第315話 天秤②


 焔を宿すこの目は、あまり近くで見ていると呑まれそうで危ない。

 その身に背負わされた役目のせいだろうか。視線に、言葉に、抗いがたい力がある。

 笑みの欠片も残さない真面目な顔のまま、エルシオンは言葉を続けた。


「リリィちゃんが家族を大事に思ってることは知ってるし、守りたいって言うなら協力もする。でもね、キミ自身に危険が及ぶくらいなら、オレは、キミの家族すら排除することを厭わない。どちらか片方だけって状況になったら、迷わずキミだけを選ぶよ」


「そんな状況に……お前に、自分と家族の命を委ねる状況など、作るものか」


 他でもないこの男がやると言うなら、必ずそうするのだろう。

 自分と家族のどちらか片方しか助からない状況なんて想像もしたくないが、これまでだって散々想定外の出来事に見舞われてきた。それを思えば、この先どんなことが起きても不思議ではない。

 エルシオンの言葉は、もし仮定が現実となり得るのなら、その手で邪魔者を消すという宣言に等しい。 


 背筋がぞわりと粟立つ。

 自分の命を狙われるよりもずっと怖ろしい。

 この男を怖いとは思わない。ただ、エルシオンが実際「そうする」と決めてしまったなら、自分だけでなく他の誰にも止めることはできないだろう。


 悪夢が正夢になる。

 『リリアーナ』が生きているせいで、周りの皆が殺される。

 のうのうと二度目・・・を謳歌している自分と皆の命は、決して等価ではないのに。


「……そんなことは、絶対に許さない。この命とイバニェス家の者を天秤にかけるような真似、させはしないぞ。もし彼らに害が及ぶくらいなら、わたしは自ら、っ」


 開いた口にクッション押しあてられ、言葉が詰まった。

 空いた片手で羽毛のかたまりを掴み取り、勝手に話を遮った男を睨みつける。


「その先はダメだよ。キミの口から、そんな言葉は聞きたくない」


「……」


「もし、また目の前でキミを失ったら、……オレは今度こそ正気を保てる気がしない。自棄やけになって暴れて聖王国をぜんぶ更地にしちゃうかも。王都もイバニェス領もキヴィランタも何もかも、全部を壊してオレも死ぬよ」


 とんでもないことを言い出すエルシオンの表情は変わらない。灯火のような瞳に映る本気を見て取り、リリアーナは言葉を失った。

 たとえ冗談だと笑ったところで、それを信じることはできないだろう。

 自分が、何か一手間違えるだけでこの大陸が滅ぶ。

 それを可能とする力を、目の前の男が有していることも知っている。

 現実として実行できるか否かはさておき、やれてしまう。力はあっても自身の望みと役目に縛られがんじがらめだったデスタリオラとは違う。役目を降りて自由の身だと自認するエルシオンなら、きっと……。


「キミのそばにいることがオレの望みだけど、大前提として、キミには生きていてほしい。歳とってヨボヨボになるまで、健康で安全で幸せな人生を送ってほしいんだ」


「……言葉を返すようだがな、貴様が現れるまでは至って健康で幸せに生きていたぞ。コンティエラでもサーレンバーでも、お前に追い回されて余計な魔法を使ったせいで何日も寝込む羽目になったんだから。自分が害を為していると少しは自覚しろ」


「そ、それを言われると痛いなぁ、……ゴメーン!」


 腹になけなしの力を込め、軽口を返したことでエルシオンの気配が緩む。気圧されていたことを認めるのは癪だが、生じた隙にほっとした。

 気に食わないし、顔を見るだけで腹の立つ相手だが、あまりさっきのような思いつめた表情はさせたくない。妙な既視感に胸がざわつく。いつものように、能天気な顔で軽薄にへらへら笑っていたほうがいい。


「それに、お前は度々「そばにいたい」と言ってつきまとうがな。わたしはいつまでもイバニェスの屋敷にいるわけではない。たとえ上手いこと自警団に潜り込んだところで、数年後はどうなるかわからんぞ」


「え? おうちを出るの?」


「十五歳記でヒトは成人なのだろう、そうしたらわたしは父上が決めた家へ嫁ぐことになる」


「……とつ、ぐ?」


 いつもの調子が戻ったと思いきや、エルシオンは呆然とそう呟いたきり動かなくなった。

 しばらくそのまま待ってみても反応がない。もう放って寝てしまおうかと考えたところで、固まった表情筋を無理に動かすように、眉間へ不自然なしわが寄る。


「あの、嫁ぐって、結婚のことだよね? 簡単に言うけどさぁ、キミ、女の子が嫁ぎ先で何をすることになるか、ちゃんとわかってる?」


「何って、それは先方の業種や立場によるのではないか? イバニェス領の発展に貢献できるような家柄であれば喜ばしいと思っているが、判断は父上に一任しているからな」


「あー、あー……うん。やっぱりそーいう認識なのね。ま、成人までは時間もあるし、成長ついでに色々とお勉強してくといいんじゃない?」


「何だその含みのある言い方は」


 妙な上から目線に腹立ちを覚えて睨み返してやると、エルシオンはいつものようにへにゃりと相好を崩す。


「まぁ、なんでこんな可愛い感じに生まれ直したのかは知らないけど、リリィちゃんとして幸せに生きられるようなら応援してるよ。前にも言った通り、キミのやりたいことに対してオレは一切邪魔をしないと誓う。……誓うよ、我が親愛なる『魔王』サマに」


