第294話 間章・まもる魔王さまは涙を流せない⑦


 小さな鉢に植わった指先ほどの苗が、木箱の上にいくつも並べられていく。

 鉢にはそれぞれ名前の書かれた小さなタグが刺さっているため、苗の状態でも何が植わっているのかは分かるようになっている。ざっと見たところ、いずれもデスタリオラの持つ知識で識別可能な植物だ。

 とはいえ、知っているだけでは意味がない。赤芋や白葡萄などは植生が異なるらしく、キヴィランタでは種すら手に入らなかった。


「……なぜ、交易品に種や苗を選んだ?」


「そこはそれ、商人の嗅覚ちゅうか、勘ちゅうか。いや正直なとこバラしますと、前に来たときコゲはんにそこいらを案内してもらいましてな、畑や水路なんかも見せてもろて。ここの魔王さんはああいう開拓にえらい力を入れとるいう話を聞いた時から、持ってくるならこれかなぁ思うてましたわ」


 元々キヴィランタでは農耕に励む種族がほとんどいないため、麦や芋などは野に自生するものしか入手手段がない。

 地人族ホービンらは昔から穀物や葡萄を使って酒を作る文化を持っているが、それも細々としたものだ。住処をこちらに移してから働き手が増え、ようやくまともな酒蔵を造れたとゴビッグたちが泣いて喜んだばかり。

 ヒトのように味や保存を伸ばすための品種改良をする段階までは、技術も認識も進んでいないのが現状だった。


「手に入って一番嬉しいものをあっさり当てられたのは、何だか複雑な心地だ」


「イシシシッ、欲しいモン用意してみせたお客はみんなそんな反応しますわ。ひとまず近くの町で手に入るだけ積んできたもんやけど、すぐそこのイバニェスはええ耕作地やからちょうど良かった。これで喜んでもらえるんなら、次はもうちと足を伸ばして茶とか果物の種も仕入れよう思います」


 運んで来るなら種のほうが嵩張らないのに、土壌がそれぞれの苗の生育に適しているかわからないため、サンプル用に土の入った鉢を選んだらしい。さすがは熟練の商人と言うべきか、自ら用意したらしきタグといい、よく気の回る男だ。


 土の解析はアルトバンデゥスに任せられるし、育て方などは地下書庫の本に大抵のことが書かれている。最初だけ魔法で少しズルをして株を殖やせば、あとは他の作物と同様に畑で育てることができるだろう。

 デスタリオラは頭の中に新しい耕作地の区分けを描きながら、手のひらのような葉をつけた苗木を手に取った。

 白葡萄は良い酒が作れると聞くから、地人族ホービン化蜘蛛アラクネルなど酒を好む者たちが喜ぶ。まだ体調が回復しないウーゼもきっと甘い果実なら食べやすいはず。


「苗が手に入るのでしたら、わたくし亜麻が欲しいですわ、デスタリオラ様」


「ふむ、繊維と油が採れるのだったか、それも有用だな。ダイゴ、手に入るようだったら次回はそれも頼む」


「承知しました。……ところで、そっちの別嬪さんはさっきから何してはるんです?」


 木箱に鉢と種の袋を並べ終えたダイゴは、ずっと気になる素振りを隠していたようだが、たまりかねた様子でそう訊ねてきた。

 立ったまま苗の品定めをするデスタリオラの背後では、しゃがみ込んだ夜御前がせっせと裾の縫い上げをしている。作業中でも好きに移動して構わないと本人が言うため、その通りにいないものとして扱っているところだ。


「引きずる丈のローブなど、着用前からどうなるか想像がつくだろうに。切るのも脱ぐのも文句を言うから、好きなように手直しをさせている。気にするな」


「威厳を増したいと仰るから裾も袖も長くお作りしましたのに~!」


「丈を長くしただけで威厳が出るなら苦労はない。それよりも夜御前、お前ゴビッグの所から作りかけの肩鎧を持っていったろう、あれは試着もまだだったのに」


「こんな行商人を真似た野蛮な服装など、このわたくしの目の黒いうちは絶ッッ対に許しません! その麗しいお体に、ベルトだの鋲だの鎖だのじゃらじゃらトゲトゲくっつけようものなら素っ裸にひん剥いてしまいますからね!」


 歯を剥いて「キー!」と喚く女に怯えたらしく、ダイゴは大きな体を縮めながら木箱の向こうで後ずさった。


「いやまぁ、わしらの格好はハッタリ半分やから、細面の魔王さんにはちと向かんかもしれへんな……」


 そう言うダイゴの傍らに置かれた兜は、縦一列に馬のたてがみを模したような装飾がついている。人狼族ワーウルフたちの間ではにわかにそれが流行っているらしく、頭頂部から首の後ろまで果汁などを使って毛を逆立てている者をよく見かけるようになった。

