第191話 事故の因縁、故意と偶然


 一階の階段ホールでレオカディオたちと別れ、案内役の侍女はそのままに護衛ふたりを引き連れて客室へと向かう。

 渡り廊下を経た二階建ての別棟、滞在中はここを丸々イバニェス家で使って良いとのことだった。

 本邸から独立しているため別棟と呼びこそすれ、足を踏み入れたそこは造りも内装も隙のない立派な屋敷だ。重厚な石造りは本邸と変わらず、磨き抜かれた床も隅々まで清掃が行き届いている。

 この分なら建物の見学は本邸まで出向かずとも十分楽しめるだろう。


 割り当てられた部屋に到着し、フェリバが案内の侍女から備品などの説明を受けている間、窓際の隅に寄ってキンケードを呼んだ。ちょうど窓からは庭園が見えるため、眺望を楽しみながら警備の段取りでも聞いていることにすれば不自然ではないだろう。


「お前もご苦労だな、キンケード。ここに滞在中はずっとそうして肩肘張っているつもりか?」


「そっくりそのままお返しするぜ。嬢ちゃんこそ、四六時中あんな話し方してたら疲れてしょーがねぇだろ」


 気安く話しかければ、キンケードはいつも通りの砕けた口調でそう応えた。慣れた応酬にどこかほっとして、窓の外へ視線を向けたままチェストの側面に寄りかかる。

 見ず知らずの場所で、初対面の相手との挨拶が続き、自分でも思っていた以上に疲弊していたようだ。


「父上のほうには守衛部がついているとのことだが、お前はこっちにきて本当に良かったのか?」


「ああ。そもそもファラムンドの指示だし、あんだけ雁首揃ってる場でちょっかい出すようなバカはさすがにいねぇだろ。万が一何かあるとしたら、女ばかりになる嬢ちゃん側のほうがよっぽど危ねぇってことだ」


「警備は厳重なようだし、そうそう危ないことなどないと思うが……。まぁいい、それよりもサーレンバー公の親戚が訪ねてきたという話だが、お前はその場で見ていたのか?」


 斜め後ろに立つ大男へ顔を向けると、背中で両手を組み、足を肩幅に広げた格好で直立していた。

 誰に見られても問題ないよう護衛らしく徹しているのだろうが、装いだけでなく背筋までぴしりとしているとまるで別人のようだ。何かにつけだらしなさを指摘し眉をつりあげているトマサがこれを見たら、さぞかし驚くことだろう。


「あれなぁ、突然ずかずかと先客のいる部屋に入ってこようとしたんだ、無礼っぷりにオレが驚くなんて大したもんだぜ実際。親戚とは言うが、みんな爺さまの弟のほうの血縁だな。娘夫婦とその息子、息子夫婦とそこの双子、あとなんか腰の曲がった年寄りがいたっけか。ガキ三人はみんな嬢ちゃんとか次男くらいの歳だ」


「それはまた、大勢で来たものだな。その、ブエナペントゥラ伯の弟というのはいなかったのか?」


「もうとっくの昔に墓の下だ。ここの爺さまの子どもは、ずっと前に事故死した領主のクラウデオしかいなかったんでな。あいつが死んだ時、次の領主はどうするかと無駄に騒いで揉めたような、ロクでもねぇ連中だよ。ファラムンドも到着早々ご苦労なこった」


「亡くなった領主は父上と親しかったと聞いていたが、お前も懇意にしていたんだな」


「まぁ、立場が違うんで仲良しって程でもねぇけど。双方の領を行き来する時には、ファラムンドのおまけでオレとカミロも大抵顔を合わせてたか。貴公位のお偉いさんだってのに威張ることのない大人しい奴で、いつも一歩引いて相手を立てるような、出来た男だったよ」


「そうか……」


 静かな声音でそう語るキンケードは、失くした知人を思い出しているのだろうか。普段の張りのある声とは違って、訥々と語られるその言葉は耳に浸みるようだった。


「嫁さんのほうも似合いの物静かな人でな、こんなこと言ってもどーにもならんが、世の中にはもっとロクでもない人間なんかいくらでもいるのに、あんな良い奴らが一度にまとめて死んじまうなんてな……。本当に残念だった。残された一人娘のことは、ファラムンドたちもずっと気にしてたんだ」


「うん……、さっき会ってきた」


 気だるげな様子でソファに凭れていたクストディア。まだ幼いうちに両親を同時に亡くしたという、その心の内の空虚には想像も届かない。八年前の出来事だと聞いているから、まだ彼女が五歳の時。

 ……ファラムンドが狙われた、あの領道の崩落があった時の自分と同じ年齢だ。


「嬢ちゃんは、クラウデオの……ここの前の領主夫妻が事故死した時のことは、誰かから聞いているか?」


「いや、カミロからは不幸な事故で夫妻ともに亡くなったとしか。詳しいことは何も知らないが……何かあるのか?」


 そう訊ねると、キンケードとその後ろにいる自警団の若者がともに眉間を寄せて表情を険しくする。

 話を切り出した時点で、それを打ち明けることはもう決めていたのだろう。男は情報の開示に迷うことなく口を開いた。


「八年前、クラウデオたちは夫婦揃ってイバニェス領に顔出してたんだが、娘の五歳記の誕生日が近いってんで数日も滞在せずにすぐ引き返したんだ。もうプレゼントは用意してあるし、帰り着いた翌日には、聖堂での祈祷前に家族だけのパーティを開くんだって言ってな」


「……まさか、その、時に?」


「ああ。サーレンバー領への帰り、あの領道を通っている最中に、落石事故に遭って馬車ごと崖下に落ちた」


「――っ!」


 言葉を失い、息を飲んだ。


 サーレンバーとイバニェスを繋ぐ領道で、娘の五歳記付近に馬車に乗っていた領主が落石事故に遭う。


 ――偶然の一致にしては出来すぎてはいないか?

