第378話 衛兵総隊長金歌②


「おやおや、まだ何か用かい?」


 時間を惜しんで駆けて行ってしまうかとも思ったのだが、ゆったり歩く金歌はまだ厩の敷地内にいた。急ぎ足で追いかけるこちらを振り返り、その場で足を止める。


「八朔と見送りを。……昨晩はあんな対面になってしまったし、別れの挨拶くらいは」


「俺は別に、今さらババアに挨拶なんか、」


「この唐変木バカ坊主! 空気くらいお読み!」


 八朔の頭頂部に金歌の拳が落ち、岩同士のぶつかるような音がする。頭を抱えてうずくまる姪の息子に構わず、全身に覇気を漲らせる老婆はこちらへ一歩距離を詰めた。

 じっと注がれる視線を見返していると、皺だらけの顔がほどけるように緩む。


「ほんとに可愛らしいもんだねぇ。今、歳はいくつだい?」


「八歳だ」


「じゃあエルネストは、こんな可愛い曾孫の顔を見られなかったんだね。あの世で残念がってるだろうよ」


「曾祖父と知り合いだったのか?」


 年齢的には面識があってもおかしくはない。そもそも、この町の成り立ちには曾祖父であるエルネストの協力があったと聞いている。ならば金歌はその頃からもうこちら側にいたのか。


「アンタのひいじい様には色々と世話になったよ。あれは傑物さね、私が知る限りで二番目にイイ男だ」


「うん、大した人物だったと方々で耳にする。曾祖父がせっかく築いた関係だ、わたしとしてはこれからも良き隣人でありたいと思う」


「かかかっ、そう言ってもらえると嬉しいよ」


 そう言って破顔した金歌は透かし見るように目を細め、小さく息をつく。


「私の知る限りいっとうイイ男にも、昔、散々世話になってねぇ。ウチの一族も他の連中もみんな、どれだけ礼を言っても尽きないくらい、今でも感謝しているよ」


「……」


 起き上がった八朔が隣からこちらを見ている。向けられる無言の視線と、金歌の表情に、何と返せば良いのかわからぬまま、ただ小さくうなずいた。


「いくらでも好きなように振舞っても良い立場だってのに、私らみたいな下っ端のことばかり気にかける物好きでさ。いつもいつも、そうやって自分のことなんか二の次、住環境を良くするだとか農作物の収穫量を上げるだとか、そんなことに時間も手間もすべて注いだ挙句に……、遠くへ行っちまった」


「それは、本人がやりたくてやっていたことなら、お前が気にすることでは」


「ああ、わかっちゃいるよ。それでも今度・・は、もっと自分のために好き勝手生きてほしいと思うんだ。楽しいこと見つけて、好きなことやって、うまいモン喰ってさ。どうか……平穏に、幸せに生きてくれたら、それだけで私らは……、」


 目の前で膝をついた金歌は、持ち上げた右手をさまよわせる。

 頭を撫でようとしたのか、それとも肩へ手を置こうとしたのか。躊躇いながら少しずつ下がっていく手を、こちらから掴んだ。

 骨と皮だけの枯れ枝のような指だけは、初めて出会った頃と変わらない。それでも年月を重ねてきた手指は、あの頃よりもずっと力強かった。


「満ち足りた生活を送るわたしの想像だが、……その男はきっと、今もしあわせに暮らしていることだろう」


「そうだねぇ、きっとそうさね。でないと釣り合いが取れないよ、あれだけ周りに尽して逝ったんだから、次こそは、そうでないと……」


 感情の昂りに潤む目を閉じた金歌は、一度手を強く握るとそれを放す。お互い、伝えたいことはもう伝えた。立ち上がってこちらを見下ろす顔は、もう元通りの矍鑠とした老婆に戻っていた。


「アンタらが発つまでには、土産物を用意して馬車に届けるさね、楽しみにしてな。こっちの都合で色々とバタバタしてすまないね、落ち着いた頃にまた遊びに来ておくれ」


「ああ、また会えるのを楽しみにしている」


「それと……余計な手間かけて申し訳ないんだけどね、その馬鹿をよろしく頼むよ」


 扱いに不平を唱えようとしたのか、眉をつり上げて口を開けた八朔は、だが何も言わないまま項垂れる。その腰のあたりを肘で突くと、口元をもごもごとさせてから小さな声が漏れ出た。


