第384話 臨時団員①


 見上げる窓の向こうは薄曇りの空。朝はもっと気持ちよく晴れていたのに、くすんで見える水色はここへ来てからどんどん色合いを重くしている。

 まばらに浮かぶ雲はまだ薄く雨の気配は感じないが、妙に湿った嫌な空気だ。


「朝からずっと空を気にしているな、リリアーナ。帰路の天気が心配か?」


「え? あぁ、人数も多いから降らなければ良いなと」


 心配そうに覗き込んでくる長兄にそう応え、手にしたまま内容はさっぱり頭に入ってこなかった本を閉じる。

 アルトから北の空の異変を告げられて以降、注意して様子を見ていても、今のところ「空模様が良くないな」という感想しかなかった。引き続きポシェットの中で観測を続けてくれているが、やはり本体から切り離された今の状態だと遠方の探査は難しいようだ。

 このまま何も起きないなら、それに越したことはない。 

 エトが起きる前に打ち明けた『相談』だけでもずいぶん心配をかけているはずだから、これ以上余計な懸念を上乗せするのは気が引ける。せめてアルトの言う『要素』とやらが何なのかはっきりするまでは、ただ天候を気にしていることにしておこう。


「この辺は絶えず風があるから、雨雲も動いてくれると良いんだが」


 アダルベルトはそう言って換気のための支え棒を外し、窓を大きく開いた。上にスライドさせる形の窓枠を上げきって手探りで留め金を探していると、何かに気づいたようで頭だけ下に向ける。その瞬間、


「こんちわー!」


「だっ、」


 窓の下から男の顔が生えた。

 驚いたアダルベルトは両手を上げたままの格好で後ろに倒れる。危ない、と声を上げるよりも先にトマサが動き、傾く長身を難なく受け止めて見せた。


「び、びっくりした、ありがとうトマサ」


「いえ、お怪我がなくて何よりです」


 そんなやり取りが交わされている間に窓の外へ拳大の氷を作り出し、煉瓦色の頭めがけて落した。

 鈍い音をたてて追突した氷の塊はそれなりのダメージを生んだようで、兄を驚かせた犯人が窓枠の向こうに消える。


「兄上、大丈夫か?」


「あぁ、俺は何ともないよ、少し驚いただけで。彼はたしか、カミロが雇った自警団員だっけ?」


「コンティエラへ帰りつくまでの臨時でな。腕は立つし、魔法も扱えるから便利にこき使って良いと言われている」


 そこで頭頂部を押さえた男が再び顔を出し、軽薄にへらりと笑った。


「どうもー、臨時自警団員のシオでーす。ぴちぴちの十九歳、今は住居不定無職だけど蓄えはあります、趣味は釣りと食べ歩き、好きな言葉は『押してダメなら、さらに押せ』です! 末永くヨロシクねお兄様!」


「……? よろしく」


 疑問点の多さにどこから指摘すべきか悩みつつも、初対面の相手への挨拶を最優先とした兄の潔さと礼儀正しさ。自分も見習いたいものだ。

 朝に一度顔を合わせている八朔は「あの強ぇ兄ちゃんじゃねーか」と目を輝かせ、その隣のアイゼンは「賑やかやねぇ」なんて言いながらカップを片手に和んでいる。

 その間、テーブルから窓枠に飛び移ったエトが毛羽立てた尻尾でエルシオンの頭を叩く、ペチペチという抗議の音が鳴り続いていた。


<……はっ! ツッコミ役がふたりとも不在!>


 ポシェットの中で打ち震えるアルトのことはそのままに、席を立って開いた窓へ歩み寄る。

 サーレンバー領での出来事はアダルベルトにも報告が行っているはずだが、捕縛した『不審者』とこうして直に会うのは初めてだし、今は髪色も異なる。兄に嘘をつくようで気が引けるけれど、この場ではカミロのお膳立て通り「臨時団員のシオ」として扱うべきだろう。


