第382話 閑話・Dialogue2


 ――時間はほんの少しだけ遡る。




 サルメンハーラの町、入口付近に建てられた厩の棟の一角。リリアーナたちが朝食を取るその隣室で、侍従長を務める男は残った食材を使って次なる料理の支度を始めた。

 金歌の持ち込んだ食材のうち、柔らかいもの、味の良いものは粗方使い切ることができた。残るは固いパンの端やベーコンの外側、葉物の茎など。チーズと油脂の残りも集めれば簡易なブルスケッタが作れそうだ。自分たち使用人や、護衛として残っている自警団員の朝食には十分だろう。

 カットした果物の残りでソースを作るカミロは、混ぜているのと反対側の手で窓を開けた。


「鍵などはついておりませんよ」


「あ、バレてた?」


 悪びれる様子もなく、ひらりと身を翻して入ってきたのは、明け方に自ら倉庫へと運び込んだ赤毛の男だった。煉瓦色に変わっている髪色は、黒よりもまだしっくりとくる。


「あっちは兄妹で楽しそうにしてるから、お邪魔するのも悪いかなと思って」


 言葉通りの意図がどれほどかは知らないが、本当にそれだけならわざわざこの部屋を訪れる理由にはならない。

 支度の手を止ることなく、視線もやらずに「何か用向きが?」と訊ねれば、エルシオンは何が楽しいのか邪気のない笑顔を浮かべてカミロへと近寄ってくる。


「この後はゆっくり話す時間も取れなそうから、今のうちにね」


 起き抜けの令嬢に突撃するのではなく、人目を忍んで真っ先にこちらを訪れたということは、つまりその手の話題なのだろう。

 隣室からは未だ楽しそうに話す彼らの声が漏れ聞こえる。用意した朝食の量はリリアーナとレオカディオには十分すぎるほど、ふたりが満足すればあとは健啖家なアダルベルトと八朔が平らげてくれると予想している。

 皿が空くには、まだしばらく猶予があるだろう。

 カミロは傍らのピッチャーを取り上げると木製のコップへ冷水をそそいだ。そして残り物を挟んだパンの隙間に瓶の油を垂らし、それらを隣のエルシオンへと差し出す。


「え? くれんの?」


「量にはまだ余裕があります。それに、一昨日の野営では私もご馳走に与りましたからね。これはそのお返しです」


「そんじゃ遠慮なく。邪魔すんなとか、物置で大人しくしてろとか言われると思った」


「町への侵入の折、おとり役を引き受けて下さったお陰で助かりました。昨晩も、衛兵たちの包囲を抜けるのに一役買って頂けたとか。黙って話を伺うのは、それらの行動に対する誠意です」


「誠意、なるほど。いい言葉だよね。じゃあこれからオレが話すことも、オレからの誠意だと思って受け取って欲しいかな」


「お伺いしましょう。ただし、リリアーナ様から直接訊ねられたら私はためらいなく吐きますよ?」


「その辺は任せるよ、話せるもんならどうぞって感じだし」


 ろくでもない内容だとは予想していたが、もしかしたら自分が想像するより遥かに厄介な話かもしれないとカミロは身構えながらも先を促すことにした。


「ではお聞きしましょう。あなたは昨晩まで一体どこで何をされていたのです?」


「うん。塀の中で別れたあと、合流前に何かお土産が欲しいなと思ったオレは、リリィちゃんの喜ぶものは何だろうと考えたわけ。で、あの状況ならモノより情報のほうが喜んでくれるんじゃないかなーと閃いた。だから領事館近くの酒場に行って、色んな人と盛り上がりながら情報収集してきたんだよ、褒めて!」


「……」


 あの異様な酒臭さはそのためか、と思いながらも、まさか丸一日も酒を浴びていたわけではあるまい。そのまま黙って待つと、エルシオンはコップを傾けながらさらに小声で続けた。


「そこで意気投合した兵たちと職員寮に移って二次会して、みんなが潰れている間に抜けてきたんだけど。その後の、聖堂のことはちょっと曖昧かな……魔法で解毒はしてても、お酒が残ってるうちに暴れすぎたかも」