「俺は大丈夫だから。母ちゃんとか、じっちゃんたちのことよろしくな」


「お前に言われるまでもないよ、私を誰だと思ってるんだい。いい機会だから、その甘ったれた性根も体も叩き直してもらいな! 地べたに頭擦りつけて、やらかした事しっかり謝るんだよ!」


「わ、わかってるよ、バカなことしたって……」


「そうさね、まったく、このクソ面倒な時期にファラムンドの坊やにまで迷惑かけて。自分の首根っこ叩き斬ってでも詫び入れておいで!」


 何もそこまでする必要はないし、カミロやアダルベルトの反応を見る限りどうやら八朔は死罪を免れそうだ。

 キヴィランタにいる黒鐘にもその辺を伝えてもらおうとリリアーナが口を挟みかけたところで、小屋の裏手からぶらりと人影が現れた。それが誰か気づくよりも前に、お気楽な声が飛んでくる。


「どーも物騒な話が聞こえると思ったら、なんだ、金歌ちゃん来てたの?」


「……ッ!」


 顔をあげた金歌から不意に怒気が膨れ上がる。あまりの気迫に息を飲んでいると、止める間もなく目の前からその姿が掻き消える。

 土を蹴る音が後から耳に届くような一歩だった。振り向けばすでに初撃が繰り出された後、真っ直ぐ眼球を狙った金歌の鋭い貫手を悠々とかわし、その男は退がり際に蹴り上げた足をフェイントにしてくるりと半身を回転させる。

