第375話 無花果ピュレと生ハムのブルスケッタ


 言葉の先をせき止めたレオカディオの様子を見たか、それとも会話の内容が漏れ聞こえたせいだろうか、それまでそばで給仕をしていたトマサと老婆がそっと踵を返して隣室へ向かおうとする。

 確かに不穏な話題だし、政務にも関わることなら他者の耳はない方が良いのかもしれない。だが、もし本当にそうならアダルベルトが話を切り出す前に人払いをしていたはずだ。


「トマサ、気にすることはない。ここにいて良い」


「うん、今日のとこはこれ以上突っ込んだ話をする気もないし。それにトマサも全くの無関係ってわけじゃないんだから、別にいいんじゃない?」


「え……?」


 レオカディオのそんな気楽な声に、トマサは驚きを見せて表情を固くする。


「屋敷から馬で駆けつけてすぐに男臭い馬車へ押し込まれてさ、道中では僕の侍女の代わりに色々と世話をかけた上、昨晩も立派に活躍してくれたし。頼りになるってことは十分わかったら、今さら部外者扱いするつもりはないよ、安心して」


 そういえばレオカディオはどうして自分付きの侍女ではなく、トマサを連れて来たのだろう。そのお陰で久し振りに顔を合わせることができたし、助かってもいるけれど、限られた人選の中にトマサを入れたのが不思議だった。

 そんなことを考えているうちに強張っていたトマサの表情も平素のものに戻り、「お茶のおかわりをお持ちいたします」と言い置いて扉の向こうへ去って行った。


「トマサたちもここで一緒に食べれば良いのに」


「ああ、カミロがあっちの部屋に他のひとたちの朝食も用意してるらしいよ」


「そうなのか? それなら、まぁ、その方がわたしたちと共にするよりも気楽に食事をとれるか……」


 物心ついた頃からずっとそうしてきたし、とっくに慣れたはずなのに、立場や身分による隔たりを今さらのように強く感じる。ここ二日ばかりそういった風習とは無関係の食事をとっていたけれど、思えばいつもより口数も多く、楽しかったような気がする。

 何となく釈然としないものを覚えながら、長兄の真似をして籠の中から薄切りのバゲットを取り出す。軽く炙られたそれに、見よう見真似で添えられている小皿からジャムのようなものを塗り、向こうが透けるほど薄い肉をのせてかぶりつく。


「……!」


 塩気の強い肉と、淡い甘みのジャムが口の中で合わさり、えも言われぬ旨味を生み出していた。その濃厚な味を支える、焼けたバゲットの硬い舌触りと食感。これは何か計算をされた組み合わせなのだろうか。

 夢中で食べているうちにあっという間に一枚がなくなった。

 もう一度検証すべく、同じような比率を意識してバゲットにのせ、ひと口ずつ味わいながらゆっくりと咀嚼する。


「……ほんっとに、食べる時は百面相だよね」


「いつもこうなんすか?」


「いつもこうだねぇ。余所のお茶会に呼ばれても毒見してない食べ物には手を出さないだろうけど、この顔は見せられないな。まったく、危ないったら。……惚れるなよ?」


「お、俺はっ、そったのどは違うべさ!」


 何やら仲の良さそうな兄たちの様子を眺めながら、リリアーナは二枚目のパンを堪能し終えてお茶のカップを手に取る。


「ところで、先ほどから気になっていたのだが、そろそろ言及しても良いだろうか?」


「なに?」


 食卓についてから、なるべくそちらを見ないように我慢していた。だが話もひと段落したことだし、そろそろ訊いても良い頃合いかと、顔ごと視線を向けると兄たちもつられたようにそちらを向いた。

