第351話 夕餉の食卓インターバル①


「……と、いうわけで、本当に急いで戻らねばならん」


「戻るって、昼間のあの建物か。こっからだと少し距離があるぞ、……ありますよ」


「なに、来た時と同じように空を駆ければよい。とはいえ、わたしの体力もそろそろ限界だ。すまんが背負って運んでくれんか、軽量化と浮遊の魔法はちゃんとかけてやるから、代わりに走ってくれ」


「ハ?」


 戸惑う八朔へ半ば強引に魔法を纏わせ、急かすように屋根の上を走らせる。

 歩幅が違うせいか、自分で走った時よりもずっと速い。浮遊がかかっているため背負われた状態でもあまり揺れを感じないし、肩に掴まりながらこれは楽で良いなと思う。

 前にコンティエラでカミロに抱えられたまま走った時にも、今くらい容量があれば浮遊をかけて補助できたのに。あの時は必要最低限の魔法を扱うだけで精一杯だった。

 良く知る肩と比べると、成長途上にある八朔はまだまだ細い。だが骨の浮く首や腕は年齢によるものではなく、あまり食べていないせいかもしれない。

 片目を失ったことで遠近感が掴みにくいらしく、何度か足を踏み外しそうになったが、どうにか日が暮れるまでに聖堂へ戻ってくることができた。


 降り立った門前はまだ暮れかけの明るさを保っている。

 夕餉時が近いせいだろう、どこからともなくおいしそうな匂いが漂ってくるものの、まだ聖堂内にヒトの気配は薄い。どうやらカミロの帰還には間に合ったようだ。


「今度は逃げ出すでないぞ、八朔」


「わかってる、ますよ……」


「それと、カミロにはきちんと事情を話して謝らなくては。本当はひとりでこんな無茶をするつもりはなかったんだ、忠告されたばかりだし。強盗行為についての諸々を話すついでに、わたしと一緒に叱られてくれ」


「どういうことだ?」


「ええ、どういうことでしょうか、私も興味があります」


 背後から聞こえた声に、背負われたまま八朔と揃ってびくりと肩が跳ねる。

 おそるおそる振り返れば、大荷物を抱えたアイゼンと、いつもの無表情でこちらに近づいてくるカミロの姿があった。


<す、すみません、お知らせしようと思った時にはもう遅く……>


「あー」


 思わず呻き声を口から漏れる。

 どの道、八朔のことはちゃんと説明するつもりでいたから、見られて困ることはない。……のだけれど。

 まだ言い訳の固まりきらない頭では何と答えるべきかも思い浮かばず、八朔の背中で固まったまま長い影を引いて歩いてくるふたりを門前で出迎えた。






 マグナレアによって浴室で洗われ、カミロが買ってきた服に着替えてひと心地ついているリリアーナとは真逆に、同じように丸洗いされて治療を受けた八朔はソファで丸くなっていた。

 下水路のそばにいたせいで、ふたりとも饐えた匂いが染み付いてしまったらしい。聖堂に戻るなりすごい形相のマグナレアに服を剥かれ、浴室で丁寧に洗われた。

 朝から動き回って汗をかいていた自分には有難かったが、その次に浴室へ連れ込まれた八朔は着替えが済んだ後もずっとこうして顔を覆ったまま萎れている。


「その、リリアーナ。彼は一体どうしたんだ?」


「さぁ? 湯浴みをして着替えて、包帯も替えたからすっきりしたはずなのに。疲れているのか?」


「放っておいてくれ……ください……俺のことは……」


 そう小声で力なく返す少年は湯あたりでもしたのか、尖った耳の先まで赤く染まっている。しばらく休ませておいたほうが良いだろうと判断し、隣に座るアダルベルトへ向き直った。


「兄上は先ほど昼食を済ませたばかりなのに、もう夕飯にして大丈夫か?」


「ああ、スープくらいなら入るよ。カミロには色々と話さなくてはいけないことがあるけど、食事の席でさらっと済ませてしまえという伯母上の配慮だから」


「確かに、ここ数日で色んなことが一度にありすぎたから、まとめて話し合ったほうが楽でいいな」


 テーブルのほうに目を向ければ、他の部屋から椅子を運んできたアイゼンがすぐに厨房のカミロに呼ばれ、入れ替わるように出てきたマグナレアが重なった食器を手に配膳の準備をしていた。

 何かを煮込んでいる良い匂いと、焼ける肉の食欲をそそる香ばしさがこちらまで漂ってくる。

 カミロたちが抱えていた大荷物は、商店で買い込んできたそれぞれの着替えと、食材や食器の類だったらしい。急に八朔まで加わることは予想していなかったはずなのに、抜かりのない男はいずれも多めに用意してくれていた。


 そうして大人三人がせっせと働くのをソファで見守っていると、マグナレアからもうすぐ準備が終わると声をかけられる。

 丸まったまま動こうとしない八朔を兄と一緒に連行し、食事の用意がされたテーブルへ着席した。



「昨日まで私ひとりだったのに。たった一日で妙な面子が揃ったわねぇ」


「急なことで申し訳ありません」


「いいのよ、賑やかな食事のほうが私も楽しいし。入れ替えの官吏さえ来なければ、しばらく滞在してもらっても構わなかったくらいだわ」


 食事の用意されたテーブルには自分とマグナレアとカミロ、対面にアダルベルトと八朔がかけている。他の部屋から運んできても椅子が一脚足りず、アイゼンだけはソファへ座ることになった。

