第377話 衛兵総隊長金歌①


 眼鏡がなく衣装の違うその姿も、だいぶ見慣れてきた。後ろ手に戸を閉め、屋敷でのそれと変わらず軽やかに礼を向けてくる。


「リリアーナ様、おはようございます」


「うん、おはよう。今日の朝食もおいしかった。それと、昨晩は手間をかけたそうですまなかったな」


「いいえ、手間だなんてことは決して。良くおやすみになられたようで何よりです」


 調理を終えたばかりという様子のカミロは、木製の大きな盆を携えていた。中には具材を挟んだバゲットが詰められているようだ。こちらへ一言ことわるとそのまま部屋を通過し、外へ出る扉を開けて見張りの自警団員に盆ごと手渡す。

 うまやへ残った彼らの朝食なのだろう。こちらへ戻り、きれいに平らげられた卓上の皿を見てほんのわずか目を細めると、そこで何かを切り替えるように金歌へ向き直る。


「ところで総隊長殿、テーブルの皿へ手を出すことまで許可した覚えはございませんが?」


「固いこと言いなさんな、あれを受け取ったらもう退散するからさ」


 金歌が指をさす先では、便せんに向かうレオカディオが流れるようにペンを走らせていた。

 次兄とは手紙のやり取りをしたことがあるから筆致もよく知っているが、大人顔負けの達筆ぶり。そして筆記も速い。文章に悩む素振りなど一切見せずに、最後まで手を止めることなく書き切ってしまう。


「よしできた~。蝋はないけど印を捺しておけば十分かな、カミロあれ持ってるんでしょ?」


「はい、ここに」


 何をと言わずとも通じたらしく、カミロはポケットから小さな布包みを取り出した。濃い色合いのそれには見覚えがある。極楽鳥に乗ってコンティエラを発つ際に、ファラムンドが投げて寄越したものだ。

 受け取ったレオカディオは慣れた手つきで包みを解き、銀色をした金属塊を手の上で転がす。そして布を使ってインクを塗布し、封筒にそれを強く押し当てた。


「それが『領主印』というものか?」


「そうだよ、父上の代行の証ね。今回の場合だと、名代を言い渡された僕とこの印を預かったカミロがワンセットで、父上と同じくらいの発言力があるよーって感じ」


「リリアーナはまだ実物を見たことがなかったんだな。屋敷からは持ち出さない金の本印と、父上がサーレンバーへ持って行ったその銀印のふたつで一揃い、各領主が持っているんだよ。……では金歌殿、書状をよろしくお願いします」


「はいよ、任せとくれ」


 封筒を受け取った金歌はそれを懐へ忍ばせ、「よいこらしょ」と声を出しながら立ち上がって腰を伸ばす。話ついでに朝食も済んだところで、職場へと戻るのだろう。


「それじゃあ僕たちも支度をしないとね。領事館に兄さんやリリアーナを連れてくわけにもいかないから、しばらく別行動になるかな?」


「……そうですね。先に聖堂へ向かって、官吏の到着前にマグナレア様にお会いしましょう。自警団員らの引き上げも必要ですし、私もこの出で立ちではレオカディオ様の同行が叶いませんから」


 微妙な間が含まれたのは、アダルベルトに対する呼称に違和感を持ったためだろう。それでもカミロは何もなかったように言葉を続けた。

 そういえば聖堂には自分たちの着替えなどが置かれたままだ。移動まで寒いのは我慢して、ミミ付きのコートを回収してこよう。


「そっか、着替えないと『侍従長』って言っても通じなさそうだもんね。カミロがそんなふつーの格好してると、なんか新鮮。ちょっと若く見えるし別人みたい」


「ええ、お陰で領事館へ伺っても、全く気づかれずに済みました」


「は? もう行ったの?」


 アダルベルトも揃って驚いた顔をしていたので、そこで一旦、自分とカミロがこの町に着いてからの行動などを軽く説明することにした。

 酒場でのことや、八朔を確保した顛末などは適当に省きながら、ここ二日ばかりの出来事を手短に語り聞かせると、レオカディオは端正な顔を歪めながら「情報量多すぎない?」とぼやいた。


