雨宿り、君の隣

柏木しき

プロローグ

遠い昔、不老の体を持つ少年少女がいました。その代償として、少年は月の光に、少女は太陽の光に当たると消えてしまう呪いがかかっていました。少年は昼の世界に生き、少女は夜の世界に生きていました。彼らは、決して交わることがありませんでした。




「…っていうのが八上野伝説。優弥、知らないの? 有名な話だと思ってたけど。所詮田舎のおとぎ話なんだな」

「初めて知った。なんだか悲しい話だね」

「まあ優弥は高校に入ってからこっちに来たもんな、知らなくても当然か」

桜燐高校一年三組の教室のど真ん中。三学期の最初の授業が終わった直後。さっきは古典の時間で、たまたまその八上野伝説の話が出て来たのだ。

「それにしてもさ、三学期になっても来ないよな、咲川」

教室の一番端を見ると、誰も座っていない席がぽつんと置いてある。咲川朔良は、一年の時から在籍しているが、その姿を見たものは誰もいない。何故なら、彼女は入学式当日の登校中に倒れ、救急車で運ばれて、今も入院中だからだ。普段は体調も良く、教室の後方にあるカメラで授業を撮影し、それを病院で彼女が見ている。体調が良くても、病状は悪いらしい。誰かが外に出られない体だとか言っていた。本当かどうかはわからないが。

 入院生活ってどんなものなんだろう。幸せなことに、生まれてから一度も骨折、大病を患ったことがない故、入院中の心境だったり、過ごし方がわからない。きっと白い空間の中で、永遠にも思えるほど長い時間を『つまらない』と思いながら過ごすのだろう。

「でもさ、普段誰も気にしてないのにどうして急に咲川のことが気になったわけ?」

「別に。深い意味はないよ。ただ、教室の端が空いてるとなんか寂しいなと思って」

逢隈はそう言った。窓の外を眺めながら。なんだか物寂しい背中を見て、なんか変だな、でも逢隈のことだから大したことはないはずだ、そう自分に言い聞かせた。


 放課後になり、家に帰って復習する教科の教科書やらノートやらを鞄に詰め込んでいると、部活のユニフォームに着替えた逢隈が駆け寄ってきた。

「いつも思うけどさ、塩野、部活なんかやんないの?」

「親が厳しくて。毎回テストで学年十位以内に入らないといけないんだよ。俺、効率も能率もよくないからさ。みんなみたいに器用に部活は部活、勉強は勉強ってできないんだよね」

「部活入ってないと青春できないぞ~、せめてバイトでもしたらいいのにさ。そんな勉強漬けになってると頭が本になっちゃうぞ?」

「逢隈はもっと勉強した方がいい」

そんな会話をしながらお互いを小突き合って笑うと、逢隈はじゃあな、と言って体育館の方へ走り去っていった。

 別に、親がそんなことを言ったわけではない。厳しいというよりむしろ過保護な方だ。それなのに何故俺が部活やバイトなどという青春の代名詞のような放課後活動が出来ないのか。

 中学三年生の春、部活帰りに友達と歩いていた時に、突然倒れたことがあったからだ。救急車で運ばれ、一週間入院して検査もしたが、原因はわからず、医師からは部活はやめて安静にするようにと言われ、何種類もの錠剤を出された。

 親からも、一人で夜道を歩いていた時に倒れたらどうするんだ、日が暮れるまでに帰ってこいとしつこいほど言われ、放課後に残ることは無くなり、寄り道をすることもなく、帰るようになった。家にいる時間が増えたため、必然的に成績は良くなった。親はそれに満足し、俺もそれに対して何も思わなくなった。大学受験が人生の全てとまでは言わないが、大学は将来のほとんどを決める場所のように思うから、今勉強を頑張って損はない。それに、大体みんなが青春と指さすものは、愛だの恋だの、友情のことであって、別に部活やバイトをしていないだけでそれらのことが全く出来なくなったわけではない。ただ、人との関わりが出来る場所だから、そういうものに結び付けられやすいだけだ。そんなものはどこでも出来るのだ。しかし、学生にとっては学校という場所でほとんどの時間を過ごすわけで、どうしてもその時間に囚われてしまっている部分がある。学校に通うのは自由なのに、勉強をしたくなかったらしなきゃいいのに、どうしてかそこに強制感を覚えている。


「塩野」

「なんですか?」

翌朝、古典の八木先生に全員分の宿題プリントをまとめて渡し、教室に戻ろうとするとそう呼び止められた。今日は日直で、日直が持ってこいと言われていたのだ。どうやら今日はついていないらしい。

