第206話 イバニェスの報せ③


「次に、……リリアーナ様が先日街へと赴かれた際、立ち寄られた雑貨店が閉じていた件についてご報告です」


「ああ、店主の体調が思わしくないのだったな。まさかあの店で何かあったのか?」


「お年寄りの独り暮らしですし、万が一の事を考えてあのあと様子見のために人をやったのですが。寝込んでいらっしゃるとお聞きしていた店主の女性が、部屋のベッドで衰弱し、意識不明の状態で発見されました」


「な、」


 三年前、人の好さそうな笑みを湛えて丁寧な対応をしてくれた老婆の顔が浮かぶ。体調不良から店を閉じていると聞いてそのまま引き返してしまったが、まさかそんなことになっていたなんて。あの日、あの時に、もっと気にかけていれば……。

 絶句する自分へ、大丈夫だとカミロは手のひらを向けてから話を続ける。


「どうかご安心を。すぐに治療院へ運び込んで治療を続けていたのですが、今朝がた、無事に意識を取り戻したとの知らせが入りました。回復の兆しを見てご報告をと思いましてので、お耳に入れるのが遅くなり申し訳ありません」


「そ、うか。いや、無事なら良い……。そんな状態だったとは。あの老夫人はもうずいぶんな高齢だし、病でも得ていたのか?」


 ほっと肩から力を抜いてそう訊ねても、眼前の男は張りつめた空気を纏ったまま。報告三件のうち一番最後に回したような話だ、何となく嫌な予感がしてレンズ越しの目を見つめ返す。


「当初は、老齢であることから持病なども疑われたのですが。調査のため改めて店主の部屋へお邪魔した際、枕元に置いてあった日記帳から、鮮やかな色の栞が発見されたとの報告が。……例の、花のような模様を捺された栞と同様の物です」


 寝耳に水の情報に二の句が継げないでいると、カミロは再び眼鏡を押さえながら先を続ける。


「目覚められた店主は未だ言葉も覚束ない状態だそうですが、意識ははっきりしていらっしゃるようで。このまま療養を続ければ、ひとまず会話に問題ない所まで回復するだろうとの事。きちんと元気を取り戻されてから、改めて入手元についてのお話をうかがおうと思っております」


「ま、待て。例の栞って、意識不明のまま昏睡するような……そんな危険なものが、あの夫人の部屋にあったと? 図柄は、色や模様はわたしの元にあったものと違うのか?」


「色は柑橘のような鮮やかな黄色、模様も若干異なるようでした。ただいま魔法師の元で鑑定を行っているものの、調査についてはあまり順調とは言えないですね。ヒエルペ領から紙片の販売先を追ってみても、未だに製造元や関係する魔法師は掴めておりません」


 慙愧に耐えないといった様子でそう告げるカミロだが、使える人手が限られる中、エルシオンの捜索に栞の調査にとよくやってくれている。

 栞の現物をもう少し手元で調べることができれば、アルトの探査によって新たな手掛かりが掴めるかもしれない……とは思うものの、貴重な証拠品を渡してくれとは言い難い。しかも前回よりよほど危険な品だ、頼んだところでさわらせてもくれないだろう。


 冷や汗の浮かびかける額を軽く拭い、気持ちを落ち着けて動悸を鎮める。

 自分の手元で見つかった紅色の栞、あれに刻まれた構成は、精神に作用して睡眠中に悪夢へ導くというような効果だ。決して気分の良いものではないが、健康状態に直接害を及ぼすほどのものではなかった。


<栞に刻まれた魔法が、リリアーナ様の元にあったものより強力だったということでしょうか?>


「ん……」


 アルトの言う通り、同じ悪夢へ導く効果でも、より強力なものとなれば昏睡状態へ落とし込むことも可能なのかもしれない。……もしくは、構成の種類が違うかだ。実際にこの眼で確かめないと何とも言えないが、紙の色も、判で捺された模様も異なっているそうだし、こちらのほうが疑わしい。

