第374話 カラカラ茸と芋のフリッタータ
軽く赤い実をつまんだことで、本格的に腹が減ってきた。次はもう少し食べでのあるものに手を伸ばしてみようかとテーブルを眺めたリリアーナは、三角に切り分けられた平たいオムレットのような料理に目をとめる。
卵と一緒に具材を焼いたもののようだ。トマサが小皿に取り分けてくれたので、受け取ったそれをひと口大に切ってから口へと運ぶ。
「……! ……んく。これの中に入っているのは、カラカラ茸だな?」
「なにそれ?」
「昨日、カミロが通りの出店で見つけてスープを作ってくれたんだ。この辺の森に生えるキノコらしい。とてもうまかったから、後で町へ出るなら土産に買って帰ろう」
スープの時は奥深い滋味を感じたが、焼くと旨味がより強くにじみ出るようだ。一緒に混ざっている細切れの芋と卵、あとは塩くらいしか入っていないようなのに、これだけでも十分すぎるほどうまい。
カリっとした歯ざわりの表面に、中はまだほんのり温かくとろみのある卵が異なる食感のキノコと芋を取り持っている。甘さと塩加減のバランスがちょうど良い。
こればかり食べて腹がふくれると他のものを食べられなくなってしまうから、あと一切れだけ……と思いながら、結局あとふた切れも食べてしまった。
腹ごしらえは大事だけれど、席を外しているアダルベルトの分もちゃんと残しておかないと。そう考えて手を止めたところで、ちょうど外へと続く扉が開かれる。
エトの様子を見に行っていると聞き、もしかしたら連れて戻って来るかもと思ったのだけれど、あの仔竜はまだ眠ったままのようで姿を現した長兄は何も携えていなかった。
「あ、起きたんだね。おはようリリアーナ」
「おはようアダルベルト兄上。よく眠れたか?」
「ああ。あの青い紙の効果なのかな、夢も見ずにぐっすり眠れたよ。こんなに爽快な朝はいつ以来だろう」
「それは良かった。ところでその格好、自警団の制服のようだが……」
よく見慣れた黒い衣装。長身の兄には丈が余ることもなく、きちんと襟元まで締めている姿は妙に様になっていた。
レオカディオは自身の着替えを馬車へ積んできているけれど、自分たちは昨晩着の身着のままここへ移動したから手荷物など何もない状態だ。そんな中でも大人の着替えを借りられる兄が羨ましい。
自分はマグナレアがサイズを直してくれた部屋着のままだから、あとで町を見て回るならせめて外套が欲しいなと思う。
「俺はここの領事館に保護されたから、顔が割れているだろう? なるべく借りを作りたくないし、町を出るまでは自警団員のふりをしていようと思って」
「なるほど……」
そういうことなら、物置で寝ているエルシオンにも余っている制服を着せておくのが良いかもしれない。匂いについては酒以外でもどうにか誤魔化しようはあるだろう。
そうしてアダルベルトが空けていた席へ戻ると、八朔が待っていたとばかりに料理を取り分けた小皿を差し出す。
「兄貴、これどうぞっす!」
「ありがとう、八朔君」
「ちょっとキミさぁ~、僕には寄越さなかったくせに何なの。っていうか兄貴って。……兄貴、アニキか。悪くないな」
食卓が賑やかになったところで、リリアーナも朝食を再開した。
カミロはまだ奥の部屋で料理をしているのだろうか。昨晩までは非常事態ということで、使用人という立場を保留にして一緒に食事をとっていたのに。やはり兄たちがいる前ではそうもいかないようだ。
「そういえば、アダルベルト兄上、昨晩は迷惑をかけてすまなかった。話している途中で寝てしまって、馬車まで運んでくれたのは兄上なのだろう?」
「いや、それはカミロだよ。お開きにしようかってタイミングで登ってきてくれて」
「え」
再開しかけた食事の手が止まる。てっきり長兄の手を煩わせたのだとばかり思っていた。
兄のことは任せろと意気込んだくせに、結局足が悪い男を梯子の上まで登らせ、寝落ちた自分を抱えて降りて馬車まで運ばせていたとは……。
あんまりな事実に思わず額を押さえる。朝の挨拶はまだだけれど、会わせる顔がない。
隣席からそう気にするなと声をかけてくれる長兄は、笑って朝食を再開した。盛りつけられた小皿からチーズの挟まった赤い実をつまみ、感心したように「うまいな」と小さく零す。
「昨晩のスープもおいしかったし、カミロはやっぱりすごいな。料理を作ってもらうのは久し振りだから、何だか懐かしい」
「兄上は以前にもカミロの料理を食べたことが?」
「ああ。……俺がリリアーナくらいの歳の頃、裏庭の奥で探検ごっこをしていたときに、探しに来たカミロがたき火とナイフだけで色んなものを作ってくれたんだ。まだ小さかった俺には、まるで魔法みたいに見えたよ」
昔を懐かしむ兄の声音はとても柔らかい。遊んでもらったことはないと昨晩語っていたけれど、そういう思い出があるのなら、幼少時からの関係は悪くなかったと思われる。
アダルベルトは籠に入ったバゲットに何かを塗って、それを取り分けた皿の礼とでも言うように八朔へ渡す。
「何でもできてすごいなって。俺はあの時からずっと、カミロみたいになりたいと思っていた」