「実はこのプリントの解答を刷ったはいいんだが、先生、今日五限から出張が入っていてなあ…量も多いし、明日の授業までに渡す、って約束だっただろう? まとめるのが間に合いそうになくて…申し訳ないんだが、やっといてくれないか?」

「わかりました。やっておきます」

つい断ることが出来ず、そう答えてしまったのがいけなかった、と気付くのは、夕立が降り始めた頃のことだった。


 プリントをまとめ終えたのは下校時間ぎりぎりで、慌てて学校を出る。夕立は本格的な雨になっていて、制服のズボンの裾が地面に当たって跳ね返った雫で濡れる。

 親の言いつけを初めて破った。一応連絡してはいるが、この時間帯に帰るのはかなり久しぶりで、なんだかそわそわしてしまう。こうなったらちょっとだけ寄り道もしてやろう、と学校から少し歩いた場所にある神社へと向かう。

 その神社は縁結びの神様が祀られていて、地元の人の間では有名で、かなりご利益があるらしい。別に今すぐ彼女が欲しいとかそういうわけじゃないけど、単純に気になった。元々親が神社や寺を周るのが好きで、その影響か俺もその場所へ行くと落ち着く気がした。

 鳥居をくぐると、そこには少し廃れた本殿があった。廃れたとはいっても、ぼろぼろって感じではなく、歴史を感じる、と言った方が正しいかもしれない。周りの木々や花もきちんと手入れされており、大事にされてきたことがわかる。

 無難に五円を投げ入れて鈴を鳴らし、手を打つ。本殿をじっと眺めてから、あんまり親を心配させてはいけない、と階段を降りようとする。すると、真っ白な傘を持った同い年ぐらいに見える女の子が本殿の方へ向かっていることに気付いた。こんな天気の時に物好きだな、と他人のことを言える立場ではないがそう思って、特別気に留めるわけでもなく来た道を戻ろうとした。

 すれ違った時、彼女の横顔がちらりと傘から覗いて、思わずその顔に見とれる。彼女が階段を登り切った後も、その場に立ち尽くして茫然としていた。せめて知り合いになりたいな、そんな気持ちが心から洩れそうになり、いやいや、何を考えているんだ、無理に決まっていると自分に言い聞かせて家路についた。帰ってからも彼女の横顔が脳裏に貼りついてはがれなくて、その夜はあまり眠れずに朝が来てしまった。


「おはよう、優弥。珍しいな、そんな眠そうな顔して」

「昨日古典のヤギセンにこき使われてさ、残されてたんだよ」

「親は?お前ん家の親厳しかったよな」

「先生だから仕方ないけど、次からはちゃんと断れだってさ」

「まあ急に言われちゃ咄嗟に断れないよなあ。気持ちはわかるぞ。というか昨日の夜って雨すごくなかったっけ?」

「最寄りの駅までは普通に帰って、そっから親に車で迎えに来てもらったよ。心配した~とかなんとか言われたけど、正直この歳で恥ずかしいよ」

「まあな。でも心配してもらえるってきっとありがたいことなんだよ、俺もよくわかってないけど」

「わかってないのに言うな」

そんな他愛もない話をしながら席に着く。それでも、昨夜のことは誰にも話していない。自分だけの秘密にしておきたかった。これが独占欲なのだろうか。初めて人間の心は自分が思っていたよりもずっと欲深くて、醜いものなんだと知った。


 その日から、帰りにあの神社に寄り道するようになった。しかし、雨の日に見たあの子はいつになっても現れなくて、あれは偶然だったのだろう、と思うようになった。その習慣はわずか二週間ほどで無くなったが、彼女のことはその習慣を止めてからも頭から離れなかった。むしろ、止めてからの方が彼女のことをよく考えるようになっていて、病気か、はたまた呪いかと思い込むようにさえなった。この時、俺は初めて恋というものを知った。


 その日は一日中雨が降っていた。あの子を見かけてからちょうど一か月が経った日だった。そのせいか、教室にいるクラスメイトもなんだか気だるげで、その日の授業はみんな眠たそうに受けていた。俺は相変わらずぼーっとしていて、英語の授業に至っては自分が先生に呼ばれていることにも気が付かず、クラスメイト全員に笑われてしまった。逢隈には、

