第326話 安寧と慈愛の門


<……あの衛兵は立ち去りました。近辺には誰もいないようなので、もう音声を捕捉される心配はないかと>


 歩みを止めないままアルトからの報告にほっと息をつく。

 人狼族ワーウルフの五感は他に類を見ないほど鋭敏だ。どれくらい離れれば話し声を聞かれる心配がないのかは、長く共に過ごしたことのある自分でもあまり把握できていない。

 だが、カミロはそのことを知っていたのだろう。

 先ほどあえて名前を出さずに自分を呼んだのは、ヒトよりも耳聡い衛兵に名前を知られるのを防ぐと同時に、不用意にしゃべらないよう自分へ伝えるという意図があったはず。

 倉庫並びの終端までたどり着き、少し広い通路に出たところで繋いでいる手を軽く引く。


「もうここまで来れば、普通に話しても問題ないだろう」


「そうですね。到着早々、とんだ目に遭いましたが。まさか体臭で個人の判別ができるとは」


「凶悪犯とか言っていたな、一体何をしたんだか……。まぁ、奴のことだからどうせ無事だろう。それよりもカミロ、お前はあの衛兵らがヒトではないと知っていたな?」


「ええ、話には聞いておりましたから。ですが、あんなに近くでお話ししたのは初めてです、さすがに冷や汗をかきました」


 涼しい顔をしてそんなことを言うが、この男の演技なんてきっと誰にも見抜けないだろう。

 先ほどだって鼓動が伝わるほどそばにいたのに、動揺している様子なんて全く感じられなかった。


「そう仰るリリアーナ様は、あまり驚いておられませんね?」


「かなり驚いたとも。他種族と出くわすのは生まれて初めてだからな、ボロが出る前に離れられて良かった」


「宿泊場所へ腰を落ち着けてから、明日にでもこの町についてご説明をと考えていたのですが。想定の甘さをお詫び致します。彼に聞かれるとしてもリリアーナ様には先にお話ししておくべきでしたね」


 エルシオンと別行動になり自分は気楽で助かるのだが、カミロにとっても、もしかしたら好都合だったのだろうか。

 案外仲良くやれていたようにも見えたけれど、一応、イバニェス領ではまだ罪状の晴れていない犯罪者だ。何かと便利ではあっても、その実力は大陸随一であり、ひとたびおかしな気を起こせば誰にも止めようがない元『勇者』だ。

 自分の護衛としてついてくることになったカミロにとって、エルシオンは相当扱いに困る男だったのかもしれない。


「もうすぐ着きますよ。こうして改めて見ると、町に縁遠い建物ほど入口付近に建てられているようですね」


「縁遠い……?」


 カミロの言葉に顔を上げてみると、そこはいくつも並んだ倉庫群の正面にあたる場所だった。

 整えられた石畳に花壇や街路樹、ベンチなども据えられており、ちょっとした広場のようになっている。昼間にはコンティエラの街のように、飲食物の出店が並んで憩いの場となるのかもしれない。

 あまり背の高くない樹木の向こうには、瀟洒な建物の二階部分が浮かんで見える。外灯にも照らされずあんなにはっきり見えるなら、おそらく外壁は白く塗られているのだろう。

 白塗りの建物というと思い当たるものがひとつあるけれど、二階建てなだけであの象徴的な尖塔は併設されていない。聖堂ではないのだろうか、首をかしげながらもカミロに手を引かれるまま大人しくついて行く。


 そうして間もなく到着したのは、木立の向こうに見えていたその白い建物だった。装飾的な扉やプレートにも見覚えがある。全体的にこじんまりとしているが、コンティエラで見た建物と意匠は同じもの。


「サルメンハーラにも聖堂があったのか」


「ええ。と言ってもつい最近できたばかりなのですが。『全ての祈り子らに開かれし、安寧と慈愛の門』と謳われる場所ですし、事情を話してお祈りを捧げれば、一晩の宿と食事くらいは提供してもらえます」


「事情って……」


 自分たちの身元が知られるのはまずいのではないか。それを問う視線を受けたカミロは何か逡巡するように無言の間を置いてから、じっと見つめ返してくる。


「伝達に齟齬がなければ、おそらく知己の相手が駐在しているはずなのです。こんな形でリリアーナ様へご紹介することになるとは、私も旦那様も全く想定していなかったのですが……」


「父上が? なんだ、お前と父上の知り合いが聖堂にいるのか?」


「ええ。リリアーナ様とも繋がりがありますし、初対面の相手ではありませんよ」


 苦笑のようなものを浮かべながら鉄柵の門を押し開くカミロに、中へと促される。

 一応の外門を設えていても、扉との距離はわずか数歩分。柱の彫刻も少ないし、仰々しい外見をしていたコンティエラの聖堂と比べればずいぶん簡素な造りだ。

 真新しいはずなのにきしんだ音をたてる門を閉じ、段差へ足をかけたところで、扉につけられたのぞき窓が中から開かれた。物音で来訪が知れたのだろうか、淑やかな女性の声にカミロが応対する。