 トマサの横に、当たり前のような顔で佇んでいる老婆。頭には白い布を巻き、簡素な衣服に年季の入ったエプロンをつけている。

 多少装いを変えたところで、昨晩顔を合わせたばかりの相手を見間違えたりはしない。それが旧知の相手ならなおさらだ。

 皺だらけの顔をじっと見つめていると、腰の曲がった老婆―― 金歌は口の端をニタリとつり上げた。


「なぜサルメンハーラの衛兵たちのまとめ役が、こんな所で給仕をしているんだ?」


「俺もどうしてだろうと思っていたんだが、あまりに普通にいるから良いのかなと……」


「あー、僕も、なんでこんなとこにいるんだろって思ってたけど、誰も何も言わないしさ。カミロが任せてるならまぁいいのかなーって無視してた」


「俺も何してんだって驚いたんすけど、兄貴やお嬢がなんも言わねぇし、なら黙ってようかなと思って」


 結局、揃いも揃って驚きはしても、誰も訊ねることができなかったようだ。疑問を乗せたままの目でトマサを見ると、心得たとばかりに頼もしくうなずく。


「私も、侍従長が支度をお任せしていらしたので、それならば信頼に値する方なのだろうと何も申し上げませんでした」


「カカカッ、毒を盛るつもりならとっくにそうしてるさね。まぁ私のことなんかどうでも良いから気にしないどくれ、お坊ちゃんお嬢ちゃんたちの腹を満たすのが先だよ」


 そう言って金歌は離れた大皿から果物類を取り分け、手元へ持ってきてくれる。

 明るい朝の陽の中で見るせいだろうか、昨晩よりも面差しが柔らかい。しわの多く刻まれた細い輪郭の中に、快活だった昔の面影を感じ取る。


「おばーちゃんさぁ、こんなとこで馴れ合ってるのを見られたら、昨日の夜のアレが台無しなんだけど?」


「安心をし、狼どもは揃いも揃って夢の中だよ。あの連中は朝にめっぽう弱いからね」


「あぁ、年寄りだから眠りが浅くて短いんだ」


「ほんっとに口の減らないお子様だよ!」


 昨晩と同じように勢いよく交わされる応酬は、どちらの言葉にも棘や悪意が感じられない。むしろこれは親しい間柄の軽口だ。

 どういうことかと思い長兄や八朔と目を合わせるが、ふたりの表情に驚きはなかった。二、三、瞬きをして考え、そして思い至る。


「もしかして、昨晩は示し合わせてたばかったのか? どこからどこまでが演技だ?」


「相談なんかしてないよ、僕は着いたばかりだったし。ただ、おばーちゃんが先に突っかかってきたから、それに乗ってあげただけー。知らない仲でもないのに、初対面みたいな顔してわざと僕が怒るようなこと言うもんだからさぁ」


「いや、その、俺は前に……捕まってここの牢にブチ込まれた時、次に顔合わせたらメチャクチャ仲の悪い振りをしろって婆ちゃんに言われてたから」


 しれっとした様子の次兄と、どこか申し訳なさそうに歯切れ悪く答える八朔。次いで長兄へ目を向けると、カップを置いて不思議そうに首を少しだけかたむけた。


「昨晩は顔を合わせていないから、何があったのか知らないが。サルメンハーラの警備隊長を務めている金歌殿には、以前の訪問時にも世話になった。信頼できる方だと思っている。……でも、どうしてこんな所で朝食の支度を?」


「まぁ、昨晩の詫びも兼ねて、ちょいと内緒話をしにね。ウチの馬鹿どもが先走ったせいで、夜分に騒がせてすまなかった。そこの姉さんも驚かせたかね、乱暴して悪かったよ」


「いいえ。昨晩の徒手には全く害意が感じられませんでしたので。何かご事情のあるものと思っておりました」


「ククッ、若いのに筋が良いね。ウチの子たちもあんたくらい賢ければもう少し楽できるんだけどねぇ」


 しわがれた声に苦労を滲ませながら、金歌は温かいお茶をアダルベルトのカップへと注ぐ。

 結局、他の皆はどうしてこの場にいるのかと驚いているだけで、関係性について何も知らなかったのは自分だけのようだ。演技については一枚上手と認識はしているが、レオカディオの言葉も嘘とは気づかず全て真に受けて、ひとりで肝を冷やしていた。


「…………」


「あ、リリアーナがへこんでる」


「……レオ兄の言葉は、これからは全て話半分に聞くことにする」


「えっ、なんで僕だけっ?」


 過度に挑発的だった兄へ違和感を見出せなかった自分の未熟さと、それはそれとして何か一言くらい説明があっても良いんじゃないかという疎外感。

 頬がふくれるのを自覚しながらも、リリアーナは次兄と八朔から顔を背けてお茶にちびちびと口をつけた。


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