 冷める前にと促され、皮目のこんがり焼けた肉や色鮮やかなキッシュを遠慮なく頬張る。スープの中に入っている丸いキノコ、これがカミロの話していたカラカラ茸なのだろう。鈴のような形状で噛むと口の中に旨味があふれて、とてもうまい。


「カミロがこんなに料理上手だなんて、知らなかったな。とてもおいしいよ」


「家庭料理の範疇ですから、本職にはとても及びません。ですが、お口に合ったなら何よりです」


 あたりさわりのない内容ではあるが、ぽつぽつと会話を交わすカミロとアダルベルト。ふたりの静かな声を聞きながら、屋敷でもこんな風に話せば良かったのに、と心の中だけで思う。

 だが、このテーブルには思うだけに留めない人物も同席している。


「そうやって、一緒に食事やお茶でもしながら腹割って話せば良かったのよ。どうせリリアーナたちが不在の間も食事は別々だったんでしょう?」


「当然ですよ、侍従の身で食卓を共にするなど。……ですが、そうですね、今後はもう少し肩の力を抜いて、お話しする機会を持てたらと思います」


 思い返せば、自分は屋敷でもよくカミロと話をしている気がする。部屋に中庭に書斎にサンルーム、たいていは報告だとか事務的な話が多いけれど、五歳を過ぎてからはよく会話をするようになった。

 サーレンバー領から帰って以降は、行動を共にしているからもっと会話が増えている。物静かなように見えて、意外と口数の多い男だ。

 だが、共に仕事をしていたアダルベルトの方は、一緒にいる時間が長いのにあまり私的な会話をしなかったのかもしれない。もしかしたら、これまでもずっと。


 食事をしながら盗み見る兄の顔は、未だ目の下に色濃い隈が浮かんでいるけれど、部屋で話したときのように落ち着いている。

 酒場での様子を目にした時はどうしようかと思ったが、もう大丈夫そうだ。

 切り分けた肉に焦げ目のついた皮をのせ、脂の甘みと肉汁あふれる噛み応えを堪能しながら、ほっと安堵する。


「ひとまずこの町へ来た当初の目的は達成されましたので、あとは後発隊を待って合流を計り、コンティエラへ戻ろうと思います。途中、コイネスの町へ寄って燕便を出せば旦那様も安心なさるでしょう」


「前に来た時にも思ったんだが、ここに燕便を置くことはできないのか?」


「ええ、置ければ便利ではありますが、万が一にも領主邸とやり取りしている所を他領の商人に見られれば、厄介なことになりますからね」


 そういえばイバニェス領主がサルメンハーラの町の建立に関わっていることや、互いに便宜を計っていることは、余所には秘密にしているのだった。

 その話を聞いた時はずっと前から懇意にしているのだとばかり思っていたが、アッシュの話や八朔の件を見るに、事はそう単純でもないようだ。


 香草の練り込まれたパテを齧りながらちらりと八朔のほうを見ると、あまり食が進んでいないようだった。眼前の皿にはほとんど手つかずの料理が残っている。


「どうしたんだ八朔、食べないと冷めてしまうぞ。あまり食欲がないならスープだけでもどうだ?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「お口に合いませんか? 何か食べられないものが含まれているのでしたら仰って下さい、まだ食材はあるので作り直せますから」


「あ、いや、ほんとに……大丈夫だよ、食うよ、俺はなんでも食べられるから」


 全員の視線を集めたことでばつが悪くなったのか、八朔は俯きながらスプーンを手に取った。

 知っている範囲では小鬼族も鉄鬼族も食欲旺盛で、特に苦手な食べ物などはなかったように思うから、ここに並ぶ料理ならどれも大丈夫だろう。


「この肉は噛み応えがあってうまいぞ、たくさん食べろ。あと葉物や根菜もちゃんと食べろよ、お前はもっと肥えたほうがいい。もし足りなければわたしの分をやるから」


「だっ、大丈夫だってば! です!」


「ふふっ、リリアーナったら何だかお姉さんみたいね。末っ子だから弟のお世話とかしてみたかったのかしら?」


「実の兄としてはちょっと微妙な心地なんだが……あの、ところでこの少年はどこの誰なのか、そろそろ訊いても良いか?」


 アダルベルトの至極もっともな質問を受け、鶏肉を頬張っていた八朔はぴたりと動きを止めた。そのまま助けを求めるように、こちらへ視線を向けてくる。

 そうして話を振られたところで、一体どこから説明すれば良いものか。先ほど部屋を抜け出して、無断で八朔の元へ駆けつけたこともまだ話せていないというのに。

 ちらりと上目でカミロを伺うと、すでに自分の食事は終えたらしく卓上で指を組んでいた。その手を持ち上げかけてから、今は眼鏡をかけていないことを思い出したのか、手を上下させただけで元の位置へと戻る。


「そうですね。食事の席ですし、あまり深刻にならない範囲でその話をしましょうか」


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