「護衛役がこんな所で何をしている、ちゃんと仕事をしろ」


「してるともー。オレがそばにいる限り、キミと、キミの大切なひとたちは守ってみせるよ。この命にかえても」


「それは結構。……ところでお前、なんだか妙な匂いがするな?」


 ふわりと漂う芳香。嗅いだことがあるけれど、この場にはそぐわない香り。知っているはずなのに、それが何なのかすぐにはわからなかった。


「あ、これ? 朝に食べてた果物だよ。匂い消しが必要でしょうってカミロサンがね、頭の上でギュ~って皮を絞ってね……お陰で朝から髪がベタベタだよ、ひどくない?」


「なるほど、確かにあの柑橘は良い香りだった」


「そーだよねオレも好きな匂いなんだよね気が合うね!」


 カミロは変装用の制服を貸与するだけではなく、人狼族ワーウルフの衛兵たちの鼻をごまかす対策も怠らなかったようだ。テオドゥロなど他の自警団員とも見た目の年齢が近いし、この姿で紛れていればバレずに済むだろう。

 サルメンハーラ側との衝突を避けてコンティエラへ連れ戻す必要があるのに加え、この男を護衛の戦力として数えられるのは正直、他の何より心強い。

 町を出るまでにも何があるかわからないし、ふたりの兄の安全を考えれば、護衛の手が増えるのは個人的な好悪を差し置いても歓迎すべきことだろう。

 カミロもその一挙両得を狙ったからこそ、臨時雇用の自警団員なんて立場を与えたに違いない。


「シオと言ったか。てっきりカミロの知己だと思っていたが、もしかしてリリアーナとも知り合いなのか?」


「あぁ、うん、この町へ来るとき、少し手伝ってもらってな」


「そうだったのか。俺が至らぬばかりに君にまで手間をかけたようだな、コンティエラまでよろしく頼むよ」


 気さくに声をかけて右手を差し出すアダルベルトに対し、エルシオンは一度口を開閉してから結局何も言わずに、直立してその手を握り返した。

 正体を伏せているとはいえ、長兄とこの男が目の前で握手を交わしているのは何だか妙な気分だ。

 物語にある『勇者』の冒険譚を心から愉しんでいる兄を失望させてはならない、絶対にエルシオンの正体を知られないようにしなくては。


「リリィちゃ……お嬢様の身内はみんなキラキラしいねぇ、顔面が眩しいし後光がみえる」


「馬鹿なことを言ってないで、ちゃんと仕事をしろ」


 尻尾で叩くのに飽きたらしいエトがアダルベルトに飛びつき、その腕の中に収まった。翼竜の能力で『勇者』を見抜きはしないかと心配したが、どうやら「アダルベルトを驚かせた奴」としか認識していないようでほっとする。

 知り合いということで一応の紹介はできたが、一介の護衛役とこれ以上話し込むのは不自然だろう。エルシオンとは内密に話したいことがいくつかあるけれど、兄たちとの合流を果たした今、立場的にふたりだけの時間を作るのは難しいかもしれない。

 レオカディオとカミロが戻ったら早めに昼食を済ませ、馬車でこの町を出る予定だ。移動中も村での宿泊時も周囲の目があるし――とはいえコンティエラに着いたらそれこそ当面は顔も合わせられなくなる。帰路のどこかでタイミングを見計らって、どうにか話をしなくては。


(そういえば、直接会わずとも話せる手段があるんだったな……)


 移動中には使えないから、どこかで野営するか宿を取った時にでも試してみようか。自分の力を知っている相手なら新しい魔法のテストにもちょうど良い。

 先ほどアダルベルトたちに相談したことは後でカミロとレオカディオにも話すから、それでも考えがまとまらなければこの男にも訊いて情報を整理しよう。

 ノーアのように、第三者の視点からは思わぬ何かが出てくる可能性もある。


 ……いや、自分に同行してこの町へ来ている時点で、もしかしたらエルシオンも当事者のうちなのかもしれない。

 盤上の駒がまたひとつ増える様子を思い浮かべ、首筋にぞっと寒気を覚えた。


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