「ひとまず無事に目的は達成されたのだから、良しとしておこう」


「ええ。そういう訳で昨日、官吏を装って頭領殿と面会をして参りまして。……その際に、保護した青年の身元は不明との説明を受け、私は信憑性を八割程度と読んだのですが。小心者の彼のことです、残りの二割を捨て置きはしないでしょう」


「へー、もしかしたらイバニェス家の長男だったんじゃないかと疑ってるってこと?」


「ええ、面識もありますし。であれば逃げだした青年をそのまま放っておくはずありません。ごく一部の衛兵にはその特徴を伝え、一昨日の晩の不審人物や八朔君と並行して捜索するよう命じられていたのでは?」


 最後のほうは推測というより問いかけのつもりなのだろう、不意に自分の方を向いてかけられた言葉へ金歌は苦笑いをこぼす。


「内々に下った命令まで漏らすわけにはいかないけどね、まぁ、おおむねアンタの想像通りさ」


「あっは、ますます面白くなってきた~。兄さんは昨日ずっと聖堂にいたから衛兵には見つかってないんでしょ? てことはこっちに合流してることをまだ知らないんだよね。ふふふ、領主子息を保護しきれず行方不明にして、挙句に聖堂で諍い起こして、恐々としてるとこに僕が面会になんて行ったら、どんな顔見せてくれるのかなぁ」


 さも楽しげに、うっとりとした笑みを浮かべて見せるレオカディオ。少しだけサルメンハーラの頭領を務める人物が憐れに思えてきた。

 そこで話は終わりと見たのだろう、金歌は軽く手を翻して扉へと向かう。


「それじゃ、私はこの辺でおいとまするよ。アンタらが次にこの町へ来るまでには、もう少し落ち着いて過ごせるようにしておくさね」


「ええ、ご助力ありがとうございました」


 年齢を感じさせず大股で歩く金歌は、カミロと並んで礼を向けるトマサの前でふと足を止めた。


「そういやアンタ、昨晩はいい動きしてたよ。持って生まれた才覚だけじゃない、持続的に隅々まで鍛えてあるねぇ。侍女にしておくには惜しい人材だよ」


「えっ、わ、私ですか……?」


「そうさね、アンタさえ良けりゃウチで本格的に鍛えてみないかい? 今すぐとは言わないから、気が向いたらいつでもおいで」


 トマサの肩へ軽く手を置き、片目を瞑って踵を返す。こんな別れ際にまで冗談は残さないだろうから、金歌の誘いは本心なのだろう。

 うちの大事な侍女を引き抜かれるのは困るけれど、進退を決めるのはトマサ自身だ。示された選択肢に対する決断は彼女に任せ、今は別のことで迷い、焦れる。

 取るべき行動を決めきれぬまま、ただ見送るカミロの背と静かに閉じられる扉を見ていた。

 このあと町を発ったら、もう当面はサルメンハーラを訪れることはだろう。無事に十歳記を過ぎれば、もしかしたら兄か父に同行の形で再訪が叶うかもしれないが。

 衛兵らを取りまとめる金歌と、私的な話をできる機会なんて持てるだろうか、否、持つ必要はないかもしれない、けれど――


 胸の内でぐるぐると逡巡をしてから、それを断ち切るようにリリアーナはテーブルへ手をついて立ち上がる。


「お、お見送りを、してくる!」


「は?」


「八朔も、ほら、身内なのだろう! 外まで見送るだけだ、行ってくる!」


 突然の宣言に目を丸くする兄たちをそのままに、戸惑う八朔の手を引いて立たせた。腕を掴んだまま急いで扉へ向かうと、カミロが何も言わずにそれを開けてくれる。

 すぐに戻るからと言い置き、八朔と連れ立って小屋を出た。


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