上げる。
確かにあり得ないことだが、それは濡れ衣だと探偵は否定した。
「この館に入る前にキチンと拭かせていただきましたよ。これは、この隠し通路を歩いた際についた泥です。どうやら、内部に雨がしみ出しているようでしてね。ここを歩けば多少なりとも靴が汚れるのですよ」
「靴が汚れるって――おじさんはさっき!?」
青年が何かに気付き男性の靴を見る。さきほど拭いたからかある程度は綺麗だったが、泥が多少なりとも残っていた。
それを親族達も確認したのか全員がゴクリとつばを飲んだ。
「……ここまでですかな。まさか、貴方をここに招き入れたことでバレるとは思いませんでしたよ」
「お認めになるんですね?」
諦めたように呟く恰幅のいい男性に探偵が問いかける。
「ええ、私がやりました」
「なんでだよ! おじさん!! アンタが当主だって、俺は今日予め知らされていたんだぞ! 殺す理由なんて……」
青年が激高するも男性はそれを冷たく見つめるだけだった。
「当主になることが目的ではないよ。あのクソ親父を殺したかっただけさ」
「……おじさん?」
青年に返答することもなく、男性は語り始める。
「あいつは、私の妻と娘を殺したのだよ。何に腹が立ったのかはしらないが、癇癪を起こしたアイツは娘を庇った妻を殴ったばかりか……娘まで、挙げ句事故死として処理しやがった!! 私を呼び出した際に一言謝罪だけでもするのかと思えば……今度はもっと当主にふさわしい嫁と娘を見つけてこいだと!? お前がいなければ、二人とも生きていたんだ!! そう思ったら前から考えていた計画を実行していたよ」
男性の話に誰も声を出せない。それだけ強い感情が含まれていたということだろう。完全な第三者である探偵でさえもその強さは伝わってきた。
ひとしきり話した男性は懐からナイフを取りだし、自身の胸に当てる。
「バレたのならば、私も妻と娘のもとへ……」
「待ってください!」
探偵が声をかけると男性は動きを一旦止める。
「ああ、そうだ貴方はどうしてこの隠し通路に気付いたのですかな?」
「教えてもらったんですよ」
言葉に注意しながらゆっくりと紡ぐ。ミスれば自殺してしまいそうだからだ。
「教えてもらった?」
「ええ、5~6歳くらいの女の子からです!」
と、探偵が大声で叫ぶと先ほどまでから一転。急に静かなになった。
「え?」
あまりの急転ぶりに探偵も思わずはへ? と間抜け顔を曝してしまう。
「いまいる親族の中にそんくらいの子はいねーよ」
「へ?」
今度は探偵が驚く番だった。
では自分が話していたあの少女は何者だったというのだろうか。
一呼吸おいて、青年が再び口を開く。
「亡くなったおじさんの娘さん以外はな……」
「まさか、娘が……」
男性も動揺しているのか、ナイフが身体から放たれた……その瞬間、
「は!!」
探偵が男性の身体を突き飛ばしてナイフから手を離させ、そのまま押さえ込んだ。
「な!?」
「あの少女が何もだったのかはわからない! けどあれが貴方の娘さんだったのならば、貴方にはきっと生きてもらいはずだ!! バカなまねは止めて罪を償ってください!!」
「う、ううううううううううううううううう!!!!」
男性は泣き崩れるようにうなだれ、この館で起きた殺人事件は終わったのだった。
その後、警察がやって来て事件が収束した後、探偵は館の外にいた。
これから、帰ろうと一歩歩み始めたときだ――
『パパを止めてくれてありがとう、探偵さん。パパには長生きしてもらいたから……』
誰かに呼び止められたような気がした探偵は振り返るも、誰もいない。
そこには、静かな館が佇むだけだった。
「まさかな……だが、私に力を貸してくれたのが本当に彼女だったのならば――……」
ハンチング帽を深く被り直した探偵は胸の前で十字を切ると、雲間から差し込む日の光を浴びながら館を去るのだった。
雨の降る館 海星めりい @raiki
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