第305話 飛竜襲来
アルトからの報せを受け、キンケードと同時に空を振り仰ぐ。
じっと目を凝らしてもこの距離では像がぶれて良く見えない。だが言われてみれば確かに、空を飛ぶ影は両脚で何かを掴んでいるようにも見える。
<どうやら意識を失っているようです。負傷の有無なども調べたいところですが、ここからですとそれ以上のことは。力及ばず申し訳ありません>
高度的にまだ飛び立ったばかりのはず。この段階で
厳しい顔で前髪をかき上げた男は、喉の奥で唸ってから「まずはやれることからだ」と言って一歩ファラムンドの方へ歩み寄った。
「オイ、聞け。信じられなくても信じてもらうしかねぇが、ありゃ
「……世迷言だったら内臓ごと舌を引っこ抜くからな。おいカミロ、屋敷を出てくる時に異常は?」
「いえ、これといって気づくようなものは何も。アダルベルト様へは出発前にご挨拶をし、部屋に戻られるとのことで階段を上っていく姿をお見送りしたのが最後です。
<今のところ、空にいる個体はあれのみのようです>
アルトからの報告をキンケードがそのまま伝えると、カミロは何か考えているのか眼鏡を指で押さえて黙り込んだ。
その横でファラムンドは両手を招くような形で翻し、周辺にいた自警団員や従者たちに傾聴を促す。そのわずかな仕草だけで、空を仰ぎながらどよめいていた十数人が口を閉じ、視線をファラムンドへと向けた。
「今のキンケードの話が聞こえてた奴、一切の口外を禁じる。破った野郎は領外追放じゃ済まないから肝に銘じろ。聞こえてなかった奴に説明し直す時間はないから簡単に言うが、うちの屋敷が何者かに襲撃された可能性がある。ひとり
周囲を取り囲む面々に緊張が走る。
「時間が惜しい、一度しか言わんから各々最適に行動しろ。今からここの人手を四班に分ける。まず
視線を受け、キンケードが力強くうなずく。
「今からここを臨時の中継所として使う、詰め所にいる奴らも連れて来い。間違っても空けすぎるなよ、陽動って可能性もあるし次はこっちに来るかもしれん、見回りのシフトは崩すな。後発隊は四人ぐらいでいい、武装でき次第、屋敷へ向かえ。そして途中に誰かいたら商人だろうが身内だろうが全て止めろ、逆らうようなら捕縛でいい、俺が許可する。事態が確定するまで決して情報を外に漏らすな」
キンケードは一番近くにいたナポルへ指示を出し、別邸の外へ向かわせた。人員を呼びに行ったのだろう。
朗々と通る父の声を聞きながら、リリアーナは空を舞う影を目で追い続けた。まだ螺旋状に上昇している最中で、どこかに飛び去る気配はない。
だが気流を捕まえられる高度まで上れば、翼で風を受けながら一気に加速して飛んでいくはずだ。あまり時間は残っていないと見ていい。
「次に物見と中継係として街に残る者。これの指揮はキンケードに一任するから、団員の残りも併せて街の防備に集中しろ。手薄になった所へ何がくるかわからん。最後の一隊は、あの
「旦那様。屋敷へ向かうのでしたらもう少し人数をお連れください」
「あっちには守衛部もいる、たとえ群れに襲われたって全滅はしてないだろ。俺も向かうんだから屋敷のことはいい、お前は追跡に加われ、方角と手掛かりを見逃すな」
「かしこまりました」
カミロは礼をして停めている馬車に向かい、キンケードは周囲の団員たちへ機敏に指示を飛ばす。
緊急事態のさなかにありながら、無駄に騒ぐ者はひとりもいない。それぞれが指示を受け、迅速に行動に移す様は不安を拭うに足るほど心強い。
それに、父が領主として指示を出す様子を間近に見たのは初めてだ。よく通る声には自信が漲り、視線や手の動きひとつひとつに耳目を集める力がある。ヒトの上に立つ者はこうでなくてはと、誇らしさとともに憧憬がじわりと胸を満たす。
肩にかけていた上着を脱いで従者に預けたファラムンドがリリアーナへと向き直り、何か言いかける。そこへ、地面に潰れていたはずのエルシオンが行く手を遮るように立ちはだかった。
「邪魔だゴミ屑。お前に構ってる暇はない、消えろ、どたまカチ割られてぇのか?」
「イバニェス側の人たちってなんか揃ってガラが悪いよね……。いや、それはともかく。お