「侍従に憧れてどうすんのさ。目指すなら父上のほうでしょ」
「まぁ、小さい頃は将来のことまで具体的に考えていなかったし……後継としての自覚とかそういうのを持つようになったのは、十歳記を迎えてからだな」
カミロは大抵のことができるから、幼心にあんな大人になりたいと憧れる気持ちはなんとなく理解できる。
中身が幼くない自分ですら、彼のようにあれたらと思うくらいなのだから。
「昔から世話ばかりかけて、本当に申し訳ない限りだよ。最近のことだって、抱え込まずにもっとカミロを頼って相談すれば良かったのに……っと、朝からこれじゃいけないな、ひとりでグチグチしないって決めたばかりなんだから」
アダルベルトはそう話しながらも、次々にテーブルの上の料理を八朔に食べさせていた。差し出すものを断ることなくパクパクと平らげる少年の様子を見て、ぼんやりとウーゼたちのことを思い出す。
あの兄妹もこんな風に、与えるものは何でも嬉しそうに食べてくれた。大きく開いた口に、八朔の実の房を放り込んでいた何でもない日の情景。脳裏に浮かぶそれを、お茶をひと口啜りながらそっと胸の奥へしまい込む。
「それ、なんか屋敷での仕事に焦げ付いてるらしいって話はサーレンバーでも聞いてたけど、兄さんが難航するような案件って結局何だったのさ?」
「「兄さん?」」
耳慣れぬ呼び方に反応する兄と妹を華麗に無視し、レオカディオは話の先を続ける。
「恒常の政務ならもう任せて大丈夫って父上が判断して、念のためカミロまでつけてたのに。それでも解決できないどころか、あんな鬱々とするまで頭を悩ませるようなこと、僕の耳には入ってないし、特に思い当たらないんだけど?」
「そういえば、アダルベルト兄上があそこまで精神的に追い込まれた大元の理由については、まだ聞いていなかったな」
単に仕事量が多くて捌けず大変だったという風ではなかった。ということは、レオカディオの言うように何か厄介事が舞い込んで、それを処理しきれずに頭を悩ませていたのが疲労の原因だろうか。
手を伸ばして八朔の口に果物を放り込んでいたアダルベルトは、曖昧な笑顔でそれにうなずきを返す。
「実のところリリアーナも無関係ではないし、これから屋敷へ帰ってみんなが揃ったら、情報の共有が行われると思うんだけど。その前に、この町でこうして八朔君と出会えたのは、何か運命的なものを感じてしまうな……」
「兄上を煩わせた問題に、わたしと八朔が何か関わっているのか?」
「決して悪い意味ではないよ。それに八朔君の人柄は昨晩から会話をして大体わかったし、武器強盗や屋敷への強襲も、悪意からの行いではないと理解できた。だからこそ、きみに訊きたいことがあるんだ」
「ふお? なんふか?」
重要な話が交わされていることにひとりだけ追いつけていない八朔は、食べ物でいっぱいになった頬を膨らませたまま目を瞬かせる。
「きみがイバニェス領内で集めた様々な武具。その中に、不正流通の品が混ざっているかもしれない」
「不正って……あ、」
アダルベルトの言葉をいち早く理解したらしきレオカディオが、何かに気づいたようにこちらを見る。
自分も関わっていて、正規品ではない武器、……と言えば確かに、思い当たるものはひとつしかない。
「もしかして、別邸のそばで摘発された不審な荷馬車のことか?」
「そう、リリアーナが見つけてくれたというその馬車。衣類に隠して、他領で集めたらしい中古の武具類を満載したまま関所を抜けたようでね。乗っていた男たちを締め上げても、金で雇われた運び人らしく元締めまでは辿れなかったんだが……」
「あ、キナ臭い。間違いなく厄ネタだ。わかっちゃった。となるとこの強盗君に訊きたい話ってのは奪った武器よりも、むしろ相手のこと?」
いまだ話についていけていないらしい八朔が、助けを求めるようにこちらを見る。
「つまり、ええと……八朔、お前は勝負を吹っ掛けて武器を奪っていたそうだが、その相手や場所は覚えているか?」
「あ? うん、戦った相手のことは絶対忘れねぇ、です。全員弱っちかったけど、やり合った相手のことはじっと見てたし、馬車も場所もだいたい覚えてるぜ、ます」
隣にいるアダルベルトの目がすっと細められた。
キンケードから聞いた話によると、武器を奪われた商人たちからは被害届が出ているらしい。もし不審な武器が含まれていたなら、その届けと八朔の話、それから供述によって回収されるであろう武器を照らし合わせればすぐに炙り出せる。
だが、事はきっとそれだけに留まらない。不正流通の品を取り締まるのは当然の流れとしても、兄たちの緊張感はそれ以上のものを漂わせていた。
「隠れて大量の武器を運ぶなんて、穏やかではないなと思っていたが……。あの荷馬車の他にも方々から集めているのだとしたら、用途は一体何だ? まさか、誰かが戦準備を始めているとでも?」
リリアーナが浮かんだ疑問をそのまま口にすると、対面にいる次兄が表情を変えぬまま、そっと唇の前で人差し指を立てて見せた。
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