第324話 潜入、サルメンハーラ②
やがて完全に日が落ちて、サルメンハーラの正門へ煌々とたいまつの明かりが灯された。
見張りの交代時間らしく、衛兵らしき装備に身を固めた男たちが何人も出入りをしている様子がうかがえる。
明るい門の周辺はよく見えても、少し離れるだけで荒野は闇の中。迷彩の魔法も効いているため、こちらに注意を向ける者はいない。
二人組の衛兵らが壁の左右に別れ、それぞれ歩き出すと正門脇の通用口は閉ざされた。
おそらく、あの奥は衛兵や門番たちの詰め所なのだろう。コンティエラの南門にもたしか同じような施設が併設されていた。限られた商人しか出入りが許されていないという話だから、正門の向こうが身元確認をする場所になっているのか。
そんなことを考えながら町に向かって歩いていると、不意にアルトから念話が飛んでくる。
<リリアーナ様、もう少し進んだあたりから、地面の下に空洞……通路のようなものが多数見受けられます>
空洞というと、落とし穴の類だろうか。通路の形をしているなら広範囲に及ぶ罠の可能性もある。目をこらして行く手を注視してみるが、暗い地面には何の痕跡も見られない。
とはいえ、もし危険があるならアルトはこんな悠長な報告などせず、すぐに進行を止めているだろう。特に危険はないと判断し、それまで以上に足元へ注意を払いながらリリアーナは歩みを進めた。
<通路の壁面を固めている粘液の成分から見て、
そこで、ぴたりと動きを止める。
<あっ、私の観測範囲に
もちろん、生前にそんな命令をした覚えはない。
となるとデスタリオラの統治以前、もしくは死後に掘られたものということになる。
しかしなぜ、ベチヂゴの森を越えたこちら側に
森の木々は根が深く、とても
一体どういうことだろう、あまりに想定外の情報に頭が追いつかない。
踏み出しかけた足を浮かせたまま停止したリリアーナを訝しがるように、同行していた男ふたりもそこで歩みを止めた。
「どうかされましたか、リリアーナ様?」
「うん……、少し気になることが」
「あの衛兵たちなら大丈夫だよ、たとえ明るいうちでもこっちには気づかせないから」
迷彩の効果を保証するエルシオンだが、問題は別のところにある。楽観しきった様子を見る限り、地下にある巣のことは知らないのだろう。
「今さらお前の魔法を疑いはしない。ただ、念のために訊ねるが、この辺で魔物などの目撃例はあるか?」
「あんな壁まで作って監視してるんだから、森からこっちに漏れるのはいないんじゃないかな。町の周りも常に哨戒してるし、野犬の類も寄りつかないよ」
「そうか、それなら良いんだ」
安全を確かめて安心した風を装い、また歩き始める。
ここで考えてもアルトの探査以上のことはわからないのだから、ひとまず今は関係ない
肉食ではあるが、敵対さえしなければ比較的温和な種族だ。もしヒトを餌として狩っているならとっくに問題になっているだろうし、カミロとエルシオンが揃って何も知らないということは有り得ない。
今は町への潜入と、
道中に引き続き、エルシオンの魔法を使って見上げるほどの高さがある外壁を乗り越える。妙に手慣れているのは、きっと普段から同じようなことをしているせいに違いない。
そういえばサーレンバー領主邸にも度々忍び込んでいたし、コンティエラの治療院にも侵入してきた。こんなコソ泥のような特技があるなんて、伝記の愛読者たちが知ったらどう思うことか。
カミロに抱えられた格好で壁の内側へ降り立つと、そこで迷彩と浮遊の構成がほどけるように消えた。なめらかな描線がばらけて散らばり、パラパラと粉状に細分化され消えていく。
まるで本当に、そこに構成陣の形をした何かが存在していたかのように。
「……器用なことをする」
「アレンジは昔から得意なんだよ、キミほど繊細なのは描けないけどね」
そういえば病室やテントの中で見た暖気の構成も、構成陣に余計な描線を足して花のような形にしていた。普通は余分を足せば調和が崩れ、うまく効果が出なかったり全く別の作用を及ぼしたりするものなのに。
本人は「アレンジ」だなんて簡単に言うけれど、各構成の働きや細部の意味を完璧に把握していなければできない遊びだ。
持ち得る才覚はもとより、そんな余分を楽しめるだけの力量差を見せつけられている気がして、何となく面白くない。
「ふん、余裕があって結構なことだな」
「あ、なんか不機嫌? 別にリリィちゃんへのあてつけとか、そーいうんじゃないからね。単純にこっちのがキレイとかカワイイとか思ってやってるだけで。オレからしたら、むしろキミの描く構成の無駄のなさがマジか~って思うレベルなんだけど」
「必要最低限しか描けなくて悪かったな」
「そーじゃなくて。何て言うんだろなぁ、無駄どころか歪みもブレも何もない、すんごくキレイな魔法なんだよ。混じりけのない水とか、匂いのない風とか、そういう感じ。それが当然になっちゃってる本人には、わかんないものなのかもね……」
余分の削ぎ落されたカタチを美しいと思う感性くらいは持っている。
ただそれが自分の描き出す構成に当てはまるかというと、また別の話だ。構成陣が正確な形をしているのは、
エルシオンの方こそ、その基本形を完璧に把握しているから余分な遊びを加えられるのだろうに。
自分を抱えているカミロの肩を軽く叩き、「もうひとりで立てる」と言って下ろしてもらう。土を固めて白い砂を敷いた地面はいくらか湿っているらしく、ブーツの足音を吸い取るように消した。
付近に人影はないとアルトから報告を受けているから心配ないとはいえ、こんな時間では誰に見つかっても厄介だ。
早めに移動をした方が良い。……それはわかっているが、どうしても気になることがあり、先ほどから黙ったままの男をじっと見上げる。
「リリアーナ様、何か?」
「いや……、何かというか。カミロはわたしが
隠し事をしていた手前、後ろめたさも手伝って言い淀む。別に詮索してほしいわけではないけれど、何の反応もないのが逆に気になって仕方ない。
いくら家庭教師から魔法の授業を受けていたとはいえ、急に魔法を使いだしたり、その手の話を『勇者』と交わしていたら、多少なりと疑問に思うものではないだろうか?