 本当に、たまたま運悪くそうした事故があったならともかく、ファラムンドの件はその命を狙って人為的に起こされた崩落だ。そこまでの一致を「偶然」で片づけることは難しい。

 当然キンケードもそのことはわかっているのだろう。ひとまずその疑問は隅に置けと目で語り、話の先を続ける。


「嬢ちゃんが産まれるちょっと前のことだ。領内のゴタゴタがようやく落ち着いてきて、こっちも客を迎えられる状況になったばかりでよ。すぐに別件でファラムンドが動けなくなったから、事故から一年もサーレンバーに来ることができなくてな……。仕方ねぇとはいえ寂しい想いをさせた娘には、引け目も感じてるんだろうよ」


「そんなことがあったとは……。どういう状況で亡くなったのかまでは、気にしたことがなかった。だが、この件はわたしに話しても良かったのか?」


「いいんじゃねぇか? 口止めされてねぇことは、嬢ちゃんに言ってもいいっていうオレルールだ」


「ふ……、まぁ、そういうことにしておこう。カミロからサーレンバー領主夫妻の件を聞いたのは、ちょっと体調の思わしくない頃だった。きっとわたしを気遣ってくれたのだろう。どうしたって三年前の事故・・と結びつけて考えてしまうからな」


 口にした言葉のどこに反応したのか、キンケードの後ろにいた青年が身じろぐ気配がして、そちらへ目を向ける。こちらを見返す顔には緊張が浮かび、何か言いたいことでもあるようで口元が落ち着かない。

 初対面という雰囲気ではないのが不思議だった。見覚えはないけれど、以前にどこかで顔を合わせたことがあっただろうか。


「ああ、コイツな。今回の護衛任務が決まってからずっと、ひと言お前さんに礼を言いたいってんで、ついでに連れてきた。テオドゥロだ、覚えてるか?」


 その台詞からしてやはり自分と面識があるようだが、青年の顔をまじまじと見ても記憶に合致するものがない。それでも、キンケードが口にするその名前の響きは、どこかで聞き覚えがあるような気もする。


<……あっ、三年前の領道の崩落現場で、馬車と死んだ馬の間に挟まってた若者ですね。自警団員では唯一の生存者だったかと>


「ああ! あの時の、そうかお前が……。あんな目に遭ったのに、また護衛についてくれたんだな」


「は、はい! リリアーナ様が、馬車の陰に倒れている俺を発見してくれたと、副長から聞いております。発見がもう少し遅かったら危なかったと……。本当に、ありがとうございました!」


 正しくはアルトが探知したのを大人たちへ教えただけなのだが、それをここで言っても仕方ないだろう。

 ちらりと見上げるキンケードは緩く笑うのみで、口を挟むつもりはないらしい。ひとまず大きな誤解はなく、感謝を向けられているなら素直にそれに応えるべきだと判断した。


「もう体は大丈夫なのか?」


「はい、元々頑丈なだけが取り柄みたいなもんで。亡くなった先輩や里に帰った同僚の分まで、これからもしっかり務めさせてもらいたいと思います!」


 テオドゥロはそう言って敬礼をすると、そそくさとキンケードの陰に隠れてしまう。本当にひと言、ただ礼を言いたかっただけなようだ。

 ちょうどそこで奥の部屋に消えていたフェリバと案内の侍女が戻ってきた。もう室内の説明はあらかた終わったのだろう。

 頃合いと見て、キンケードたちも踵を返す。

 テオドゥロが退室前に侍女たちへ挨拶をして、それに続こうとするキンケード。都合よくふたりの距離が開いたところでその腕にふれて、背を向けた姿勢のまま引き止めた。


「キンケード、あとひとつだけ確かめておきたい。八年前の落石事故というのは……本当に、事故・・だったのか?」


「領道つってもサーレンバー側で、ウチに捜査権限がなかったからな。一応共同で調べてみても、当時は何も不審な痕跡は出てこなかった。さすがに領主を喪うような事件だから生半可な捜査はしてねぇよ。それでも、もし……」


 小声の問いに、首だけで振り向いたキンケードは明確な否定も肯定もしなかった。

 その代わり、ひそめた声に似合わぬ炎をその目に灯してこちらを見下ろす。

 続く言葉に表出しない憤怒を込めながら。


「もしも本当に、あれが事故じゃなく、誰かが狙ってやったってんなら。必ず落とし前はつけさせるぜ、何年かかろうともな」


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