ファラムンドは片手でエルシオンの頭を掴み、こめかみをぎりぎり締め上げた。そのまま足をばたつかせて抵抗する男をゴミ屑のようにポイと脇に放り捨てる。
<あっ、
はっと空を見るリリアーナの視線に気づいたファラムンドも同じ方向を仰ぎ、舌打ちする。
両手で頭を押さえながら蹲っていたエルシオンはすぐさま立ち上がり、今度は微妙な距離を取りながらファラムンドに訴えた。
「
「空を? 気球やカイトの類か?」
「いや、おっきい鳥を召喚するの。言うこと聞くし、背にふたりは乗れる。ここからだと飛び立つのに魔法の補助が必要だけど、馬で追うよりは確実に速いよ!」
訝し気に訊ねるファラムンドへ、両手を広げて大きさをアピールするエルシオン。
すでに元『勇者』であることが明かされているとはいえ、召喚魔法なんて持ち出すとは思わなかった。だが、確かに
ここがキヴィランタであれば翼竜セトの力を借りたいところだが、今となってはそうもいかない。
そんな叶いもしない策はともかく、エルシオンの言葉が気になった。言うことを聞く大きな鳥というのは……もしや、いつぞやのクッション用に胸の羽毛をむしられたという、極楽鳥のことだろうか?
そんな疑問を乗せた視線に、エルシオンは片目を閉じた妙な笑顔で応える。
「フン、身元が知れたところで誰が犯罪者の手など借りるか」
「汚名返上とまではいかなくても、ちゃんと役に立つって所を見せたいんだ。だからお
「次にその呼び方をしたら上下の前歯引っこ抜いて釘を詰めんぞこの青二才が!」
息巻くファラムンドの背後から、しばし姿を消していたカミロが現れた。先発用の馬の準備ができたこと、追跡用の荷馬車はここに停めているものをそのまま使うとの報告を手短に伝える。そして。
「この際、使える物は何でも使いましょう。どの道、馬で追ってもあの高度では手出しができません。体面や手段よりも今はアダルベルト様の安全確保が第一です」
「おっ、カミロサン話がわかる~!」
「自警団への入団については成功報酬として後で考慮に入れることをお約束いたします。その騎乗用の鳥というのは、すぐに呼べるのですか?」
「うん、任せて。召喚なんてずいぶん久し振りだけど、まぁこの時間なら巣で寝てるんだろうし、失敗はしないよ」
気楽に請け負いながら、エルシオンは馬車の停めてある一帯からいくらか距離を取った。
何をする気なのかと馬や荷車のそばで作業を進める自警団員たちも、各々手を止めないまま注目する。
「召喚魔法ってだいぶ難しいんだよね、半分は転移との掛け合わせじゃん? えーっと、こうやって、こうでいいかな……?」
そんな気の抜けたようなことを呟きながらも、描き出される構成は緻密で隙のないものだった。
対象、契約、座標。所々にリリアーナの知らない記述も織り混ぜながら、光る召喚構成陣が紡ぎ出されていく。
描き込まれた座標軸を計算すると、思った通りテルバハルム山脈からの転送で間違いない。転移に距離は関係ないが、体積の数値が異常だ。
「これは……ずいぶん大きいな。父上、カミロ、もう少し離れたほうが良いかもしれない」
そばに立っている男たちの袖を引いてともに数歩下がると、すぐに地揺れのような振動と風圧を感じた。
一瞬だけ目を閉じ、開ける。
そんな瞬きの間に突如現れた、堂々たる巨体。周囲にいる大人たちと一緒になって、唖然としながらそれを見上げる。
薄紅色に輝く美しい羽毛に覆われた、艶やかな体。これまでどんな生物にも見たことのない虹を纏う見事な輝きは、一度目の当たりにすれば一生忘れないだろう。
湾曲した首の先にあるつぶらな黒い瞳に、平たいくちばし。
短い尾羽、鋭い爪を備える太い脚。
丸々とよく肥えた体。
丸々……ふっくら……こんもりと。
「何だか、少し、思っていたのと違うな……?」
エルシオンの召喚に応えて現れた伝説級の生物、極楽鳥。
初めて目にするその外見は、一言で表せば、薄紅色の巨大アヒルだった。
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