第316話 野宿明けの諍い
ぱちりと目を開けると、真っ先にエルシオンの設置した暖気の構成が目に入った。
テントの布地越しに外の明るさがわかる、もう朝だ。
本当に一晩中、空気清浄だの温度の一定化だの、余計なおまけまで描き込んだ構成陣を回し続けていたらしい。
地力の差を見せつけられているようで、起き抜けから何だかイライラしてしまう。自分が同じようなことをしたら、きっと疲れ果ててしばらく動けないだろう。
……いや、ここのところ大掛かりな魔法を立て続けに使って、扱える総量が増しているのは実感している。八歳まで成長し、力の増した今ならこれくらいはできるかもしれない。たぶん、……否、できる、できる。できるに決まってる!
<リリアーナ様、お目覚めになられましたか、おはようございます。まだ普段の起床時刻より前ですので、もう少しお休みになられていても>
「この狭い空間なら出力を一定に、余分な記述を省けば一日半くらいは全然余裕で……」
<リリアーナ様?>
「お、……うむ、おはようアルト。何でもない、少し寝ぼけていたようだ」
念話にはそう返し、寝転がったまま隣を見るとすでにカミロは起床した後らしく姿が見えない。黒いコートと紺色のマフラーが毛布代わりとばかりに、自分の上にかけられていた。
ぼんやりとだが、寝ている時にかけられたような覚えもある。それが夜中だったのか、朝方だったのかはわからない。
お陰で温かさは申し分ないのだが、どうにも背中が痛い。テントの床に畳んだ布を敷いただけだから仕方ないとはいえ、腰や肘も微妙に痛む。この先、野営が続くようなら敷物をもう少し何とかした方が良いかもしれない。
「疲労していたわりには、案外すっきりと目覚めたな。寝ている間に、おかしなことはなかったか?」
<えっ、そ、そうですね、おかしいことは特に何も、はい!>
念のため訊ねてはみても、もし何かあればすぐにアルトが起こしただろうし、カミロも黙ってはいない。野犬などが襲ってきたところで外はエルシオンが番をしている。
生まれて初めての野宿ではあったが、寝床の質はともかく、安全性だけは問題ないと言えるだろう。
起き上がって寝乱れた服を直し、大きなあくびをひとつ。カミロが戻ってくる気配もないためテントの外の様子を伺うと、外が妙に騒がしいのに気づく。
入口側へ近づいて耳を澄ませてみると、男ふたりの言い争うような声が聴こえる。双方の声音からはあまり剣呑な雰囲気は感じないが、一体何をしているのだろう?
<あぁー、外のは、男同士のくだらないじゃれ合いなので、放っておいてもよろしいかと>
「そうなのか?」
漏れ聞こえる声も本気で争っているという程ではないし、アルトが放っておいても良いと言うならしばらく放置しておこう。
ポシェットを膝の上に移すと、花粉の瓶をねじこんだ時に開けたままだったフタから、ぬいぐるみの頭部と綿がのぞいている。ここまで壊れてしまったら、もう生地を取り寄せて直してもらうより、新しいものに取り替えた方が手間がかからず済むのかもしれない。
飛び出た綿を指先で押し込みながらそんなことを考えていると、何かを察知したのか、綿袋と化したアルトはぴくりと身を震わせた。
「そろそろぬいぐるみを持ち歩くような年齢でもなくなるし、何か代わりの入れ物を考えた方が良いのかもしれんな」
<そ、そうでしょうか。材質にも馴染んできたところだったのですが、リリアーナ様がそう仰るのでしたら。皮袋でも何でも、お好みのものに詰めて頂ければと>
アルトの言う通り、適当な袋に入れておくのが妥当かもしれない。ぬいぐるみよりも嵩が減る分、ポシェットの中に他の物品を入れやすくなる。
初めにぬいぐるみへ詰める時、いつか装飾品に加工してはどうかとフェリバが提案してくれたが、思考中枢である宝玉をふたつに割るわけにはいかない。かといって玉のまま使うには大きすぎる、この先も宝飾品の類として身に着けるのは難しいだろう。
ほつれた髪を手櫛で梳き、ポシェットをしっかりと肩にかけ、頃合いを見てテントから顔をのぞかせると、外にいた灰色髪の男がすぐに気づいて振り向く。……だが、その姿を見ても一瞬誰だかわからなかった。
