第204話 イバニェスの報せ①


 もう少しゆっくりしていきたいが、と名残惜しげに腰を上げたブエナペントゥラを廊下まで見送ると、扉の外には伴に連れて来たらしい従者と侍女が控えていた。朝食後、仕事に取り掛かるまでのわずかな時間を縫ってわざわざ部屋まで来てくれたのだろう。

 領土が広く商業と加工業が活発だと聞くサーレンバーを治めている領主だ、その執務はファラムンドのように日々多忙なはず。従者に預けていた杖を受け取り、ゆっくりと歩み去る老いた後ろ姿にもう一度礼を向けた。

 声量も大きく体格の良い老人は一見すると元気そうにも見えるが、手などに比べて顔色がひどく黒ずんでいる。日焼けの色とも思えないあれは、おそらく内臓を病んでいるのではないだろうか。

 日々の激務は心労も体力的な負担も大きい。一度は後継へその椅子を譲った身だ、本来であれば楽隠居しているはずだったことを思うと胸が痛む。


「……あの歳で領主を務めるのは荷が重いだろうに」


「まぁなぁ。とはいえ直系の孫娘は執務に携わる気がまるでないし、婿を迎えるにしても数年先だ。親族もろくなのがいないとなりゃ、今はまだあの爺さんが踏ん張るしかないんだろうよ。無理が堪えてんのは、周りも自分もよくわかってるはずなんだがなぁ」


 見送りに廊下の先へ目を向けたまま呟いた声には、斜め後ろからキンケードが応えた。独り言というよりは、元々その姿をみとめて声をかけたようなものだ。


「今日は朝からお前が護衛についていたのだな。父上の指示か?」


「そうだ。帰るまではもう何が何でも安全に過ごさせろってな。こっちとしても目の届かないとこで怪我なんかされちゃ、突っ立ってる意味もねぇんだが。まぁ話を聞く限り、昨日のは不可抗力か?」


「履いている靴と自分の足の強度を考えていなかった、わたしのミスだ」


 部屋には戻らず、そのまま廊下の窓に近づいて外を眺める。

 部屋からの眺望は優美な庭園が広がっていたが、こちら側は屋敷の裏手にあたるのだろう。芝生の先には手入れの行き届いた低木の林が広がり、その向こうに抉られた岩山らしきものがわずかに頭をのぞかせている。

 少し後ろまでついてきたキンケードは隣には並ばず、手を後ろで組み、護衛のていでその場に直立した。


「まぁ、そんくらいのお転婆は許容範囲だろ。ファラムンドの奴も、隣領まで来て部屋に閉じ込めるつもりはないようだから安心しな。明日になれば庭を歩くくらいは自由にできる、オレもついてくがな」


「ああ。不注意でみなを心配させてしまったことは深く反省している。帰るまでは大人しく過ごすつもりだ。ところでキンケード、あそこに見える岩山のようなものは何かわかるか?」


 窓の向こうを指さすと、背後に立っている男はその正体を知っていたようですぐに応えた。


「あー、ありゃ昔の採掘場の名残りだよ、もう粗方採りつくして廃鉱になったそうだが。元々ここは、採掘とその加工に集まった人間が住み着いて出来た街だからな。イバニェスと違って、先に街ができてからその中にこの屋敷が建ったんだ。つっても、うんと昔のことだが」


「ん? その口振りだと、イバニェス領では……領主の屋敷が先にあったのか?」


「オレはそう聞いてるぜ。コンティエラも今よりずっと小さかったそうだが、統治形態が今の感じに移って以降、交易が盛んになって領の中央街として栄えたんだとか何とか」


 その話は初耳だった。確かに人の集まる大きな街が先にあったなら、そこに統治する者の住まいを建てたほうが利便性に勝るだろう。

 イバニェス領主邸がなぜあんなに街から離れているのか不思議ではあったけれど、屋敷のほうが先に造られていたなら仕方ない。コンティエラの街の中にも別邸を構えているし、物資やヒトの行き来以外はそう不便でもない様子だが。

 未だ移築することなく、街からああも距離を取っているのは、やはり安全のためなのだろうか?