 避けられることを読んでいたのか、金歌は初速を殺さぬまま引いた腕で肘を見舞う。相手は攻撃を手のひらで受けるが、すぐさま関節のバネを使った拳が振り下ろされた。

 それをあえて肩で受け、間隙に足払いをかけようとする脚を、逆に踏み潰す勢いで金歌の踵が落される。

 男は軽快なステップでそれをかわし、離れきらぬ間合いから右の拳。外側へ払われるのを見越した時間差の左、それも手首を捉えられたところで半回転からの回し蹴りが飛ぶ。

 死角からの攻撃を、だが金歌は視線を向けることもなく膝を上げて受けきった。

 掴んでいた手の関節が捩じられ、舌打ちをしながら捕まえていた手首を放す。


 瞬き数回のうちに交わされた応酬は、息をつく間もなかった。

 隣にいる八朔が唸るように喉を鳴らす。


「良くものこのこと顔を出せたもんだね、その厚すぎるツラの皮を少しは剥いたらどうだい」


「出会い頭にずいぶんなご挨拶だよ。いま頭痛いから加減して欲しいとこだけど、まぁ相変らず元気そうで何より」


 風に揺れる髪は暗い煉瓦色。具合が悪いらしく、普段よりも幾分青白い顔でこめかみを押さえる男は、こちらを振り返るなり破顔した。


「おっはようリリィちゃん、今日もかわゆいね~!」


「朝からうるさい男だな、体調が優れないなら少しは大人しくしていたらどうだ」


「リリィちゃんがオレを心配してくれているっ……これは、間違いなく、愛ッ!」


 恍惚としながら両腕で自分自身を掻き抱く男の横で、心底気味の悪いものを見たという顔をしている金歌。

 頬を引き攣らせたままこちらへ顔を向け、もう一度視線を戻してから、何かを諦めたように肩から力を抜いて大きなため息を吐いた。


「アンタが先に見つけていたのかい……」


「うん、偉大なる愛の力ってやつ!」


「相手は八歳の娘だよ、少しでもおかしなことしたら捻りちぎってやるからね」


「それはつまり、七年待てば手を出しても良、」


 そこで予備動作なく繰り出された鋭い蹴りを、エルシオンは体をぐにゃりと横に曲げるだけでかわして見せる。本当に体調不良なのか疑わしいくらいの動きだ。

 この男の強さは他の誰よりも良く知っているつもりだが、それでも、かつて相対した際に徒手を交えたことはなかった。

 魔法も、剣の腕も立つくせに、格闘もいける口だったとは。それともこの四十年の間に鍛え上げたのだろうか。

 生前に持っていたほとんどの力を失った今の自分は、かろうじて魔法でなら対抗し得るかどうか、といった所。

 何だか無性に悔しいような思いがこみ上げる。


「……はぁ。まぁいいや。話がややこしくなるからもう少し物置で寝ていれば良いものを。ところで、テッペイはどうした?」


「てっぺい? あ、もしかしてあの甲冑のこと? ちゃんと洗ってしまって・・・・おいたよ!」


 それを聞いて少しだけ安心する。テッペイを酒臭いまま返却しようものなら、ただでは置かないところだった。

 どうやら寝起きに例の魔法で自身も丸洗いしたらしく、風上にいるエルシオンから酒の匂いは漂ってこない。


「やれやれ、なんてこったい。結局、こちらが捜索している相手は全員こっち側にいたってことかね」


「兄上と、八朔と、こやつか。確かにそうなるな。別にこの男だけなら捕らえて連行しても構わんぞ?」


「そうしたいのは山々だけど、こっちも頭数が揃ってないし、どうせ捕まえたって逃げられるのがオチさね。……どうやら町に来る前から知り合ってたようだが、お嬢ちゃんはコレがそばにいても平気なのかい?」


 平気かと問われると返答に困るところだけれど、とりあえず敵意はないようだし、むしろ存命が明らかとなった今では目につく所にいたほうがまだ安心できる。

 姿を消していたこの二日間だって、一体どこで何をしていたのやら。


「まぁ、目障りでも害はないし、うるさいのにも少し慣れてきた。順応性には自信があるから安心してくれ」


「何ひとつ安心できる要素がないねぇ」


 なんとも言い難い表情で歩み寄ってきた金歌は、八朔の腕を掴んで「懲罰を終えても生きてたら、しっかりお嬢ちゃんを守るんだよ!」と鬼気迫る顔で言い含める。

 訳がわからないという様子ながらも、こくこくと頷きを返す八朔は困惑顔のままこちらを見た。


「ところでお嬢、あのべらぼうに強ぇ兄ちゃんは誰なんだ?」


「「…………」」


 沈黙。

 それから三人で素早く目配せを交わし、こくりと小さく首を動かして主導を買う。


「あれは、わたしとカミロがこの町に来るのに手を貸してくれた男でな、お前と同じくイバニェス領での裁きを待つ罪人だ。仲良くする必要はないが、くれぐれも、不必要に突っかかったりしないようにな?」


「へぇ、俺の同類か! 名前はなんていうんだ?」


「エ……シオ……、そう、名前はシオという!」


「そこはせめてシオンじゃない? いや別にいいんだけど」


 そもそも、八朔が問題行動を起こした全ての要因はこの男にある。髪色を変えているせいで、顔を知らない八朔に気づかれなかったのは幸いだ。

 もし仇として探していた『勇者』エルシオン本人だと知れれば、激昂して何をしでかすかわからない。

 対等に拳を交えて見せた金歌ならともかく、今の八朔ではどうやっても太刀打ちは不可能だ。自ら何かする様子のないエルシオンでも、自分を殺そうと向かってくる相手ならその命を摘むにも躊躇は――

 そこで、少し前に聞いた話が脳裏を掠める。


『リリィちゃんは優しいねぇ。キミが安心できるようにオレの秘密をいっこ教えてあげるよ。他の人には内緒なんだけどね、『勇者』は人間を殺せない・・・・・・・んだよ』


 人間を殺せない。

 ならば鉄鬼族と小鬼族の血を引く八朔のことは殺せてしまう。だが今はそのことよりも、何か別のことが引っかかる。

 何だろう、その話を聞いた時にもどこか妙だと思った。


「……まったく、余計な心労が増えちまったよ。今さら私が言えたこっちゃないけど、くれぐれも気をつけるんだよ?」


「ああ、八朔のことは任せてくれ」


「いや、そっちでは……もういいや。それじゃあね!」


 口では厳しいことを言う金歌も、『勇者』を狙っている八朔のことが気掛かりなのだろう。何度もエルシオンとこちらを見ながら、後ろ髪を引かれる思いを隠しもせず重い足取りで帰って行った。


 八朔と一緒にその背を見送りながら、リリアーナはふと北の空を振り仰ぐ。

 陽がのぼってきて明るさの増した冬の空、澄んだ薄水色に何もおかしな所はない。

 ただ目に映るそれが、どういうわけか妙に冷たく感じた。


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