 地人族ホービンたちも商団の用いる装飾に大いに感化されたようで、今も角と鋲のついた荷車が通りを横切って行く。

 デスタリオラ自身、見目の攻撃性が増して良いなーと思うのだが、アリアや夜御前にはえらく不評だ。


「まぁ、衣服など動きやすければどうでも良いのだが。それよりもダイゴよ、助けた礼にこれらを受け取るのでは対価として重すぎる。金や鉱石で構わないのであれば余剰分をきちんと支払おう」


「そうはいうても苗だの種だの大した額やあらへん、……てのは聞かんのやろなぁ」


「次に訪れるための資材や食糧も入用だろう。ちょうど手持ちの整頓をした直後でな、このへんの品であればお前たちヒトにも無害だから、好きな物を持って行って構わん」


 収蔵空間インベントリの片付けをして出てきたガラクタの中から、特に呪いや面倒な構成はついていない宝飾品などをばらばらと木箱の上に広げて見せた。

 粗削りの紅玉や翡翠、小粒の石がたくさんついた首飾り、大粒の金剛石の指輪などなど。触媒としては優秀だから自ら構成を刻むこともできるが、素のままでは大した価値はない。

 無造作に転がるそれらの品を目の当たりにし、ダイゴは片手で顔を覆って空を仰いだ。


「あ~……。せやな、わしらとは価値観がちゃうのやから、そうなるんかぁ……」


「これでは不足か?」


「逆や。あのな魔王さん、わしかて人並み以上に欲はある。せやけど腐っても商人や、お客を騙くらかして金目のもん掠め取るような真似は死んでもせぇへん。ここに置かれた金ピカ全部くれ言うたら、あんたさんは気前よく全部くれるんやろうけど、それはあかんねや」


「……?」


 横からのぞき込んでいた夜御前と顔を見合わせる。たまに衣服の装飾用にと石を持っていくことはあるが、化蜘蛛アラクネルたちも宝飾品には興味を示さない。

 こちらの反応を見たダイゴは苦笑いを浮かべながら、木箱の上から金剛石の指輪と紅玉をひとつずつ拾い上げた。


「今回はこれで十分、足がでるくらいや。貨幣カネでの売買ができない分、レートに関しては次回までにわしも何か考えときますわ」


「そうだな、互いに価値観が全く異なるわけだから、その辺のすり合わせは必要か」


 手持ちにある金塊を細かくちぎっておけば貨幣の代わりになるのでは、とも考えたが、こちらが金を重要視しておらず、逆にダイゴたちにとって価値が大きいのであれば、そのひと欠片の値打ちを決めるにも話し合いが必要だ。

 今後も取り引きを続けるなら、一度ゴビッグたちも交えて相談の場を持つべきだろう。

 そんな話しをする傍ら、遠くから人狼族ワーウルフの子どもたちが声をかけてくるのに応え、ダイゴも手を振って「後でまた寄らしてもらいますー」と大声で返している。


 二回目の来訪ですでに住民たちと馴染んでいるダイゴたちサルメンハーラ武装商団は、次の森越えをしたら一度本拠地に戻るため、三度目の来訪は少し先になるとのことだった。

 今度こそ聖王国を方々見物して回れるということで、護衛役について行くコゲは出立前から張り切っている。

 ひとまず害意はなさそうだと理解したのか、化蜘蛛アラクネルたちも顔を合わせれば挨拶くらいはしているようだ。亜麻が欲しいとねだった夜御前のように、針が欲しいとか絹を持ってこいとか、好き勝手な要望を口にしているとの報告がバラッドからもたらされた。

 商団の者たちも頼まれれば断りにくいのか、様々な種族から声をかけられるたび、手持ちや積み荷の中に要望の品があればこっそり分けているらしい。

 まだ交易に関する取り決め前なのだから、無理な願いや不必要なものがあるといけない。個々のやり取りはせず窓口はきちんと設けようと、出発の前日にダイゴをつかまえて自らそんな相談までする羽目になった。






「もっとゆっくりしでけばええのに、すぐ帰ってすまうんですねあのヒトたち」


「わざわざ礼を寄越すために、自身の住処にも帰らず取って返したらしいからな。ゆっくり滞在してもらいたいのは山々だが、あまり引き止めるものではない」


「迎賓館、ですたっけ。次さ来るまでには間に合わせますよ、籐編みの調度品ば親方に任されてるんで僕も頑張ります」


「あぁ、銀加の作る家具なら大きさも不安はないな。もし手元で出来そうなら、材料を持ち込んで部屋で作業をしたらどうだ。ウーゼのそばにいた方が互いに安心だろう」


 産まれた子ども、稲穂は日々すくすくと育っている反面、母親であるウーゼの体調は未だ優れない。

 急ぐ仕事ではないのだから、家族のそばで過ごしてはと提案するデスタリオラに、蔦の束を抱え直した銀加は姉がついているから大丈夫だとはにかむように笑う。

 初めて顔を合わせた頃の痩せ細った姿は面影もなく、姉の金歌ほどではないが、引き締まった筋肉に覆われる立派な青年へと成長した。短い角とひよこのような髪だけは相変わらずで、無造作な黄色い毛が風に揺れる。