 やはり自分の元以外にも、あの栞は出回っている。そして、売られた紙片の色が三種あったように、異なる効果の栞が存在するようだ。

 何とか現物を視られないだろうか。栞の構成を調べるには、この手で新たに発見に至れば一番手っ取り早いのだが、……今はそれよりも。


「なぜ、あんな小さな雑貨店の店主が……。何か狙われる心当たりでもあるのだろうか?」


「その辺も調べさせましたが、経営状況も人付き合いもこじんまりとしたもので、他者の恨みを買うような要素がまるで見当たりませんでした。何かあるとすれば雑貨店を営んでいたご主人の取り引き関係ですが、もう亡くなられて何年も経ちますし、今になって彼女の身を狙う理由には見当がつきませんね。……もっとも、人の恨みというのはいつどんな形で買うものか、計り知れないものではありますが」


「そうだな。人柄も善良そうな老婆だったが、彼女のことはほとんど何も知らないに等しい。……恨みを買う覚え、か。その点で言えば、わたしの方も未だにさっぱりなんだが」


「ええ。日頃よりリリアーナ様の振る舞いには何の落ち度もありません。ただ人の悪意というものは、妬みだとか僻みだとか、本人の与り知らぬところで身勝手に抱くものも多くございます。目に見えないものこそ、どうか重々お気をつけを」


 暗く沈む眼差し。声音にだけ憂慮を忍ばせる男は、顔を見返すとすぐに目を伏せてしまった。

 人の悪意、というものにはいまいちピンとこないが、直接向けられる憎しみや怒りとは違って、普段は覆い隠され見えないものなのだろう。どこに潜んでいるのか、いつ噴き出すのか、向けられているほうには全くわからない。

 生前にも散々、他者の感情に鈍いだの何だのと言われてきた自分だ。誰かにそんな面倒な感情を向けられても、きっと直に言われるまで気づくこともできないだろう。


「うーん、……気をつけ方がよくわからないが、なるべく気をつける。何かあったらすぐフェリバやエーヴィに相談するよう留意しておこう」


「ええ、そのようにお願いいたします」


「それと、カミロ、ありがとう」


 礼を告げた途端、眉をわずかに持ち上げて不思議そうにする顔が少しおかしい。笑みを向けているのは別に、その珍しい表情を笑っているつもりはないのだけれど。


「お前が気にして様子見をさせたお陰で、衰弱した店主の発見に至ったのだろう。それがなければ、きっと手遅れになっていた。店主に代わって礼を言おう、彼女の命の恩人だ」


「そこまでリリアーナ様に仰って頂けるようなことは何も……。治療院の尽力のお陰です」


 街へ行ったあの日、閉じた店を前にして、もし気になるなら確認に向かわせると言ったカミロの言葉を自分は一度断ったのに。それでも念のためにと、店主の様子見を手配させた心遣いが嬉しかった。

 気に入った雑貨店の再訪と、久しぶりにあの老いた店主と話ができるのを楽しみにしていた自分を見て、それが叶わなかったことを気にしてくれた。直接何かをしてもらえるのは勿論のこと、そうして気にかけてくれていると実感できるのは、何だかとてもこそばゆい思いがする。


「……本日のご報告は以上となります」


「うん、いずれも放置はできないからな、引き続きよろしく頼む。色々と問題を置いたまま領を離れるのは、父上も後ろ髪引かれる思いだろう」


「サーレンバーへご滞在の間は、早馬でお報せや書類などをお届けする手筈となっておりますのでご安心を。こちらでのお仕事はアダルベルト様が代行されますし、あちらで特別に設けられる会談などもございますから、旦那様には心置きなくお仕事に励んで頂ければと。リリアーナ様が同行されることで、やる気と活力が漲っておられる様ですしね」


 特にファラムンドの仕事を手伝うことも助言することもできないが、娘の自分が一緒にいることで心の慰みになるなら何よりだ。

 イバニェス領からの一時的な避難ということで、父やカミロたちには余計な面倒を負わせてしまった。せめてサーレンバー領主邸での滞在中は、何事もなく平穏に過ごせると良いのだが。