「ま、どっちも良し悪しだな。そうそう、今朝は早馬でイバニェスからの手紙が届いてたぜ。主にファラムンドが処理する必要のある書類や報告書の類だが。屋敷のほうはみんな変わりなくやってるってよ」


「そうか。まだ数日しか経っていないのに、もうずいぶんカミロやトマサたちに会ってないような気がする。元気にしているなら何よりだ」


 特にトマサはこの期間だけ、守衛部の一員に加わって護身の訓練などへ参加している。侍女の仕事とはかけ離れた内容だろう、慣れない環境で苦労をしていなければ良いのだが。

 向こうから仕事や手紙が送られてきたということは、その返信ついでにこちらからの便りもイバニェス領へ送れるのだろうか。後でファラムンドに訊いてみよう。

 遠く離れてしまった屋敷のことを想い、それと同時に出発の日のことを思い出した。


「コンティエラの街といえば、出発の日に不審な馬車を見つけたろう。あれはその後どうなったんだ?」


「あぁ、その件の報告書も同梱されたから後で目を通しとく。嬢ちゃんには伝える義理もあるしな」


「まずそうな話だったら、無理にわたしの耳に入れなくても構わないぞ?」


「キナ臭いのは確かだが、口止めされない限りは途中経過でも報告するさ。あれは嬢ちゃんとネズ公のお手柄だ。……なすりつけられた分は受け持っとくけどよ」


 少しばかりの恨みがましさが込められた視線を後頭部に感じる。

 イバニェス領を発つ日に見つけて捕縛した、武器類を山積した不審な馬車。アルトの探査で発見に至ったわけだが、そんなことを周知できるはずもないのでキンケードの勘ということで通したのだった。

 自分の手柄でもないのに褒めそやされるのは居心地が悪かっただろう。その点については悪いことをしたと思っている。


<私はネズミではなく、ボアーグルをかたどったぬいぐるみですぞー!>


「ボアーグル? って、あのデケェ魔獣か? 嘘だろ?」


「これを土産に持ってきたとき、父上はそう言っていた。真偽のほどは定かではないが、おそらくボアーグルの頭部を模したものだろう」


「あー、そうか。まぁファラムンドとポポは昔っから趣味がアレだからなぁ……」


 意外な名前が聞こえたことに振り返ると、男はその理由がわからなかったようで人相の悪い目を瞬かせた。

 ポポはファラムンドとカミロの共通の知人ということは知っていたが、キンケードとも親しいのか。亡くなったサーレンバー前領主といい、この年代の大人たちはどうも交友関係が繋がっているようだ。

 ヒゲのなくなった顎元を撫でたキンケードは、ふと宙に視線をさまよわせてからこちらを見る。


「ところで、これは世間話みたいなモンなんだが。昨日今日と次男坊が外出してるだろ。誰と会ってるとか、嬢ちゃんはなんか聞いてねぇか?」


「レオ兄か? 護衛がついているのだから、行き先ならそちらに訊いたらどうだ?」


「いやまぁ、それもそーなんだが……」


 何やら歯切れ悪くもごもご言うと、後頭部を掻きながら窓の外へ視線を逃す。

 護衛にもファラムンドにも訊けない……いや、そんなはずはない。とすると、どちらも知らないことなのだろうか。


「昨日の朝、下で顔を合わせた時は、サーレンバーの商工会に用があると言っていたな。昼食もそちらでとると。顔繋ぎに精力的なことはクストディア嬢も言及していたし、もしかしたら誰と会っているか知っているかもしれない」


「なるほど。そっか、ありがとよ」


世間話・・・だからあえて追求はしないが、もしレオ兄の身に何か危険が及びそうなら、わたしにも教えろ。可能な限りで構わないから」


「もちろんだ。ホントにちょっとたずねてみただけだから、気にしないでくれ」


 両手を振って何でもないとアピールする素振りは、本人の意思で訊いたわけではないと言外に告げているようにも見えた。

 ――本当に知る手立てがなく、わずかな手掛かりでもあればと情報を求めたのか、それとも、知りたがっているということを、こちらに知らせたかったのか。


「……ふむ、まぁいい。今日は夕食の移動まで部屋で過ごすから、お前たちも楽にしていてくれ。明日か明後日には少し庭に出て試したいことがある、準備の運搬役を兼ねてキンケードにもついてきてもらうぞ」


「もちろんだ。護衛は朝晩の交代制だが、下に部屋をもらってるからよ。時間外でも気にせず、必要があればいつでも呼んでくれ」


 そう言ってにやりと笑う顔は、ヒゲと髪がすっきりしたというのにどうしようもなく悪人面だった。






 部屋へ戻ったあとは、フェリバに新しい香茶と茶菓子を用意してもらい、窓際のソファを楽な姿勢で陣取る。

 さっそく書斎から貸し出された本を読むのだ。どれにしようか迷って、まずは鳥の図鑑を広げてみることにした。どの頁にも色が入り、掲載された絵も実に精細なもの。鳥類についての解説を読むだけでなく、目で楽しむことを趣旨とした本なのだろう。


