第291話 間章・まもる魔王さまは涙を流せない④


 遠目に見えた黒点は近づくにつれ、翼を広げた竜の形が視認できるようになった。

 だが、それは予想した方の相手ではないようだ。上空を旋回している間にこちらを発見したらしく、ゆっくりと城の裏手にある空き地へ下りてくる。

 大きさだけ立派な竜は、まだ平らな場所への着地は不慣れなのか、地に脚がつく前に姿勢制御を失敗して前のめりに転倒した。

 いくら見上げるほどの巨躯でも中身を作り込んでいない体はハリボテも同然だから、砂埃すら立たない。逆さに着地した竜はそのまま尻尾を使ってさらに転がり、地面に尻をつくような格好で座り込む。


<マオー! 何トカシロ!>


「突然訪ねてきてずいぶんな挨拶だな、エト。母親はどうした?」


<ババァナンカ知ラネー! オレハモウ、ガキジャネーンダゾ!>


 やや拙い念話を送り、首をふいと背ける仔竜。

 そんな憎まれ口を叩きながらも、見た目や大きさがほとんどセトと変わらないのは、母親の姿を真似しているせいだろう。

 ただしその模倣も細部や中身までは追いついておらず、鱗は紙切れ同然だし、白い羽根は綿の寄せ集めという雑さだ。翼の生えた蛇のようだった前回に比べれば、大した成長とも言えるが。

 翼竜セトの仔、エトは産まれて一年と少し。すでに魔法による擬態や飛行はできても、本来であればまだひとりで巣の周辺から離れるような年齢ではないはず。


「図体だけでなく態度まででかいガキに育ったわねぇ、こんなんじゃセトも苦労してるでしょ。ウーゼの娘はちゃんと真っ直ぐ育ててあげないとって気になるわ」


「まぁ、これくらい元気があるのも良かろう」


「あんたは小さい子に甘すぎるのよ。翼竜の年寄り連中も久し振りに産まれた仔が可愛いからって、べったべたに甘やかしてるんでしょう、だからこんな生意気になるの! この私が言うんだから間違いないわ!」


「十中八九その通りだろうが、幼い者に厳しくあたったところで仕方あるまい。……エト、どうした。セトと喧嘩でもしたのか?」


 デスタリオラが声を和らげながら不格好な翼竜に近づくと、エトは首を垂て前脚に乗せ、同じような背丈まで体のサイズを縮めた。その体表には拘束らしき構成の名残りが視える。


<ジジババ、ミンナウルセェ。オレハ、独リ立チスル。モウ山ニハ戻ラネェ!>


「そうは言っても、お前はまだまだ学ばなければならぬことがたくさんある。知識と力をつけてからでないと、このキヴィランタで生き抜くことは難しい。セトとてお前を苛めたいわけでなく、立派な翼竜になって欲しいからこそ厳しく教えているのだろう?」


<ババァナンカ、嫌イダ、意地悪スルシ、オ仕置キバッカリ。狭イ巣モ、イヤダ。オレハモット飛ンダリ、喰ッタリ、色々シタイ……>


 いじけたように、さらに大きさを縮めるエトは本人なりに反省をしているのかもしれない。

 デスタリオラは収蔵空間インベントリから八朔の実を取り出し、半分に割ってからエトの鼻先に置いてやった。果物が好物の仔竜はすぐにかぶりつき、椀のようになった皮へ口先を埋める。

 昂りがおさまってきたせいか、エトの体は見る間に小さくなっていき、両腕で抱えられるほどのサイズになった。丸まった格好をしていると何だか羊のようだ。

 そのうちセトが迎えに来るだろうし、ここで頭を冷やす時間をやればそれまでには落ち着くだろう。


 さらに八朔の実をふたつ置いたデスタリオラは、作業を始めるために丸まる仔竜から少し離れたところまで移動した。

 今日はアリアもいるし、危険物が多そうなあたりは避けておこう。

 そう念頭に置きながら、収蔵空間インベントリを探ってリスト化が手つかずの一帯をまとめて取り出す。

 何が収められているのか分からない空間の中は、光源のない倉庫に入って手探りで物を探すような状態だ。雰囲気だけであたりをつけて、なるべく安全そうな物を百個ほど眼前の空地へと広げた。

 それからインク壷などの筆記用具に、予め用意しておいた巻紙と、それを収める箱。すでに十四巻を書き終えたが、まだまだ終わりそうにない。


 この収蔵空間インベントリを自分だけが使うなら、何が入っているのかは一度引き出して見れば覚えられる。だがこうして目録を作っておけば、きっと後々の『魔王』の助けにもなるだろう。

