第288話 間章・まもる魔王さまは涙を流せない①
新調したばかりのペン先は滑りが良く、皮の表面になめらかな曲線をするりと
大判の紙を継ぎ足しながら描いていた魔王領内の地図だが、試行錯誤を重ねて最終的には獣皮紙に行きついた。ベーフェッドの皮を削いで作った巨大な紙は頑丈で継ぎ目もなく、頻繁に書き換える必要のある地図には植物原料の紙よりも向いている。
城の周辺に広がる集落や施設、住まう種族などを細かに書き込んできた見取り図は、一歩離れて見れば放射状に広がる壁画のようだ。
昨日新たに造られた
地図作成なんて『魔王』自らするような仕事ではないだろうと度々アリアに文句を言われるけれど、ちまちま描き込むのは秘かな楽しみなので他に譲る気はない。
立場的にあまり胸を張って言える趣味ではないが、自分の気質はこういう地道な作業に向いているようだ。
「うむ、ここなら材木置き場にも適しているし、東南道の脇を空けておいて正解だったな」
<質問:
「あぁ、ここに貯めるのは彼らの使う素材ではなく、建築用資材が主となる。どうせ
そんな無責任な判断から倉庫の場所を決めたが、どうせ自分が何も言わずとも
まぁ、荷車は他の種族が活用してくれているから、無駄にはなっていないし、別に良いけれど……。
胸内でそんなことをぼやくデスタリオラが地図をめくり上げると、窓の外から低い羽音が響く。
開け放ったままの窓を振り返れば、そこには空中で停滞する
「何だ、報告か?」
<通訳:森の物見
「そうか、では先に燕蜂の方から聞こう。バラッドはその辺に浮いていろ」
指先で適当な方向をさすと、黒衣の
邪魔者がいなくなってスペースが空いたことにより、大きな羽音をたてていた燕蜂は脚を伸ばして窓枠に止まる。
全長が鳩ほどある大きな蜂は、ベチヂゴの森に住まう虫型の魔物だ。高速飛行や意思疎通に魔法を用いる種族で、最近は遠距離間の連絡役として活躍してもらっている。
大きな目や揺れる触覚は愛嬌もあると思うのに、この羽音を聞くとアリアやウーゼたちはなぜか大袈裟に怖がるのが不思議だった。黙したまま報告をアルトバンデゥスへ伝えているらしく、二本の触覚が上下に動く様子は見ていて飽きない。
<報告:何やら、森を抜けてきたヒト族がいるようです>
「ほう、こちら側まで来るとは珍しいな。まさかもう『勇者』が攻めて来たということはあるまい?」
<通訳:正体は不明、数は成体が六。荷馬車が一台。森の切れ目付近で、荷車を引いていた馬を失い動けなくなったようです。狩り途中の
森を抜けただけで身動きが取れなくなるようなら、『勇者』は含まれていないと見て良いだろう。
強力な魔物が棲むベチヂゴの森に阻まれるため、魔王領にヒトが迷い込むのは稀だ。今の世代の
「ふむ……。あいつらは鼻が利くからな、現場の判断を信じよう。手当てをしてやって、敵対の意思がないようなら城まで連れてこい。帰らせるにしても森を抜けるための支度が要るだろう」
了承の意思を帰した燕蜂が再び羽根を広げ、窓枠から飛び立っていった。
それと入れ違うようにして、今度は直立姿勢のバラッドが綿毛のような動きで近づいてくる。窓から出入りをするなと再三にわたり注意をしてきたのだが、やめる気配も反省の色も見えないのでもう諦めた。
「ご機嫌麗しゅう、デスタリオラ様」
「能書きはいいからさっさと報告をしろ」
「はい。
バラッドの話を聞きながら、テーブルに広げた皮紙を入れ替えた。細かに書き込んだ領内見取り図とは違い、こちらは中心部から方々へと線が伸び、複雑な迷路のようになっている。
北側はまだテルバハルムに届くほど伸びてはいないが、南側はすでにベチヂゴの森の物見櫓まで開通している。
「彼らの顎でも削れないとなると、崖から続く鉱床か? 先に材質を見たいから、周辺を少しずつ削り採って城まで持ってくるように伝えてくれ」
「かしこまりマシタ」
「珪岩でも出てくれれば嬉しいんだが、北は層が古いからな。あの辺は開通後にもう少し深く掘れたら面白いものが見つかりそうだ」
硬い層に阻まれて作業を止めることになるのは、北へ掘り進めているルートのうちの一つ。地下道の地図に軽く書き込んでから、その下の崖を目で辿る。
前に谷まで下りて古い地層を見てきたが、この一帯に鉄鉱床が広がっているのは西にある山々の噴火の影響だろう。その他にも様々な鉱物資源が出てくるが、崖を掘り進めるよりも地中から掘削するほうが安全で効率も良い。
インクを乾かし、元通り領内の地図を重ねて置くと、窓の外から今度はけたたましい泣き声が聞こえてきた。
「おやおや、お散歩の時間ですかな、元気な赤ん坊が泣いてオリマス」
「あの小さな体から、どうしてこんな大声が出せるんだか……」
窓の下を覗かなくても、泣き声だけで誰がいるのかはすぐにわかる。
下手に窓から顔を出すと下りてくるよう呼ばれてしまうから、今のうちに地下書庫にでも移動して――
「あ、デスタリオラが部屋にいるわよ! おーい、下りてきなさいよー!」
高低差をものともしない女の大声が部屋まで届く。
わざわざ窓から顔を出さずとも、バラッドが窓の外に立っていれば自分が在室していることなど一目瞭然。だから、ちゃんと歩いて入口から入ってこいと何度も言っているのに。
恨みがましい目を向けると
<諦念:無視すると後がうるさいですし、お散歩のついでということで外へ出てはいかがでしょう?>
「まぁ、そうだな……。アリアが騒がしいだけで赤子に罪はないし、生育の様子を見ておくか」
今日で生後十日目。産まれた次の日に見せられたときは、赤くてしわしわで小さくて、泣き声もかすかなものだった。それがわずか十日でここまで威勢の良い泣き声を発するまでになるとは。
できればあまり近寄りたくはないのだが、赤ん坊がどんな速度で成長するかは知識にないため、少し離れたところから観察するくらいなら良いだろう。
若干の苦手意識を押さえ込みながら、デスタリオラはアルトバンデゥスの杖を手に取り、自室を後にした。
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