並行世界のルームメイト

篠也マシン

前編

 記憶というのはとても曖昧だ。友達と思い出を話していると、記憶が食い違っていることに驚く。

「あのとき、先生に怒られたのはお前だったよな?」

「いや、君の方だろ」

 お互い真実だと言ってゆずらないが、どちらかが間違っているのだろう。だが彼女と出会ってから、どちらも真実かもしれないと思うようになった。


 高校生のとき、家を建て替えることになった。

「先祖から受けついだ家を壊すわけにはいかない」と父はこれまで修繕を繰り返してきた。母と僕はガタがきた家を立て替えるべきだと何度も訴えたが、父は拒否し続けた。だが先日、母が廊下に突如できた穴に落ちたことで、伝統よりも守るべきものがあると考えを改めたようだ。奇跡的に母にケガはなかった。僕は父の考えを変えるために母が廊下を壊したのではないかと疑っている。

 建て替えには四ヶ月かかるため、仮住まいを探すことになった。僕の住む街には賃貸物件が少なく、条件にあう家はなかなか見つからなかった。なんとか見つかったのは古い一軒家。同じ物件をかりようとした家族がいたが、数秒差で契約を結んだそうだ。少し遅ければ狭くて小さなアパートに住むしかなかったらしい。

 仮住まいへの引っ越しはすぐにはじまった。新しい自分の部屋に荷物を運んでいると、部屋にあるふすまが開いた。僕の部屋と隣の部屋の間に壁はなく、ふすまで区切られているだけだった。

「こっちの部屋は物置にするわね」

 母の言葉に僕はうなずいた。引っ越しが終わった頃にふすまを開けると、隣の部屋には物があふれていた。僕はふすまを閉じ、物がなだれ込んでこないことを祈った。

 引っ越ししてから数日後、隣の部屋から物音が聞こえるようになった。古い家だし、どこかがきしんでいるんだろう、と気にしないようにしていた。

 だがしばらくすると声が聞こえるようになった。それは若い女性の声だった。幽霊が住み着いており、僕に何かを訴えているのかもしれない。僕はふすまに近づき、彼女の声に耳をすました。

「あの店のタルトは本当に最高だった」と聞こえた。どうやら幽霊は僕におすすめのタルトを教えたいようだ。幽霊よりもふすまを開けて物が倒れてくるのが怖かったので、廊下を回って隣の部屋を確認した。だがそこには我が家の記憶がところせましと積み重なっているだけだった。

 その後も声は聞こえ続けた。美味しいカフェや流行りのファッション、本日の宿題など、内容は多岐に渡った。幽霊というより、同年代の女の子が友達と電話しているような声だった。

 声が聞こえた瞬間、急いで廊下を回っても声の主は見つからないが、自分の部屋に戻ると声が聞こえてきた。まるでふすまの先だけが不思議な世界につながっているのではないかと思えた。

 ある日、いつもと同じように声が聞こえた。廊下を回るのが面倒になったので、そっとふすまを開けてみた。するとそこは物置ではなく、見知らぬ部屋だった。部屋の中央には一人の女の子が寝転がっていた。僕はすばやく彼女の足下を確認した。足が見えたので、幽霊ではないようだ。お菓子をバリバリ食べており、完全にだらけきっていた。

 どうしたものかと悩んでいると、彼女が僕に気づいた。お互い目がぴたりと合った。猫のような瞳が印象的だった。僕はなるべく冷静に語りかけた。

「はじめまして」

 もちろん、返事は大きな悲鳴であった。


「いったいどうなってるんだろう」と僕は言った。

 僕が危害を加えるつもりがないことが分かり、彼女も少し落ち着いてきたようだった。幸い家には誰もいなかったため、先ほどの悲鳴に気づいた者はいなかった。

「隣の部屋は物置のはずなんだけど」

 彼女の言葉に僕は同意した。

「ちょっと待ってて」

 僕は廊下を回って隣の部屋を確認した。そこはただの物置であり、女の子は存在しなかった。僕が部屋に戻り彼女にそのことを伝えた。

「わたしも確認してくる」

 彼女の隣の部屋も廊下を回って行けるらしい。しばらくして彼女が戻ってきた。こっちと同じく物置のままだったようだ。どうやらふすまの先だけが、どこか別の場所へつながってしまったらしい。

