第290話 間章・まもる魔王さまは涙を流せない③
魔王城へ居を移した鉄鬼族たちはまず体力の回復に努め、動けるようになってからは
あんなに弱々しかった子どもたちも順調に肉をつけ、中にはたった三年でデスタリオラと並ぶ背丈まで伸びた者もいる。身体的な資質自体は備えていたようだ。迫害下の厳しい暮らしと、隠れ里での食糧事情の悪さがうかがえる。
ただ銀加だけは姉たちと異なり、食に困らない環境に置かれても見た目はあまり変わらなかった。
本人も力仕事よりは
「銀加はゴビッグの所か。ついでに寄りたいが、あそこに行くとつい長居してしまうからな……。時間を忘れるといけないから今日はやめておこう」
「何か用事でもあるの?」
「ああ、ベチヂゴの物見櫓から連絡が入ってな。これから来客があるかもしれん」
「お客なんて珍しいわねー。森から誰が来るの?」
「ヒトの商人たちが森を抜けたらしい。『勇者』一行かとも疑ったのだが、発見者が手出しせずに報せてきたということは、こちらに危害を加える気はないのだろう。負傷者の手当てをしたら城へ送るよう伝えてある」
「ハァ~~?」
話を聞いたアリアは素っ頓狂な声を上げると、これまでにない機敏な動きでデスタリオラの胸倉を掴む。
「何考えてるのよあんたっ!」
「あぁ、お前はヒトが嫌いなんだったか。それならしばらく部屋で大人しくしていると良い。ここへ招くだけで、城内を好きに歩かせるつもりはないから安心しろ」
「そりゃあ、まぁ、興味もないし私は部屋にいるけど! あんたまさか、そのままで商人たちと会うつもりじゃないでしょうね?」
こんな普段着ではなく、『魔王』らしい装いで面会に挑めということだろうか。
今着用しているのは、夜御前が作成した黒いローブ「第十八案簡易完成型」だ。金糸の刺繍だの石の縫い込みだのに飾られて、多少じゃらじゃらとしている以外は動きやすくて気に入っている。
最近は遠出もなかったから防具は何もつけておらず、確かにこのままでは軽装に過ぎるかもしれない。彼らの『魔王』に対する畏怖と幻想を崩さぬよう、
「その顔を見るだけで、ロクなこと考えてないのだけはわかるわ」
「む?」
「そーじゃなくて! キヴィランタの住民ならまだしも、ただの人間が真正面からデスタリオラの【
「いや、ヒトを傀儡と化すような魔法を使うつもりはないが?」
いきなりそんな乱暴なことはしない、と至極真っ当なことを返せば、アリアは頭を抱えながら地団駄を踏んで呻いた。
「んもー、これだから生粋の無自覚タラシは嫌になるわ!」
「たらし?」
「あんたは気づいてないかもしれないけど、
つまり、魔法を使おうと意識せずとも、普段から対面した相手を魅了する魔法は発動しているのだと言いたいらしい。
アリアの言っている意味は理解できても、自身にはそんなつもりも実感もなかった。
木に立てかけたままのアルトバンデゥスへ目を向けると、ためらいがちな念話が返ってくる。
<肯定:ええと、デスタリオラ様は『魔王』としての権能の他に、おそらく種族由来と思われる常時発動の魔法をいくつか纏っておられます>
「あぁ、なるほど。全権耐性に紛れて細かいものは気づけなかったようだ。【
集中して自分の体が纏う構成を探ると、確かに【
「ふむ……。では面会の前に遮断の構成でも追加しておくか。それなら問題あるまい?」
「別に、私には関係ないし、人間の商人どもが骨抜きになって困ることなんか欠片もないけど」
「いや、指摘してもらえて助かった。『魔王』として何でもできるが故に、自身では気づけないことも多い。お前は意外と目端が利くからな、これからもそばにいて何か気になることがあったら教えてくれ」
労いと感謝を込め、ほどよい位置にあるアリアの頭へ手を乗せると、少女は無言のまま俯いた。
薄曇りでも日光を浴びているせいだろうか、両耳が赤い。
ウーゼを褒める時にもよくこうして頭を撫でてやったし、そうすると喜んでくれたものだが、彼女が伴侶を得てからは不用意に触らないよう気をつけている。自分とてもの知らずではないからその程度の弁えはあるのだ。
……ただ、ほんの少しばかり寂寥感を覚えるのも確か。
「き、気になるって言ったら、あんたのその中途半端に切れたまんまの髪、どうかと思うんだけど。夜御前もうるさいんでしょ、そろそろ伸ばして揃えたら?」
「長くした際に、伸ばすのは一度きりだと言ったはずだ」
以前、セトの鱗によって右肩のあたりで切断された髪の一房。揃えようと思えばすぐに伸ばすこともできるのだが、特に必要を感じないのでそのままにしている。
頭に手を置いたままにべもなく断ると、アリアは不満げに唸ってから少しだけ顔を上げた。前髪の隙間からのぞく目元は紅潮している。
「あっ、そういえば。気になるってほどじゃないんだけど、こないだ川のあたりで
「白蜥蜴以外のか? あの種族には臣下に加わるのを拒まれた上、『魔王』に関わる気はないとひどく威嚇されたからな。住処も離れているし、一体何をしに来たんだ?」
「わからないけど、こっちが栄えてるのを見て、やっぱり仲間に入れてほしいとかじゃない?」
