第207話 いざ、書斎へ


 淡い空色のワンピースに白い長靴下、襟元には藍色をした艶やかな生地のリボン。髪にも同色のものを用いて耳の上でふたつに結われた。

 目の前の姿見に映るフェリバが、「かっわいい、最高に可愛いです、このワンピースなら絶対ツーテールが似合うと思ってました!」と頬を紅潮させて喜んでいる。服装も髪を整えるのも完全に任せきりだが、フェリバがそう言うなら似合っているのだろう。

 季節や場所、会う相手に見合った服飾を選ぶことも先々必要であるとバレンティン夫人から聞かされているけれど、未だに外見の良し悪しはよくわからないし、行動の邪魔にならなければ何でもいいというのが本音だった。


<大変お似合いです、リリアーナ様。ただ、あのトンデモなご令嬢とおそろいですなぁ……>


 そうなのだ。結われている間にも鏡を見ていてアルトと同じことを思ったが、フェリバはクストディアの外見を知らない。

 ブルネットのゆるく波打つ髪を高い位置に結った、あの姿は印象的だ。もし一目でも見たことがあれば、サーレンバーに滞在中はこの髪型をしなかっただろう。ご機嫌な様子に水を差すのもためらわれて、それを指摘することはできなかった。

 彼女と全く同じ結い方というわけでもないし、今日は会う予定がないから別にこのままでも良いだろう。フェリバが絶賛する仕上がりなら、きっとファラムンドも喜んでくれるに違いない。



 そうした思いで朝食の席へ顔を出すと、同じようなタイミングで到着したファラムンドは、朝の挨拶に開きかけた口と挙げた右手をそのままに硬直した。

 不思議に思いながらリリアーナの方から挨拶を告げれば、首を上下しながら足元から頭の先までをまじまじと見つめてくる。


「おおおおおっ、起きたばかりなのにまだ夢を見ているようだ。あの世から迎えの使いが来たのかと思った……なんて愛らしさだリリアーナ、とてもここが現実とは思えないよ、その体を抱き上げてもいいかい我が愛しのレディ」


「え? あ、はい」


 返事をするなり、大きな手で抱き上げてその場で一緒にくるくると回り出す。


「あぁなんて可愛いんだ、俺の娘が可愛い! 俺の娘がこんなに可愛い! お前の顔を見るだけで元気が無限に湧いてくる、世界よありがとう、お父さん今日もお仕事がんばるよー」


「うん……お忙しいとは思いますが、がんばってください。あと、皆の目もありますので、そろそろ下ろしてください父上」


「そうだぞファラムンド、朝っぱらから廊下の真ん中で何をしておる。可愛い娘に諭されて恥ずかしくはないのか」


 その声を聞くまでブエナペントゥラも到着したことに気がつかなかった。ようやく床に下ろされたが、回りすぎて少しふらつく。目蓋を強く閉じ、平衡感覚を取り戻してから笑顔を作って朝の挨拶をする。

 大柄な老人に隠れて見えなかったが、その背後にはレオカディオも来ていた。


「おはよう。父上もリリアーナも、朝早くから元気だねぇ」


「わたしはいつも通りです」


「だってさ、父上。娘が可愛いのはわかるけど、余所の家ではしゃぎすぎだよ……あれ、リリアーナ、今日はその髪型なんだね。何かのあてつけ?」


「侍女に任せているので、そういう他意を含んだ考えはありません」


 わざと意地悪く言うレオカディオに返せば、「そういう愛嬌のある髪型は、リリアーナのほうが似合ってるよ」と考えの読めない笑顔で褒められた。せっかくフェリバが整えたものだから、その賛辞だけは素直に受け取っておこう。


「……あ、父上。昨晩申し上げたイバニェス宛ての手紙を書いたので、あとで従者へ渡しておきます。お手間を増やしてしまって申し訳ありません」


「なーに、返送する荷物へ同梱するだけなんだから構わないさ」


 屋敷宛ての手紙は夕食の時に願い出て、すぐに了承された。近況をしたためたのみの内容は誰に中身の確認をされても問題はない。今日の午前中には返信の早馬が出ると言うので、昨晩は就寝時間の寸前までフェリバと一緒に手紙を書いていた。


「リリアーナからの便りが届けば、きっとアダルベルトも喜ぶだろう。次は三日後くらいにあちらからの報せが届くから、返事もそこに入っているはずだ。また手紙を書きたかったらその翌朝までに持ってくるといい」


「はい、ありがとうございます父上」


「うふふふふふ、娘の上目遣いの笑顔、父親冥利に尽きる! 他にも何かしたいことがあれば、なんでも言うんだよ。部屋にいるだけでは時間を持て余すこともあるだろう。日中の授業がないし、こっちにはお前のお気に入りのサンルームもないからなぁ」