「こんなの夢に決まってる」

 彼女は勢いよくふすまを閉めた。僕はふすまを開けようとしたが、また悲鳴をあげられても困るので止めた。彼女の言う通り明日になれば元に戻ってるかもしれない。


「おはよ」

 見知らぬ声で僕は目覚めた。ぼんやりした頭で部屋を見渡すと、ふすまから女の子がこっちをのぞいている。

「どうやら夢ではないようだ」

「そのようね」

 彼女はため息をついた。

 僕は状況を整理することにした。今日は学校が休みのため時間はたっぷりある。

「それで、君はどこの誰なんだろう?」

「まずそっちから名乗りなさいよ」

 彼女がするどく睨んだ。

「僕の名前はシュン」と簡単な自己紹介をした。

 住んでいる場所を言ったとき、彼女の表情が曇った。

「私も同じ住所に住んでいるのだけど」

 僕はしばらく悩んだ後、一つの可能性を思いついた。僕はにやりと笑って言う。

「君のところは今西暦何年の何月何日だい? きっと時間がずれているはずだよ」

 映画なんかでよくあるパターンだ。時間がねじ曲がっており、主人公たちは途中まで気づかない。僕は携帯電話に表示された時計を彼女に見せる。彼女はそれを眺めた後、同じ様に携帯電話を見せる。

「残念だけど同じ時刻ね」

 彼女は意地悪そうな笑みを浮かべた。その表情に思わずいらっとしてしまった。

「じゃあ君はこの状況をどう考えている?」

「これはきっと『並行世界』よ」

 並行世界、パラレルワールドとも呼ばれる自分たちの住む世界から分岐して存在するもう一つの世界。その世界がこのふすまを介してつながっている――時間がぴったり同じならばありえる話だ。

「最近、何か大変な事件が起きてない? きっと分岐するきっかけがあったはず」

 僕は首をかしげる。

「特に事件はなかったと思う」

「むむむ」と彼女はうなった。念のため最近のニュースを確認してみたが、お互い同じ内容であった。

「分かった!」

 突然彼女は大きな声をあげた。

「きっと私の世界ではシュンは死んでいるのよ」

 彼女は瞳を輝かせて言った。そんなに嬉しそうに言わないでほしいものだ。

「反対にこの世界では君が死んでいるということか」

「その通り。私とシュンは世界の命運をかけた戦いに巻き込まれ、どちらかしか生き残れない選択を迫られたのよ。それを悲観した神様が世界を分岐したってわけ」

 彼女は自信満々に語った。だがその仮説には根本的な欠陥があった。

「悪いけど、僕は君と初対面だ。それに世界の命運をかけて戦ったことはない」

「――それはあれね。分岐した影響で記憶を失ったのよ」

 僕はため息をついた。やたらと都合のよい展開だ。

「君の妄想はさておき、並行世界である可能性はある。僕はこっちの世界の君について調べてみる。君も僕について調べてくれないか?」

 彼女はうなずいた。お互い通っている学校を確認すると、同じ学校であることが分かった。お互い顔を知らないということは、僕が死んでいるという彼女の妄想を否定できない。ただし教室が離れているため、顔を知らなくても不思議ではなかった。

「明日が楽しみね」

 彼女は不敵に笑った。そしてふすまに手をかける。

「あと勝手にふすまを開けるの禁止だから。必ずノックをすること。急に開けられて変な姿を見られたくないし」

「それはお菓子をバリバリ食べてだらけきっている姿のことかい?」

 彼女の顔がひきつり、ふすまを勢いよく閉めようとする。

「ちょっと待て。まだ君の名を聞いていない」

 彼女は首をかしげた。既に教えたものと勘違いしていたようだ。

「――トウコ」

 彼女はそう言い残し、不思議な世界の扉を閉じた。


 次の日、こっちの世界のトウコの存在を確認するため、教えてもらったクラスの教室へ向かった。幸か不幸か彼女は元気に生きていた。静かに読書をしており、昨日の女の子よりも表情がやわらかく別人のように見えた。休み時間、さりげなく廊下ですれ違ってみたが、僕のことを気にする素振りはなかった。こっちの世界のトウコは僕のことを知らないようだ。

 放課後、彼女の後をつけた。すると解体中の家の前に立ち止まった。僕の家にも勝るとも劣らない古い家のようだ。

『実は解体中の家を見るのが趣味なの』ということはないだろう。しばらく眺めてから歩き出し、小さなアパートに入っていった。家族で住むにはとても狭そうに見えた。

 自分の部屋に戻ると、既にふすまは開けられていた。もちろんノックなどしなかったのだろう。

「ずいぶん遅かったじゃない」

「少し調査に手間取ってね。とりあえずこっちの君は元気にしてたよ。そっちの僕はどんな感じだった?」

 僕はふすまへ近づいて聞いた。

「残念ながら生きてた」

 彼女は口をとがらせた。全然残念ではないのだが。

「こちらの君は小さなアパートに住んでいたよ」

「ストーカーみたいなことしないで」

 彼女は猫のような瞳でするどく僕を睨んだ。

「調査のためだって」

「まあいいわ。でも変ね。これまでアパートに住んだとこはないし、ついこないだこの家へ引っ越してきたところよ」

 彼女は肩をすくめて話を続ける。

「私の家は本当に古くてね。ようやく建て替えることになったのよ。だからここは仮住まいってわけ。この街には賃貸物件が少ないから、見つけるのは大変だったみたい。ようやく見つかったと思ったら、別の家族もここをかりようとして、数秒差で契約を勝ち取ったらしいわ。少し遅ければ狭くて小さなアパートに住むしかなかったそうよ」