 先達がそろえてくれた地下書庫を活用させてもらっている分、デスタリオラ自身でも何か後進の役に立つものを残したかった。


「私は何をすればいい?」


「武器とか宝飾品とか、そういった大まかな括りでいいから、種類ごとに分けてくれ」


「りょうかーい」


 武器や宝飾品以外にも、用途の見えない調度品、謎の石像、何に使うのかわからないガラクタや石ころ、それから城ほどもの質量がある「何か」など、種類も素材も関係なしに突っ込まれている大量の品々。

 毎回、百ほど引き出しては大まかな仕分けをして、アルトバンデゥスの解析を通しながらリストに書き入れている。

 総数が不明な上、石や指輪など細かなものも多いから手間がかかって仕方ない。こうした地道な作業が苦ではない性質で良かったと思う。

 順に目視してはアルトバンデゥスの解析を聞き、黙々とリスト化していく。最初に出したものを粗方終えて、次の百個を広げたあたりでアリアの顔にはすでに飽きが出ていた。


「つまらないなら部屋へ戻っても構わないぞ?」


「えっ、いや、ちゃんと手伝うわ。別に退屈なわけじゃないんだけど、もっと珍しい物があると思ってたから。歴代『魔王』の所蔵物ってわりには、案外地味なのね」


「そうか? 確かに今回は妙な石像なども多いが……その辺に転がっている武具はかなり珍しいだろう。あぁ、右手側にある剣には強固な呪いがついているから、柄にはさわるなよ。移動させるなら鞘を持つようにしろ」


「そーいうことは先に言ってよっ!」


 慌ててその場から飛びのいたアリアは背後にあった壷にぶつかり、危うく倒しそうになる所を両手で支えた。

 ちなみにその壷も中身は猛毒だったりするが、倒したくらいで割れるような素材ではない。無駄に驚かす必要もないから黙っておこう。


「危なそうだったら手を貸すつもりでいた。さすがにお前の身に危険が及ぶようなものは触らせたりしないさ」


「……もしウーゼだったら同じこと手伝わせた?」


「まさか。こんな危ない品々へ近寄らせるわけないだろう」


「扱いの差――ッ!」


 ふたりでそんな雑談を交わしながらしばらく作業を続けていると、城の方から近づいてくる影に気づいた。

 直立姿勢のまま地面から浮き、魔法で平行移動をするバラッドだ。

 髪型が崩れないよう顔周辺とタイだけ空気を固定しつつ、服の裾は風に遊ばせている小器用さ。

 最近は無精が極まって、服を着たまま魔法で水を被り、魔法で蒸発させて湯浴みを済ませているのだとアリアが憤慨していたが、同じ方法で外出後の砂を落としているデスタリオラには何も言えない。


「デスタリオラ様、お客人の到着でゴザイマス。架橋の手前で待機させておりますが、よろしかったデショウカ?」


「あぁ、構わない、すぐに行く。アリアは自分の部屋へ戻っていろ、客人を滞在させるにしても城には入れんと約束する」


「うん……。えっと、これの続きやるならまた呼んでよね、ちゃんと手伝うから!」


 手を振りながら城の裏門へ駆けて行くアリアを見送り、そこら中に広げていた物品や記入の道具一式をまとめて収蔵空間インベントリへ収めた。

 辺りは再びがらんとした空き地に戻るが、そこにいるはずの姿が見当たらない。


「エトがいないな。バラッド、翼竜の仔を見かけなかったか?」


「城門を出た所で小鳥が飛び立つのはお見かけシマシタ。それ以外は心当たりアリマセン。荷物と一緒に収蔵空間インベントリへ入れてしまわれたノデハ?」


「生き物は入らないから、それはない。頭が冷えて自分から住処に戻ったなら良いのだが……」


 口だけとは思いつつ、家出宣言のようなことを言っていたのが気掛かりだ。セトも迎えに来なかったし、また後で親子が揉めなければ良いと懸念を抱きながら城へ向かう。


 アリアの忠告通り、ローブの背に垂らしていたフードを被り、自身が纏う構成に遮断をかける。即席の魔法だが、服の上からさらに一枚着込むような感覚だった。

 これで真正面からヒトと会っても、傀儡化などの効果を及ぼす心配はない。

 広大かつ凶悪な魔物の巣窟となっているベチヂゴの森に阻まれ、脆弱なヒトがキヴィランタまで到達することは稀だ。長らく『勇者』とその仲間以外に森を突破した者はいないと聞くし、デスタリオラ自身も相まみえるのはこれが初めてとなる。


「さて、聖王国から遥々やってきた商人とやら、一体どんなものかな?」


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