 女の子の遊びって何だ、着せ替えとかおままごとか、と天井を見上げながらひとり呟くファラムンド。

 遊戯のことは自分もよくわからないが、したいことと言えば、昨日ひとつ話題に出たものがあったと思い出す。ともにテーブルへ向かいながら訊いてみることにした。


「父上。街でお買い物などできたらと、昨日カステルヘルミ先生と一緒に話していたのですが。こちらでもわたしが外へ出るのは難しいでしょうか?」


「買い物かー……」


 身の安全のためにサーレンバー領へやってきた手前、やはり自分が領主邸から外に出るのはまずいだろうか。リリアーナが素直な要望を口にしたことを後悔しかけたところで、考え込むファラムンドの横からブエナペントゥラが口を挟む。


「今は公演前で、周辺の領や中央からも人が集まっておるからな。いくら護衛を連れていても通りを歩くのはお薦めできん。うちが贔屓にしとる店をのぞくくらいで構わんのなら、乗り心地のよい馬車を出してやるぞ?」


「そうだな、大通りは人でごった返してるし、よそ者が増えてるこの時期は一般の店舗も何があるかわからない。爺さんの言うように、護衛つきの馬車で乗りつける形なら、明日にでも行けるよう手配しよう」


「ありがとうございます、先生にもそうお伝えしておきますね」


 街へ出ること自体が難しいと思っていたから、すんなり要望が通ったのは少し意外だった。トマサへの土産以外は特に購入したい物もないが、カステルヘルミの言うように良い気晴らしにはなるだろう。

 それよりも、後日鑑賞する予定の歌劇が、そこまでの集客力を持っているとは知らなかった。ここへ着く前に通った街で随所に帯剣した兵を見かけたのは、外部からもヒトが集まった街中で問題が起きないよう、治安維持のため駆り出された領兵たちなのだろう。

 イバニェス領の自警団員よりも防具がしっかりしている分、こちらの領兵の姿はやけに物々しく映ったのをよく覚えている。


 車窓から見た光景をリリアーナが思い返す間、一緒に出掛けたいとごねるファラムンドに、予定が詰まっているのだから到底無理だとたしなめるレオカディオ、それなら自分がと名乗りをあげるブエナペントゥラへ父と兄が難癖をつける。

 そんな賑やかな会話を交わしながら、朝食の時間は和やかに過ぎていった。





「わたくしとしてはファラムンド様がご一緒でも……いえ、あの方と同じ馬車の中で過ごすなんてとても無理ですわ、狭い空間で同じ空気を吸っ……ファラムンド様の吐いた空気を吸う……? ああ、いけませんわそんな、わたくしったらはしたない、何て不埒な想像をムヘヘヘヘェ……」


 ぐねぐねと体を蛇のようにくねらせながらうわ言を繰り返すカステルヘルミのことは気にせずに、フェリバに軽く身だしなみを整えてもらう。

 朝食のために往復の移動をしただけだから髪もほとんど乱れておらず、水場を使ってから襟元やリボンを少し直すだけで支度は済んでしまった。部屋を出ると言っても人と会うわけではないし、わざわざ着替える必要はないだろう。


「今日から出歩く際にも護衛がつくことになったから、お前たちは別に同行する必要もないと思うが。どうする?」


「昨日はフェリバさんにお願いしましたので、本日は私がご一緒させて頂こうと思います。邸内とはいえ何があるかわかりませんから、念のため」


「あっ、お嬢様がお出かけになられるなら、わたくしもご一緒いたしますわ!」


 そう申し出るエーヴィとカステルヘルミに、フェリバは部屋での仕事を受け持つと承諾した。本邸に移動するだけなのに過剰な護衛にも思えるが、昨日の今日だから何も言えない。

 肩からかけたポシェットの中には、角を畳んだアルトと便箋を切り取った栞代わりの紙片。出かける準備を整えたエーヴィは厚手のストールを携えている。


 ……いよいよ、ブエナペントゥラが開放してくれたサーレンバー邸の書斎に行ける。

 昨日借りた物語の本はまだ読み終わっていないが、あれは部屋置き用としてゆっくり読み進めることにした。書斎からの自由な借り出しはまだ許可を得ていないし、あまり部屋へ持ち込むとブエナペントゥラのことだ、また「全部イバニェスへ持ち帰っていいぞ」なんて言い出しかねない。

 ひとまず今日は様子見として、書架を一通り眺めてみよう。裕福だと噂に聞くサーレンバー領主家の書斎、どんな蔵書が待ち受けているのか楽しみだ。


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