第381話 商談スペースにて②
そんな考えや不安が顔に出ていたのだろうか。隣からアダルベルトが安心させるように肩へ手を置いてくる。歳のわりに大きく鍛えられた武骨な手は、爪の形までファラムンドによく似ていた。
「こちらとしては、貴殿の持っている情報を正しい形で提供してもらえることに重きを置いている。一度イバニェスへ連行という形にはなるが、レオカディオ共々そう責められることはないはずだ」
「まぁ、そらありがたい話ではありますけど。のこのこ出歩いて見つかったなんて、絶対坊ちゃんに怒られる思うて」
「あの子は自分が何をしたのか、ちゃんとわかっていて反省もしているさ。あなたに八つ当たりするほど、俺の弟は狭量ではないよ」
余裕を見せるアダルベルトの微笑みに、行商人は曖昧な相槌を返す。
長兄に対する頼もしさを感じるとともに、アイゼンが考えていることもなんとなく分かるのだ。
……たぶん、いや間違いなく、レオカディオと顔を合わせたら全身に突き刺さるような嫌味を言われるんじゃないだろうか。兄と妹への照れ隠しも込めて、アイゼンが八つ当たり気味にいじめられるような気がしてならない。
リリアーナが向ける同情の籠った視線を受け、男はどこか諦めたような情けない笑いを浮かべた。
「ま、どっちみち同行するんで逃げ隠れしても意味ないですけどね。自分も手持ちの馬を出しますんで、荷運びの足しにはなれますやろ。聖堂は今日は使えないような話だったんで、そちらさんの厩の近くに繋いどきました」
「ああ、新たな官吏が到着するとかで、我々と鉢合わせるとまずいらしい。イバニェス家は聖堂や伯母上と仲が悪いということになっているらしいからな」
ここに来てマグナレアと会うまで、当の自分もその話を信じ込んでいた。
先ほど聖堂へ立ち寄った時も、支度に忙しかったのと他の自警団員たちの目があるからという理由で、あまり伯母と話すことはできなかったのが残念だ。ここを発てば顔を合わせることすら難しくなるというのに、別れの挨拶すら形式的なものになってしまった。
「せっかく会えたのだから、伯母上とはもう少し話をしてみたかった。……昨晩の金歌にも言えることだが、そんなに方々と敵対を装う必要があるのか?」
互いに悪く思っているわけではなく、むしろ想い合っているからこそ妙な演じ分けをする羽目になっている。この『仲の悪いふり』は一体誰に対しての演技なのか、いまいち納得がいっていなかった。
険悪さを隠すというならまだ処世術のうちとして理解できるけれど、懇意にしているなら人目を憚る必要などないのでは?
そんな疑問に対し、湯気の上るカップを持ち上げて唇を湿らせたアダルベルトは、「理由の一端に過ぎないけれど」と前置きをしてからこちらを向く。
「個人でも、集団でも、ひと所に力が集まりすぎると反感を買うものなんだ」
「反感……?」
最近、別の誰かからも同じような言葉を聞いたばかりな気がする。
首をかしげると、向かいの席で肘をついた手にあごをのせていたアイゼンが同じ方向に頭を傾ける。
「お嬢さん、逆に考えてみればわかりやすいのと違います? 『聖堂と結びつきが強く、サルメンハーラと通じて富を蓄え、なおかつ森の向こう側とも通じてる』……イバニェス領がそないな場所で、領主家は意図的に関係を深めてきたと、他領や王室に思われたとしたら?」
「それは、」
明らかに、危ない。
マグナレアや金歌といった個人との関わりがあるだけで、いずれも事実無根の関係性ではあるけれど。もし疑われて妙な噂でも立てば、それを払うのは相当困難だろう。
関わりを深めること自体が悪いのではなく、権力・富・武力を蓄えすぎていると疑われればいらぬ嫉妬を招く。
――そうだ、何もしていなくても嫉妬され、恨みを買うものだと、クストディアから教えられたばかりだった。
力ある『魔王』であれば余所からどんな反感を買おうと、どれだけ嫌われようと構わなかった。遠い風聞など気にならなかったし、森で悪さをする輩も簡単に排除することができた。
だが、それが領主家とか、イバニェス領丸ごととなれば話はまるで変わってくる。
正否などよそに嫉妬や僻みが広まれば、それはきっとイバニェス家や領内に要らぬ厄介事を招く。
「……」
『魔王』であった頃にも一度だけ、嫉妬を根とする騒動により深い後悔が生まれたことを覚えている。白蜥蜴が狙われ、全く関係のないウーゼが命を失い、結果として
見えないところで、知りもしない相手から、妬みの槍は向けられるのだ。
「そうか。だから聖堂の要職にある伯母上とも、サルメンハーラで兵を取りまとめている彼女とも、体面として距離を保っていないといけないのか……」
鈍いだの何だの言われる自分には、目の前にいる相手が何を考えているのか汲み取るだけでも難しいというのに。複数の知らない相手の思惑まで絡むとなると、全く想像の埒外だ。
喉の奥に苦いものが広がり、温かいお茶を飲んでいやな気分ごと流し込んでしまう。
「わたしは、他者の感情や考えに疎いところがあるから、そういう想定がとても苦手だ」
「疎いなんてことはないよ、リリアーナはいつだって周りの人を思いやってくれるじゃないか」
隣から向けられる深い藍色、知性の輝きが籠るその色が好きだった。
兄の顔と、その向こう側にある窓の外を見て、今の自分はとても恵まれているなんてことをふと思う。トマサ、八朔、アイゼンの顔を順に見回し、ここにはいない父や次兄、カミロ、フェリバやカステルヘルミの顔を思い浮かべる。
そして、白い少年ノーアのことを。
今の自分は信頼できる相手がたくさんいるのだから、苦手なことやわからないことがあるなら話せばいいのだ。ひとりでは答えが浮かばなくても、複数の視点から見れば何か違うものが見えるかもしれない。
ガラス越しに薄く曇る空は妙にのっぺりとして、遠近感を感じさせない。まるで空を描いた壁紙を貼りつけているみたいだ。
リリアーナは胸の内に焦燥感のようなものを感じながら、居住まいを正して隣席の兄に向き直った。
今朝方ノーアと話したことを相談してみよう。
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