読切ショートショート集

楠木凜

意義報知機

 都心のアパートの一室にある青年が住んでいた。


「ごめんください。不審な者ではありません」


青年がドアを開けると、いかにも生真面目そうなサラリーマンが何かを持って立っていた。


「こちらは、意義報知機です。最近、なんで……」


「押し売りならいいです。間に合ってます」


「そうじゃありませんから、聞いてくださいよ。なんでこんなことしてるんだろう、って思うことありませんか? そんな時に役立つのがこの機械なんです」


こんなことを真顔で言うから笑ってしまう。


「笑わないで聞いてください。私どもの会社ではこの度、持ち主の脳波を検知して、これから始める行為の意義を教えてくれる機械を開発したんです。その動作確認実験として、対象者を無作為に選んだ結果、あなたがその一人になったんです」


 そんな訳で、青年はその機械を押しつけられて、茫然としていた。目の前の開いたドアの向こう側には、もう誰もいなかった。


 電源を入れると、その機械は二つに分かれ、まるでイヤリングのように両耳にくっついた。青年は台所へ向かおうと立ち上がる。


〈台所へ行くと、料理をすることができます〉


突然、どこからともなく機械的な声が聞こえてきた。「意義報知機」の声だ。どうやら、全ての動作に対してその意義を教えてくれるらしい。


〈もやしは疲労回復や肝臓機能向上に役立ちます〉


そんなことまで教えてくれるのか。


〈豚肉は風邪予防などに効果を期待できます〉


〈ニラは生活習慣病の予防にもなります〉


もはやちょっとした知恵袋じゃないか。青年はうれしくなった。こんなに便利なら、実験参加者に選ばれてよかった。


〈入浴は、あなたの体を清潔にします〉


そんなどうでもいいことは言わなくていいんだけど……。青年は試しにジャンプしてみた。


〈……〉


無反応。何も意義はない、ということなのか。


〈洗髪すると、血行が促進されます〉


〈歯磨きは歯周病や虫歯の予防に寄与します〉


ほとんど全ての行動が有意義だとわかる。青年には、毎日の生活が実りあるものになると感じられた。


〈睡眠は体力を回復させるためのものです〉


意義報知機の声に誘われて、青年は眠りについた。


 翌朝、青年は意義報知機に起こされた。


〈早起きは、健康に暮らすために必要です〉


〈通勤は、……〉


何か言っているが、急がなければ遅刻だ。意義報知機の声を無視して、青年は電車に飛び乗った。


〈ニュースを知ることは、世界情勢を知ることにつながります〉


青年がニュースアプリを開くと、意義報知機は喋った。周囲は無反応だ。どうやら他人には聞こえないらしい。


 青年が会社に到着すると、上司が声を掛けてきた。


「すまんけど、これ、コピーしといてくれ」


青年はコピー機に向かったが、意義報知機は何も返さなかった。故障だろうか。青年はいぶかしく思いながらコピーし、上司に届けた。


〈水分補給は、熱中症対策になります〉


暫くして、青年がペットボトルに手をのばすと、意義報知機は教えてくれた。


「ねえ、三〇分後の会議、あたしの代理で出てくれないかしら」


同僚に頼まれ、青年は渋々了承した。三〇分後、青年が会議室に入ったが、意義報知機は何も言わなかった。会議が終わり、青年は顧客情報をまとめた資料を作り始めた。


〈資料の作成は、会社のサービス向上に効果をもたらします〉


定時ごろ、上司は青年に残業を押しつけて帰っていった。仕方なく、青年が残業に残ろうとする。いつも通り、残業代は出ないのだろう。やはり、意義報知機は何も言わなかった。


 そこで青年は気が付いた。会社の業務には無駄で無意味な手続きが多いことに。


〈辞表を出すと、あなたの将来は明るくなります〉


意義報知機が青年に話しかけた。



(了)

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