「祈り子よ、聖なる伽藍へ何かご用でしょうか?」


「夜分の来訪、申し訳ありません。実は宿の手配ができておらず、我らふたり宿泊する場所に困っておりまして。もし部屋が空いておりましたら精霊様のご加護のもと、一晩の夜露を凌がせて頂ければ幸いです」


「まぁ、小さなお子様を連れてそれはお困りでしょう。どうぞお入りください」


 かんぬきを引き抜くような音がして扉が開かれる。安寧と慈愛の門――聖句の中でもそう謡われるわりには、あまり外部に対して開かれているという感じがしないのだが。

 厚い扉から出てきて中へと招き入れてくれたのは、白い衣装を纏った黒髪の女官だった。繊細な金の飾りをあちこちに纏っており、いくらか高位にあることが知れる。化粧をしているためあまりよくわからないが、年の頃はトマサよりも少し上だろうか。

 再び扉を閉めたところで、慈愛を体現するかのような柔和な笑みが向けられ、視線が合った。


「――はぁぁぁっ?」


 その笑みが突然凍りつき、口を大きく開いて叫んだかと思えば、カミロの方を向き直ってもう一度同じ悲鳴をあげる。


「ハァァァ? 良く見たらあんたカミロじゃないの! 何その頭、どうして、こっちに来るなんて聞いてないわ!」


「そう大きな声を出さないで下さい、リリアーナ様が驚いているではありませんか。他の官吏は誰もいらっしゃらないのですか?」


「いないわよ。っていうか本当に、やっぱりこの子、リリアーナなのっ?」


 騒がしい驚愕を見せる女官は表情を取り繕うのも忘れた様子で、口を丸く開けたままこちらを見下ろしている。

 意志の強そうな眉に切れ長の目、すっきりと通った鼻梁。艶やかな黒髪もあいまって、その面差しは良く知っている誰かと重なるようだ。カミロも初対面ではないと言っていたし……と観察してから、ようやく気づいた。


「五歳記のときにも、お会いしましたね?」


「……ええ、そうよ。よく覚えていたわね、あれからもう三年かしら?」


 聖堂で行われた五歳記の祈祷では薄いベールをつけていたから、今とは少し印象が違っていた。だが、こちらを厳しい目で睨みつけてきたことと、母の話をしていたことは今でもはっきり覚えている。

 まさかあの時の女官とこんなところで再会するとは。見上げる顔は眉間がぎゅっと寄せられ、困惑が見て取れる。何かを言いあぐねているようだが、揺れる藍色の瞳は逸らされない。

 会うのは二度目でも、間近に立って初めてその色に気づく。


「リリアーナ様、改めてご紹介いたします。こちらはマグナレア様、旦那様の姉君でいらっしゃいます」


「……!」


 カミロの言葉に瞬き、理解が染みてからもう一度女の顔を見上げる。

 知性を感じさせる藍色の瞳に、気位の高さがにじみ出る主張の強い顔立ち。よくよく見ればたしかにファラムンドとそっくりだ。


「父上の姉……ということは、わたしの伯母上?」


「うっ、ぐぅっ、至近距離の上目遣い効くぅぅ……ッ!」


 突然、何かを呟き胸元を押さえながらふらふらと後退した女、マグナレアとの間にカミロが割って入る。


「お気をつけください、リリアーナ様。どちらかと言うと旦那様よりは、あの便利な彼に近い性質の方です」


「え」


「便利な彼って何、おかしな紹介してるんじゃないわよ。それよりも一体どういうことなの、あんたがこの娘を連れて宿がないだなんてどんな状況よ、ちゃんと説明しなさいカミロ!」


 外套の肩を掴んで詰め寄るマグナレアをどうどうと宥めるカミロは妙に手慣れている。

 五歳記の時に見た女官が自分の伯母にあたる人物だということには驚いたが、その様子を見る限り彼女がファラムンドの姉であり、そして一応自分の血縁者という話は本当のようだ。

 聖堂とは不仲だと聞いているが、これまでマグナレアを紹介されなかったことも含めて何か事情があるのだろう。

 ひとまず初対面ではないとはいえ、自分のやるべきことは済ませておこうとリリアーナは被っていたフードを下ろした。そして外套の上からスカートをつまんで一段上の礼の形を取る。


「お目にかかるのは二度目ですが、ご挨拶をさせてください。イバニェス家の末娘リリアーナです、よろしくお願いします。伯母上とお呼びするよりは、マグナレア様と呼んだほうがよろしいですか?」


「アァァ――……疲れ目に沁みる、眩しいっ!」


「ひとまず先にリリアーナ様へ湯と部屋をお願いします。事情は私の方からご説明いたしますので。他の官吏がいないからっていくら何でも緩みすぎですよ」


 眉間を揉んで唸ったまま動かなくなった女の背を、カミロが構わず押していく。

 玄関の正面はそのまま聖堂の祈りの間に繋がっているようだが、居住区は別にあるのだろう。

 ひとりだけ扉の前に残るわけにもいかないので、コートとマフラーを脱いだリリアーナもふたりの後をついて行くことにした。


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