「お前、なんか最近おかしいぞ」

と言われ、軽くショックを受けたが、正直自分がおかしいことなどとうに分かっている。他人から見てもおかしいんだということに気付いて少し悲しくなったのだ。

 放課後、図書室で三十分だけ勉強して帰ろうと思って図書室によって勉強し始めたが、最近寝不足なせいか、だんだん眠くなってきて、五分だけ仮眠しようとしたらいつの間にか外は暗くなっていて、一時間半が過ぎていた。慌てて荷物をまとめて、帰ろうとすると、普段は誰もいない静かな図書室の本棚の向こう側に、誰かいることに気が付いた。そうっと覗くと、知らない女子生徒だったので、なんだ、と思って出入口へ向かおうとした。しかし、どこかで見たような気がして、もう一度彼女を見つめる。

 透き通るような白い肌、少しだけ茶色がかったロングの髪、桜色の唇に思慮深い瞳。雨の日の、あの子だ。少し違うことと言えば、髪の毛を一つに高い位置でまとめていることだけ。まさか雨の日に再会できるなんて。

 またあの時のように茫然としていると、視線に気づいたのか、彼女がこちらを向く。しばらく俺の顔を凝視した後、はっとする。

「もしかして、雪くん?」

と俺に訊ねた。

「いや、俺は塩野ですけど…」

「え」

一瞬石像みたいに体が固まって、それから顔が茹でだこのように真っ赤に染まっていく。

「ごっごめんなさい、人違いで!」

「いや、大丈夫です。それより、俺も人違いかもしれないんですけど、一か月ぐらい前の雨が降った日に近くにある佐柄神社にいませんでした?」

「佐柄神社にはよく行くよ。もしかして、あたしのこと見かけた?」

「ええ、まあ、そんな感じです」

「じゃあ、絶対笑わないって約束できる?」

「え?」

「私があの神社によくいる理由」

「約束します」

俺は力強くうなずいて、その先を促した。彼女は周りに誰もいないことを確認して、

「絶対だよ?」

と念を入れた。

「あたし、八神野伝説を信じてるの」

「それって、八神野伝説が本当に起こった出来事だって信じているってことですか?」

「そういうことです」

彼女は少しだけ俯いて、不安げな表情を隠した。きっと以前にこのことを誰かに言ってからかわれたことがあるのだろう。

「伝説を信じて追いかけてるって、なんだか昔の人みたいでかっこいいですね」

「それ、褒めてるんだか、貶してるんだか、よくわからない感想だなあ」

彼女はふふ、と息を咄嗟に気の利いた言葉が出てこなかったが、俺の言葉で、少しでも安心できたのならよかった。

「それ、俺も手伝ってもいいですか」

「どういうこと?」

「俺、二年前にここに引っ越してきたから伝説のこととかよくわからなくて。でも話に聞いたことはあって、ちょうど興味が湧いていたんです。だめですかね…?」

「ほんとに!?いいの!?」

その場で何度もぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ彼女を見て、なんだか自分まで笑みが零れてしまう。

「あっそうだ名前!まだ言ってなかったよね!2年1組の白石結愛!よろしくね!」

その日から、白石との秘密の伝説の証拠探しが始まった。




「ね、ゆうくんさ」

お昼休み、屋上へ繋がる階段の途中で弁当を広げている白石が切り出した。

「何?」

「一番最初さ、ゆうくん、あたしに『一か月前の雨の日に神社にいたか』って聞いたでしょ」

「それがどうかした?」

「あたし、一か月前は絶対あの場所に行ってない」

「え?」

「よくよく考えたら、冬休み明けてすぐは委員会が続けて入ってて、帰ってすぐに塾があったから行ける時間がないんだよ。だからあたしは行ってない」

「じゃあ誰が…」

「わからない…でもゆうくん、その日雨が降ってたなら、その人と間違えててもおかしくないよ」

「そうかな…」

「それとさ、」

白石は何時になく真剣な表情をして、こう言い放った。

「ゆうくんは、夜、晴れてるときに外出ちゃだめだよ。絶対にだめ。いいね?」

「それってどういう…」

その言葉の意味を問いただそうとしたら、丁度チャイムが鳴った。

「あ、あたし次体育だった…!じゃあね!」

逃げるかのように白石は去ってしまった。聞きたいことも聞けず、はあ、と大きなため息を吐く。

 夜、晴れてるときに外に出ちゃいけない? なんで? どうして医者でも何でもない白石がそんなことを言うんだ? 考えても、考えても、わからなくて、もやもやして、近くの壁を蹴る。

「意味わかんねえよ…」

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