「……そういえば、サーレンバーの令嬢の元にあの栞はなかったという話を以前に聞いたが。あちらではどうやって栞の有無を調べたんだ?」


「申し訳ありません、方法までは確認が取れておりません。サーレンバー公自らが書かれた返信ですし、お孫さんを大層可愛がっておられますから、相当念入りに調べただろうとは思います」


「なるほど、それなら良いのだが。あれから日も経っていることだし、今になって似たような栞が手元に来ていないか、令嬢と話す機会を持てたらそれとなく訊ねてみよう。わたしは一度、現物を見たことがあるから、紙の色が違っても一目で判別がつく」


「あまり気負わずに……と申し上げても、気になさるのでしょうね。そうされることでリリアーナ様の憂いが晴れるのでしたらお止めはしません。こちらも何か判明次第、ご報告できるよう努めさせて頂きます」


 諸々の了承を込めうなずいて見せると、報告は以上としてカミロはすぐに腰を上げた。サーレンバー領への出立の前にと言うよりは、忙しい仕事の隙を見繕ってここまで来てくれたのだろう。

 ファラムンドもしばらく留守にするため、今のうちに処理できるものを片付けようと夕食時も執務室へ籠りきりだし、従者や文官たちはその補佐であまり自室へ帰れないほど慌ただしくしている。

 同じく長兄のアダルベルトも一時的な代行とはいえ、政務の引継ぎを受けるため毎日忙しそうだ。あの日、勉強や仕事を抜けてこのサンルームへ来られたのは、本当にわずかな空きを寄せ集めて時間を作ってくれたのだろう。


 自分ばかりが悠々と過ごしていて、何だか家族たちに申し訳ないような気もする。せめてもう少し年齢が上がれば、執務を手伝うこともできるだろうか。

 幼い身では何もできない。兄たちのように仕事を引き受けることも、領民の暮らしのために知識を利用することも、生前のように何でも魔法と自身の力で解決することも――今はできない。『勇者』の再訪を恐れ、身を隠すしかない己の無力さに歯噛みする。



 礼をして立ち去るカミロの後ろ姿を見送りながら、確かめられなかった「名前」のことを思う。


 コンティエラの街で予想もしなかった『勇者』との遭遇をして以来、ずっと気にかかっていた。

 対面した相手の記憶を奪うなんていう、原理のわからない術を使っているエルシオンだが、あの路地裏で追いつかれ会話をした自分には全く効果がなかった。そのため術の適用には何か条件が……おそらく正面から会う、もしくは何かを見せないと効かないのだろうという予測が立つ。

 顔を合わせなかったせいで自分に効果がなかったのなら、同様に、地面に伏せていたカミロにも効いていないはずだ。あの日から会話をしても何も訊いてこないが、おそらく、カミロは追い着いた男のことを覚えている。


 路地裏でエルシオンと交わした会話は全てカミロにも聞こえていた。聞かれてまずいような話はしていないが、あの男は自分から名乗ったのだ。


『オレの名前はエルシオン、旅の途中でこの街に寄ったんだ。お嬢さんの名前は?』


 ――まさか数十年前に活躍した『勇者』当人だなんて思いはしないだろうが、それでも察しの良いカミロのことだ。あの名前を聞いたこと、キンケードも敵わない圧倒的な力、記憶を奪う不思議な能力、それらを鑑みて『勇者エルシオン』へ結びつけてもおかしくはない。

 一言くらい「何か心当たりは?」と訊かれるんじゃないかとずっと思っていたのに、こうして出立前の最後の機会にも、あの時のことについては何もふれてこなかった。

 先日話したキンケードすらエルシオンの名を出さなかったから、もしかしたらカミロは、あの時に聞いた名前をファラムンドへ報告していないのかもしれない。


 覚えているはず、そして確かに聞こえていたはずなのに。

 偽名だとでも思ったのだろうか。それとも奴が追っていたのはあくまでノーアのほうで、リリアーナは無関係だと判断しているのか。

 気になりはしても、無関係だと思ってくれているならそれでいい、なんていう逃げの思考で、結局自分からたずねることはできなかった。


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