「――僕も全く同じ状況なのだけど」

 僕と彼女はお互い見つめあった。

「ちょっと、詳しく教えなさいよ」

 僕はうなずいた。話してみると、お互いここに引っ越した経緯は驚くほど同じだった。賃貸契約を勝ち取ったのが、僕の家族か彼女の家族かだけが異なっていた。契約できなかったこっちの世界の彼女の家族は、狭くて小さなアパートに引っ越すしかなかったのだろう。

「そんなつまらないことで世界が分岐するなんて」

 彼女は頭をかかえた。僕は「ははは」と笑った。

「どうやら、君の仮説はただの妄想だったようだね」

 彼女の眉がぴくりと上がった。

「悪かったわね!」

 彼女の手が振り上げられた。僕は飛んでくる手を避けようとふすまから距離をとった。瞬間、彼女は何かに跳ね返され仰向けに転がっていた。

「何なのよ、これ」

 彼女はすぐに起き上がった。怪我はないようで僕はほっとした。

 僕はゆっくりと隣の部屋へ手を伸ばした。するとちょうど境界で手が止まった。まるで透明な壁があるようだった。

「どうやらお互いの世界を行き来きすることはできないらしい」

「じゃあこのイライラをどこにもっていけばいいのよ!」

 彼女は部屋のクッションをこちらに放り投げた。もちろん、クッションは跳ね返されるのであった。


 最初のうち僕たちはこの状況をなんとかしようと考えていた。だが解決策は見つからず、家の建て替えが終わるまでお互い我慢することにした。たった四ヶ月だ、と僕は思った。

「こっちの世界の君はすごくおしとやかに見えるのだけど」

 宿題を見せて、という彼女の願いを拒否したところ、再びクッションを投げつけられた。

「誰だって学校では猫をかぶっているものよ。最初からだらけきった姿を見られてるし、今さら何もかぶる気にならないわ」

 僕は温かいため息をついた。僕はふすまへ近づき宿題を広げた。

「見せるのはだめだけど、教えることならできる」

 彼女は宿題を持ち、さっとふすまへ近づいてきた。

 宿題を終え、彼女は仰向けに倒れ込んだ。僕は彼女へ声をかける。

「一般的な意見を聞きたいんだけど、理想的な男の子との出会いってどんなのかな?」

 彼女は起き上がり、にやりと笑った。

「気になる子にでもいるの?」

「一般論として聞きたいだけだよ」

「とりあえず、ふすまから突然現れるのはだめ」

 僕は笑った。彼女はしばらく考えてから、机の上から何かを取ってきた。それは一冊の本だった。有名なシリーズもののファンタジー小説だ。表示にはこの街の図書館の蔵書であることを示すシールが貼ってあった。

「図書館で本を手に取ろうとしたとき、隣からすっと伸びてくる手がある。振り返るとそこにいたのは素敵な男の子。『君もこの本が好きなのかい?』と彼は言う。本が紡いだ出会いってわけよ」

「そんな偶然あるわけないだろう」

 僕が笑うと彼女は顔を赤らめた。

「いいじゃないの! 反対にシュンはどうなのよ?」

「そうだな……」

 僕は腕をくんで考えてみる。

「レンタルショップで映画をかりようとケースを手に取ろうとしたとき、隣からすっと伸びてくる手がある。振り返るとそこにいたのは素敵な女の子。『あなたもこの映画が好きなの?』と彼女は言う」

「私とまったく同じじゃない」

 彼女は思わず笑った。

「君は本を読むのが好きなのかい?」

 彼女はうなずいた。ふすまの先に見える本棚には、様々なジャンルの本がつまっていた。最近彼女は先ほど見せてくれたファンタジー小説に夢中になっていた。ただすべてをそろえるのが大変なので、よく図書館へ通っているそうだ。

「主人公とヒロインが放課後に異世界へとばされるんだけど――」

 彼女の演説はしばらく続いた。話が終わったころ、僕はそのシリーズについてこの街で彼女の次に詳しくなっていた。

「さて、今度は僕のターンだ」

 彼女の話に一区切りがつくと僕はにやりと笑った。僕は映画が好きで、よくレンタルショップに通っていた。僕は好きな映画の魅力について存分に語った。彼女はしばらくじっと聞いていたが、いつのまにか眠っていた。

 たった四ヶ月だ、と僕は思った。トウコといられるのはそれだけの時間しか残されていない。僕はいつのまにかこの口の悪いルームメイトを好きになっていた。ふすまを開ければ彼女にいつでも会うことができた。だが僕たちは本当の意味で決して会うことはできなかった。

 この気持ちをうまく解決するには、こっちの世界のトウコと仲良くなるしかなかった。幸い相談相手にはうってつけの女の子がいた。僕は今日彼女が話してくれたことを記憶に刻んだ。僕は「おやすみ」とつぶやき、ふすまをそっと閉じた。

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