 揃って人狼族ワーウルフの集落に集まり、サルメンハーラの一行を見送ったところだが、銀加はこれからまた作業場へ篭って椅子を作るのだと言う。

 こちらは迎賓館用ではなく、ウーゼが稲穂を抱きながら寛げるよう、ゆるく揺れる形のロッキングチェアなるものを作るそうだ。母親ごと乗せられる揺り籠のようなものかと想像した。


「アリアさんも、ウーゴ義兄ニイも、しょっちゅう様子さ見に来でくれるから心配はしてません。今朝も、川で珍しく砂鰻スナギが獲れたからって、捌いて料理してぐれて。あれは卵ど肝は半生さ、塩で茹でてくど栄養あるんです」


「そうか。食べなければ体はもたんからな。最近は少し食欲が戻っていると聞くし、体に良いものを食べさせてやってくれ。我も滋養のある薬をいくつか調べてみたが、アルトバンデゥスが言うにはいずれもウーゼには強すぎるらしい。体が弱いというのは、本当に難儀なものだ」


「はい……。頭ではわかってたつもりでも、種族さ違うとこんなに……いや、僕が支えられるようしっかりしねど」


 俯きそうになる顔を上げ、力の漲る目を見開く様は、気の弱そうだったあの頃とは違う。銀加の瞳の中にある意志の強さはとうに確認済だ。父親となって一層頼もしさを増したこの男になら、ウーゼを任せても大丈夫だと思える。


「城には他の小鬼族もいるし、子育てについては金歌がついていれば安心だろう。それでも何か不足や困ったことがあれば、いつでも言いに来い、今さら遠慮はするなよ」


「はい、もちろんです。魔王様……、……っ?」


 話の途中で不自然に言葉を切った銀加は、抱えた蔦をこぼしながら突如駆けだした。その向かう先へ目を向けると、石垣の境に草に埋もれた足先が見えた。柔らかい皮で作られた編み靴は見覚えがある。

 筋力の限り一息に駆けて、銀加と同時にそこへ着地した。

 土まみれで横臥しているのはウーゴだ。嘔吐した痕跡があり、顔色が酷い。伏せたまま全く動かないが、まだ息はある。

 呼びかけながら倒れた体を起こそうとする銀加の手を引き止め、アルトバンデゥスの杖を寄せた。


<解析:吐瀉物と胃の残留物から、有機系神経毒による中毒と思われます。まだ消化はそう進んでおりません、胃の中身を吐き出させ、水で洗浄を行ってください>


 すぐにうつ伏せのまま腹部を掴み上げ、胃の中に直接水を転移させた。

 肺には入らないよう、伏せた体を腰から持ち上げて全て吐き出させる。慎重に背中を叩き、もう吐き出すものがなくなったところで体を仰向けた。どこから毒を得たのかわからないため、頭からも水をかけて洗い流す。

 激しく咳き込みながらも、何とか息を吹き返したウーゴを支えてその体を腕へ寄り掛からせる。まだ意識は戻らない。


「な、何で……ウーゴ義兄ニイ、何が……?」


「毒物を口にしたらしい。今朝は、魚を獲ったと言っていたな、他には何を食べた?」


「僕はすぐ工房さ行ったから、燻製肉を挟んだパンしか食べてなぐで。たぶんキノコのスープと、じっちゃの持ってきた果物もあったど思うんですが、あ、あぁっ、姉と、ウーゼも同じものを食べてるはず!」


 その答えを聞くなり、デスタリオラは杖を押し付けた銀加とウーゼの体を小脇に抱えて石垣を跳躍した。

 堀を飛び越え、城の外壁に穴を開けて突っ切る。そのまま城内の壁も全て分子崩壊で穴を開けながら、何事かと振り返る者を避け、ウーゼたち母子のいる部屋まで最短距離を走った。

 小鬼族が住居としている東側、広い廊下を風のように抜けて扉も消滅させたところで、すぐ目の前に金歌がいた。

 赤子の泣く声、青褪め歪んだ顔、伸ばしたままの右手はドアノブを掴もうとしていたのか。


「ま、魔王様……っ、あぁぁぁっ!」


「金歌、ウーゼは?」


 抱えていた銀加をその場に落とし、代わりに恐慌状態で取り縋ってくる金歌を受け止める。

 腕で抱き留めたまま引きずるように部屋の奥のベッドへ向かって一歩。進みかけた足が止まる。


 白い布包みの中で稲穂が泣いている。

 その隣に、小さな体がベッドの上に横たわっていた。

 色をなくした顔、寝間着の胸元を掴んだままの細い手。近寄り、ふれて、確認をせずとも一目でわかる。


 ウーゼはすでに死んでいた。



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