「よかったですね、リリアーナ様」


「うん、夕刻までどうしようかと思っていたからな。……あぁ、先生はそこでいつも通り・・・・・にしているといい。何かあったら声をかけてくれれば答える」


「ええ、わかっておりますとも。お任せくださいな、最近ちょっと調子が良いんですの。近々お嬢様をアッと驚かせるような、見事な成長をご覧に入れて差し上げますわ!」


 威勢よくそう答えて両手の指をわきわきと動かすカステルヘルミ。何のための準備運動なのかは知れないが、まぁ何事も気合というのは大事だろう。

 いつものように眉間に力を込め、虚空を見つめる。間を置いて、テーブルの上にふわふわと薄い構成の円が浮かび始めた。

 そう力まずとも思い描けるようになれば良いのだが、練習を繰り返せばいつかは慣れる。もうこの段階についての助言はないため、構わず手元の本へ視線を落とす。


 膝の上に置いた重みのある図鑑。まずは索引から開いてみると、名称の音の順ではなく分類順に掲載されているようだ。

 キヴィランタにも様々な鳥類が生息していたけれど、特に捕まえたり撃ち落としたことはなく、間近で見る機会はあまりなかった。翼竜セトの背に乗ったとき渡り鳥を眺めたり、人狼族ワーウルフたちが罠を使って捕まえたのを、捌いて皆に振舞っていたくらいだろうか。


 イバニェスの屋敷では、庭師のアーロンが中庭で小鳥たちにパンくずを撒いているのを何度か見たことがある。背やくちばしが黒く、腹だけが白い名も知らぬ鳥。迎えに来たトマサが、春先に西側から渡ってくるのだと教えてくれた。

 傾向は偏っているらしいが、読書家なトマサは博識だ。物知りなアーロンともに、聖王国側の文化に馴染みが薄い自分へ様々なことを教えてくれる。この図鑑を見せたら、イバニェス領にも生息している鳥を教えてくれるだろうか。

 先ほどキンケードと屋敷の話をしたこともあり、何だかあちらに残してきた者たちのことが急に懐かしく思えてしまう。


「……ああ、フェリバ。今朝イバニェスの屋敷から便りが届いたそうだ。みんな変わりなくやっているとキンケードが言っていた」


「そうなんですかー。わぁ、たった数日なのにずいぶん離れてるような気がしちゃいますね。トマサさん大丈夫かなぁって心配もしたんですけど、何ていうか……侍従長とトマサさんとアダルベルト様がいらっしゃるなら、大抵のことはどうにでもなっちゃうだろうなーって」


「うん、そうだな。むしろこちらで起きたことを知られるのが憂鬱だ」


「「あー……」」


 フェリバとカステルヘルミが、揃って微妙に間延びした声を出した。

 屋敷へ帰る頃には痣もきれいに消えている。それでも、自分が遠く離れた地で怪我をしたと知ったら、あの三人はひどく心配をするに違いない。

 あまり不安にさせたくないという思いはあれど、イバニェスへの返信にこの件を添えるかどうかはファラムンド次第だ。


 フェリバの言う通り、屋敷の方はあの三人に任せておけば執務も日課も滞りなく進むだろう。

 懸念があるとすれば、そろそろ転移で飛ばされたエルシオンがイバニェス領に戻って来る頃合いだということ。聞き込みであの時に追っていた相手が領主の娘であると、果たして勘付くかどうか。

 キンケードはその点を指摘してくれたけれど、容姿をあまり知られていない自分へたどり着くには、手掛かりは少ないはず。

 とはいえ楽観視はもうしないと決めている。このサーレンバーへ身を寄せている間に、どうにか『勇者』への対策を講じなければ――


「リリアーナ様、そんなに消沈なさらなくても、旦那様ならきっとお手紙には上手いこと書いてくださいますよ」


「あぁ、うん……そうだな。あとで父上に、トマサたちへの手紙を託せるか訊いてみるつもりだ。届けてもらえるようなら、こちらの近況などを一緒に書こうか」


「わぁ、いいですね。私、トマサさんにお手紙書くの初めてです!」


 思案が顔に出てしまったらしく、フェリバに気遣われてしまった。

 イバニェス側のことを心配している暇があったら、ここで今の自分にできることをやらなくては。安全に、穏便に、周囲に迷惑はかけずに『勇者』へ対抗するための手立てを。

 自分の身を守ることが、周囲の皆を護ることにも繋がるのだから。


 屋敷の方を心配するよりも、むしろ心配されているのはこちら側だという認識もある。とはいえ、残りの日数は大人しく過ごすのだと決意を固めたばかりだし、警備も厳重。大丈夫。これ以上身の回りでは、何も問題など起きないはずだ。


 ……たしかこの前、街へ行く時にもそんなようなことを考えたなと思い出し、あえて口にするのはやめておいた。


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