濡れた髪が鳥の巣のごとく乱れ、シャツとウェストコートのみでタイを締めておらず、かけた眼鏡もずれている。自分よりずっと寝起きのような様相だ。
対するエルシオンの方は見慣れないフードつきの衣服に着替え、篭手や膝当てなどの装備品が増えていた。……が、髪はカミロ同様にぐちゃぐちゃしている。互いに腕を掴んで、取っ組み合いの最中だったようだ。
「リリアーナ様、おはようございます」
「リリィちゃんおはよー!」
「ん、おはよう」
「お休みの最中に騒がしい真似をしまして申し訳ありません、ゆっくりお休みになられましたでしょうか?」
「あぁ、うむ。ちゃんと眠れたし、別に構わん。わたしはこっちで身支度をしているから、しばらく時間をもらうぞ」
適当に手を振って男たちをそのままにし、大きな岩の陰へと移動した。
暖められていたテント内とは違い、早朝の外気はきんと冷えて頬にぴりぴりくる。両手も熱を持っているため包むように頬をさわってもよくわからないが、やはり発熱しているらしい。視界がぼんやりして頭や体も重い。
魔法で集めた水を使って身支度を済ませながら、肺の奥に籠った熱い息を吐き出す。
普段であれば、部屋で大人しく寝ているべき体調だと自己判断しただろう。しかし、今はそうも言っていられない。寝込むほどの不調ではないのだから、予定通りに移動を優先するべきだ。
<リリアーナ様、体温が平常よりも高いようです……>
「これくらいは何ともない、そろそろ発熱にも慣れてきた。こんな所で休んでいる暇はないんだ、早くサルメンハーラへ向かって一晩の遅れを取り返さねば。今こうしている間にも、兄上がどうなっているか」
<それもそうなのですが、あまりご無理はなさいませぬよう。道中もなるべく広く探査の網を広げておりますので、何か発見次第すぐご報告いたします。移動手段としても、あの極楽鳥を早く見つけたいところですね>
「そうだな、頼んだ。エルシオンはあてにならんし、カミロにはなるべく負担をかけたくない。こういう時、生身を持たず疲労を知らないお前は心強いな」
<ハ、ハイ! 精一杯努めますともー!>
顔を拭いたハンカチを畳みながら岩を回り込んで元の場所へ戻ると、男たちはまだ騒いでいた。早朝から元気なことだ。
そう相性が良いとも思えない組み合わせなのに、何となくエルシオンといる時のカミロは普段よりも活発そうに見える。全くこれっぽちも気を遣う必要のない相手だからだろうか。
そういえば防寒具を借りたままだったと、一度テントの中に戻ってコートとマフラーを持ち出す。それらを膝にのせて岩に腰かけ、互いに文句の応酬を繰り返し、終いには手を出し足を出し、取っ組み合ってバタバタ揉めている男ふたりを眺めていた。
手持ち無沙汰に積んである薪をたき火にくべたりしながら、しばし待つ。
だが、そうして見守っても終息する様子はなく、腹も減ってきたため仕方なく声をかけて仲裁する。
「それくらいにしておけ。お前たちはさっきから一体、何をしているんだ?」
「いや、だってこの人がワガママ言うから!」
「無茶を言ってるのはあなたの方でしょう、いい加減にしてくれませんか、しつこい男は老若男女問わず嫌われますよ」
「まーたそんなこと言って減らず口ばっか! 子どもみたいな駄々こねるのどーかと思う!」
「子どものような屁理屈をこね回しているのはそちらの方ではありませんか、事実を捻じ曲げないで頂きたい」
「オレは大人の親切心から言ってるんですぅー! 誰かさんみたいに幼稚な聞かん坊とは違うんですぅー!」
このまま放っておいてはきりがなさそうだ。せっかく早起きできたというのに、出発が遅れては意味がない。
とりあえずカミロをそばに呼び寄せ、エルシオンには昨晩同様たき火の向こう側へ座るよう指示を出す。反対側で口先をとがらせながら不平を漏らしているのには耳を貸さず、諍いをやめないふたりを引き離した。
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