「リリアーナ様は多才ですから、何の不思議もありませんよ。私のことはどうぞお気になさらず。それよりも、ここまで歩き通しでしたが体調に障りはありませんか?」
「わたしは大丈夫だ。昼寝をしたお陰でまだ眠くもないし」
当たりさわりなく話を逸らされたようにも思うが、カミロが「気にするな」と言うなら今はどう追及しても無駄だろう。
諦めて思考を切り替え、リリアーナは周囲に視線を巡らせる。壁沿いに並んでいるのは窓の少ない、のっぺりとした単調な建物。どこにも明かりは見えないから、中は無人なのだろう。
「家屋や店舗には見えないな、これらは何の施設だ?」
「それなんだよねー、ココって前に来たときは公園みたいな場所だったと思うんだけど。工事が進んでるのは壁だけじゃないみたいだ」
「正門の左手は、たしか倉庫に充てられていたかと。取引先が増えて最近増築されたのでしょう。旦那様の名代としてこの町を訪れる際はかなり行動が制限されているので、私もあまり内部のことには詳しくないのですが」
遠くに何か物音は聞こえるものの、住人の気配は薄い。夜になったばかりでまだ遅い時間ではないのに、町全体がすっかり寝静まっているかのようだ。
互いに声をひそめながら壁を離れ、カミロの指す方向へ移動を始める。
普段であれば夕食を終えるくらいの時間帯だろうか。にわかに壁と倉庫の間を寒風が吹き抜け、ずり落ちていたフードを深く被り直す。
「こんな時刻では露店の聞き込みもできないし、朝まで一泊しなくてはならんな。どこかへ向かっているようだが宛てはあるのか?」
「はい。身元を隠すとなると商人用の宿屋は使えません。なので、身分証明なく一晩の宿と食事をご提供頂ける施設を頼らせて頂こうと思います。普段ならあまり近寄ることもありませんが、この際、贅沢は言っていられませんから」
「あー、なるほどね……。まぁ、リリィちゃんにはまともなベッドで休んで欲しいし、この状況じゃ仕方ないか」
カミロの言い方だけでどこへ向かっているか察しがついたのだろう。数歩前を行くエルシオンがこちらを振り返りながら渋面を浮かべた。
身分証明なく一晩の宿と食事を提供される施設。……無料とは言っていないし、金を積めば都合のつく場所なのか。それとも困っている者へ手を差し伸べる、慈善事業の一種だとか。
歩きながらいくつか頭の中に可能性を並べていると、腰の横でポシェットが跳ねる。
<来ます、こちらへ駆けて来る者が一名! 探知が遅れました、気配の消し方が常人ではありません、お気をつけくださいリリアーナ様!>
「……!」
その忠告をリリアーナが言葉にして発するよりも前に、エルシオンがつんのめるように転んだ。
否、転倒したのではなく、倉庫の壁を蹴って反対側へ飛び退いたのだ。角となった倉庫の端から影が飛び出し、体勢を立て直す猶予も与えず攻撃を仕掛ける。
外壁を抉る硬い音。
それがどんな武器によるものなのか、目で捉えることはできなかった。
何かが現れた瞬間にカミロの腕に抱えられ、気づいた時には倉庫沿いで体勢を低くしていた。正体不明の相手はこちらに目もくれず、標的をエルシオンただひとりと定めているようだ。
得物を薙ぎ払う際の空気を裂く音、それ以外には足音もなく動作は獣のように俊敏。相当な手練れを相手に、隙をうかがっているのかエルシオンは未だ反撃を見せない。
不意を突いた初撃をかわし、続けて繰り出される攻撃も全て回避しながらも、その顔からはいつもの余裕が消えている。
魔法を撃つには間隙が足りず、応戦するための武器を取り出すにも集中を割けない。
――既視感。
そういえば自分も、手数の多いあの男相手にこんな戦い方をしたことがあった。
「お嬢様、どうかこのままじっとして、お静かに」
「……」
頭のすぐ上で小さく落とされるカミロの呟き。その忠告の中にいくつかの意図を感じ取り、リリアーナは黙ったまま、こくりとうなずきだけを返した。
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