「もう『魔王』はいない」


「じゃあ、キミの中のデスタリオラに」


 事実としての指摘に対し、エルシオンは奇妙な言い方をするが、追及する気にはなれなかった。

 膝の上に持っているカップから漂う甘い香り、その効力がなくても抜けきらない疲労感に引きずられ眠くてたまらない。重いまぶたを懸命に持ち上げながら会話を続けてきたけれど、そろそろ限界だ。

 

「誓うのも応援するのも勝手にすればいい、わたしだって勝手にする。今度こそ自分のやりたいように生きると決めているんだ、お前の忠告など何の釘にもならんぞ」


「うん、それでいいんじゃないかな。キミが無茶しがちなとこは、オレがいくらでもフォローするよ、便利に使ってくれて構わない。その小さい体をめいっぱい伸ばしても届かないとこは、代わりにオレが手を伸ばすから」


 肩を、髪を、それとも頬にふれようとしたのだろうか。こちらに伸ばしかけた手が途中で止まり、すぐに下ろされる。

 衣服越し、もしくは手袋越しになら触っても支障がないことは、空の上で確認済みだろうに。それがわかっていても、もうエルシオンは不用意にふれてくることはないのだろうなと思った。


 自分の幼い手を開いて見る。小さく柔らかい手は、これから育って大人になったところで硬く強くなるわけではない。

 エルシオンのようにも、デスタリオラのようにもなれない。

 本当に、どうしてこんな無力な少女の身に生まれ直したのだろう。リリアーナとしての新たな生を満喫しているから、悪いとまでは言わないけれど。知識も記憶も以前のままなのに、力だけがそれに追いつかずもどかしい思いをしてばかりだ。

 ……それでも。『魔王』の力があっても、守れないものはあった。


 自身の手から顔を上げ、炎色の目を真っ直ぐに見返す。


「どんなに強かろうが、全ては守れないことを、わたしはもう知っている。比類なき力があっても、どんな魔法を使えても、隙間から零れ落ちてしまう命がある。だから、今はこの両手を広げて届く範囲だけでも、守りたいと思っている」


 エルシオンが小さく息を飲む音が聞こえた。


「お前の目からは無理に見えようと、そう願い、行動することはわたしの自由だろう?」


「……うん。……そっか、キミも失うことを知ってるんだ。『魔王』くらい強ければ、できないことなんて何もないのかもしれないって、そう思ってた。ゴメン」


「別に、お前が謝るようなことでは」


「ううん、思い上がりもいいとこだ、反省した。キミなら理解してくれるんじゃないかって、勝手に期待してたくせに、オレの方が何もわかってなかった。なんか自分が恥ずかしい、長々とゴメンね、もう引っ込むからゆっくり休んで」


 突然、早口にそうまくしたてると、エルシオンは四つん這いの姿勢でじりじりとテントの外へ下がっていった。そのまま出ていくのかと思いきや、入口の布から首だけを生やした状態で動きを止める。


「あ、朝食はパンとミルクティーでいい?」


「軽く食べられれば何でも構わない」


「了解~。それじゃあリリィちゃん、おやすみ。良い夢を」


 笑顔と挨拶を残し、今度こそエルシオンはテントを出ていった。

 立ち上がって離れる影は炎に揺られ、足音からたき火の向こう側に腰を下ろしたのが伝わる。

 厄介な相手がようやく眼前から消えたことで、深く息をついた。どうしても、あの男がそばにいると体が強張って緊張してしまう。もう対立を決められているわけでもないのに。

 手の中のカップはすっかりぬるくなってしまった。それなのにあまり寒くはないなと思ってから、テントの上部で暖気の構成が回っていることに気づく。治療院でも見た癖のある構成陣、エルシオンが置いて行ったのだろう。


「はぁ……。無駄に疲れた、なんだか夢見が悪くなりそうだ」


<夜中に乱心したあやつが近寄らないよう、私がバッチリ監視しておりますので。どうぞごゆっくりお休みください>


「ん。とりあえず、これを飲めば朝まで熟睡だろう。あまり寝過ごさないよう程々のところで起こしてくれ」


<かしこまりました、いつもの起床時刻……よりも少し遅いあたりでお声がけいたします>


 なるべく早く発ちたいところではあるが、まずはしっかりと心身の疲れを取る必要がある。自分だけでなくカミロの睡眠時間も確保したいから、それくらいが丁度良いのかもしれない。

 光が遠すぎてカップの中身は真っ黒の液体にしか見えず、飲むのがちょっとためらわれる。

 それでも覚悟を決めて口をつけると、バンドナの花粉が混ぜられた薬湯は想像したほどの甘さや粘性はなく、するりと喉を落ちていった。


 すぐに、波のような眠気が押し寄せる。

 体勢を整える間もなく、体が傾いた。せめて空になったカップを端に置こうと思うのに、もう手を動かすどころか思考もままならない。

 柔らかいクッションが肩と頭を受け止めてくれた。

 脱力し、そのまま意識がすとんと落ちていく。

 真っ暗な眠りへ。



 どこまでも深く深く落ちる途中、かすかな衣擦れの音を聴いた。

 手の中に残る器がそっと引き抜かれ、肩へ温かい布がかけられたような ――気がした。


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