そういうことならきちんと使者を立てて話し合いに来てくれれば、無下に追い返すようなことはしない。
自らキヴィランタ中を移動し、様々な種族へ臣下にならないかと誘いをかけたが、
五割ほどは
残り二割には、話を聞いて断られるならまだ良い方で、初対面時の黒鐘のようにいきなり襲い掛かってきたりと、全く相手にされない種族もあった。
今現在も反発姿勢をとる種族はあるが、一通り力は見せてきたため『魔王』に対し全面的な対立を良しとする者はもう残っていないはず。
白蜥蜴がひとりで魔王城に住み着いていたのは、体表の色のせいで群れから追われたのだと以前アルトバンデゥスの通訳越しに聞いたことがある。
もし
ああした同族内の結びつきが強固な者たちは頭も固いから、急な変化を受け入れられず面倒な揉め事になると、鉄鬼族の一件でも身に染みたばかりだ。
そんな思案をしながら、何となくそのままアリアの柔らかい髪を撫でていた。淡色の髪は見た目通り少しひんやりしている。
手慰みに掬った一房を耳にかけてやると、少女は足の力をなくしたようにへなへなとその場で座り込んだ。
「どうした、体調でも悪いのか? 日に当たりすぎたなら城まで運んでやるが?」
「な、なんでもない、平気! それよりあんたは用事があるんでしょう、私のことは気にしなくていいから」
「ふむ。招いたと言っても、森の櫓から城までの移動はしばらくかかるだろう。到着の報せがくるまでは昨日の作業の続きをしているつもりだ」
そばの木に立てかけていた杖を手に取ると、青い宝玉が内側からきらりと光る。
今日も活躍してみせるという意思表示に見えた。地味な上に時間ばかりかかる作業だが、アルトバンデゥスの助力があるお陰で想像していたよりはスムーズに進んでいる。
「あ、倉庫整理ね、それなら私も手伝ってあげるわ!」
「気分が優れないなら無理をする必要はない。……整頓の手伝いよりも先に、お前には貸した本が嵩んでいるだろう。読み終えたなら返却してくれ」
「だってあれは、見ながらじゃないとできないんだもん。レシピを覚えたらちゃんと返すから!」
しつこくせがまれて地下書庫にある中から料理関係の本をアリアに貸し出しているが、返却のないままそろそろ十冊になる。
あそこに収蔵されている本はいずれも『魔王』の共有財産であり、自分だけのものではないからいつまでも書庫から出しているのは落ち着かない。アリアにも城の外には持ち出さないよう厳命しているし、紛失することはないはずだが。
キヴィランタでは文字を用いる種族が限られているため、書籍に興味を持つ者は少ない。だからアリアに「本を貸してほしい」と頼まれたのが嬉しくて断りきれなかった。
「調理なら他に優れた腕を持つ者がいるだろうに、彼らに師事するほうが早いのではないか?」
「なんか、違うのよ。そりゃ金歌や
「我よりも、ウーゼに何か消化吸収に優れたものを振舞ってやるといい。……自身に不足している知識や技術を学び取ろうという姿勢は評価している。だから望む本があるなら貸与はやぶさかでないが、その代わり溜め込まずに読み終わったものから返却しろ」
「はーい」
右手を挙げて返事をするアリアに手を差し出すと、ためらうように指先を揺らしてからその手を掴んで立ち上がった。
「銀加も地下書庫に興味があると言っていたし。あの赤子にも文字を教えてやれば、この先役に立つかもしれん」
「うん、本は便利よね。私も小さい頃はずっと本を読んで過ごしたから、お陰で外のこととか知ることができたの。あの子にも文字を教えて、楽しい物語とか絵本とかあげると良いと思うわ」
「小さい頃から? バラッドも読み書きができるから、お前が本を読みたいと言い出しても特に不思議に思わなかったが。このキヴィランタで魔王城以外にもそんな環境が残っていたのだな」
すでに壊滅したとはいえ、火災が起きたのでなければ
デスタリオラがそんなことを考えている横で、当のアリアは視線をさまよわせながら足元の小石を蹴飛ばした。
「えっと、……うん。部屋からあんまり出られなかったから、よくひとりで本を読んでたの。もう昔のことだけどね。そんなことよりも、ほら、倉庫の片付けをするんでしょ、私はもう元気だから早く行こう!」
「別に片付けというわけでは……まぁ良い。手はあったほうが早く済むからな、暇ならついてこい」
ころころと表情の変わる少女に袖を引かれながら、外壁沿いを北に向かって歩く。
作業にはひらけた場所が必要になるため、いつも城の裏手に設置した水源の脇で行っている。城の周りには住居や施設ばかり敷き詰めず、空き地も必要だろうと思ってそのまま残している土地だ。
ふと薄い綿雲の伸びる空を見上げれば、ずっと遠くから何か飛んでくるのが視えた。
あの高度と速度に該当するのはひとりしかいない。アリアを連れているから、また騒がしくなるなと思いながらも、デスタリオラは白い指先に掴まれたままの袖を振り払う気にはなれなかった。
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