 無敵を形にしたような『勇者』でも、酒が過ぎればさすがに酔っ払うらしい。

 もっとも、野営中だって普通に食事や睡眠をとっていた。体の造り自体は人間と変わらないのか、と妙なところで感心を覚える。


「それで、どんな話を聞き出せたと?」


「呑みすぎた若者をちょっとは心配してほしい」


「あなたのほうが年上でしょう」


「それ言っちゃおしまいだよ~」


 声をひそめたまま器用におどけて見せる男は、体を反転させて作業台にしているテーブルへ寄り掛かる。


「町へ入る前に、外塀を見た時の話。あれ覚えてる?」


「サルメンハーラの外壁が異様な増築をされている件ですか? やはりキヴィランタ側に何らかの動きがあったのでしょうか」


 魔王領と接する聖王国側の最前線イバニェス領。その盾の役割を請け負おうとするサルメンハーラで、急な外壁の増強と延長が行われているなら、その理由は絞られる。

 だが領主家に何の通達もないままということがカミロには気掛かりだった。森とその向こう側に何らかの変化が窺えるなら、イバニェスへ情報を共有したほうが援助を受けられると重々分かっているはずなのに。


「サルメンハーラの中でも人間には情報が制限されてるぽいね。そーいう差別は後々の禍根を生むと思うんだけど、まぁ放っとこう。真偽はハッキリしないけど、どうもあっちで新たな『魔王』が生まれたらしいよ」


 何でもない世間話のようにそうのたまうエルシオンを、カミロは横目で見る。じわりと嫌な汗が浮かびそうになるのを、静かな呼吸を繰り返して押さえつけた。

 もともと言葉から感情や考えを読み取りにくい相手だが、あまりにも深刻さが足りない。……ということは。


「あなたはそれを信じていないのですね」


「そうだね。根拠としては薄いけど、勘かな。信じる?」


「信じます。この件に関しては大陸中のどこを探したって、あなた以上に信頼できる物差しはありません」


 残りの葉物と形の悪いトマトを小皿へ盛り、果実から作ったソースをかけて隣へ差し出す。残念ながらカトラリーの余分はないと告げるよりも前に、エルシオンは素手でそれをぱくぱくと摘まみだした。


「うま。……オレもちょっと前までキヴィランタを歩いてたからさ、話は耳に入ってたけど。ここんとこずっと、あっちは二手に割れて地味~に争ってるんだよね」


「二手、と言うと?」


「うーん、元魔王派と、反魔王派、みたいな? だからもし新しい『魔王』を僭称しているとしたら、後者の反魔王派の連中だろうね。……あははっ、本人が死んだ後で反魔王とか言ってんの笑っちゃうよマジで」


 エルシオンの昏い笑みには見て見ぬふりをしながら、手元の作業を続ける。

 現在のキヴィランタが一枚岩でないことはカミロの耳にも届いていた。むしろ『魔王』デスタリオラが存命の頃は魔物の群れの侵攻もなく、こちら側の問題に専心できて助かったと先代領主のエルネストがぼやいていたくらいだ。

 『魔王』としての力を持ちながらも優れた統治者であったと聞く彼がこの世を去り、力関係のバランスが崩れた今、残った者たちが割れるのも仕方のないことだろう。

 だからこそ、次なる『魔王』が立った際にどうなるのか趨勢を見守ってきた所ではあるが。


「サルメンハーラに在住するキヴィランタ出身者は元魔王派。森の向こうの争いがこちらに飛び火するのを懸念し……いや、もしくは僭称『魔王』派がこちら側へ侵攻してくることを予期し、先んじて防備を固めている?」


「さっすがカミロサン、話が早くて助かる~」


 となると過去の武器強盗の一件や、保護したアダルベルトの捜索などで領事館がいつも以上に過敏な反応をしていたことにも頷ける。聖堂の建設を渋り続けていた理由もおそらくこれだ。

 小心な現頭領は、イバニェス領――ひいては聖王国との関係悪化をとみに恐れていたのだろう。

 ならば情報を掴んだ時点で早々に相談してほしい所だが、事が事だけに打ち明けにくかったことも理解はできる。

 あの臆病者のことだ、真偽がはっきりした時点で「この時に備えて外壁を増強していました」とでも言って胸を張るつもりだったのだろう。情報は鮮度が命だというのに。その浅慮に頭痛を覚える。


「単刀直入にお訊ねします。あなたの目から見て、勘でも結構です、近いうちに魔王領との戦争は起こり得ると思われますか?」


「あっちの問題はあっちで片付けてほしいとこだけど。……たぶん何かは起きると思うよ。それを感じているからこそ、元魔王派の連中も『デスタリオラが生まれ変わっている』なんて馬鹿げた噂を鵜呑みにして、旗印になる相手を探し回ってるんだろうし」


 しばし、無言のまま視線が交わる。

 その緊張を解くようにエルシオンはにんまり口端をつり上げ、「ごちそうさま」と言って空になった小皿を置いた。


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