第190話 大人向け


 レオカディオと並んで元来た廊下を歩いていると、真っ直ぐ伸びた通路の先、侍女たちを待たせている辺りの人数が妙に増えていた。

 遮蔽物がないため、リリアーナとレオカディオの帰還に気づいたフェリバが大きく手を振っているのが見えるが、その後ろに立っている大柄な男は――


「キンケード?」


「下で何かあったみたいだね、うちの従者も来てるし。面倒ごとかな、やだなぁ、この後は部屋でゆっくりしようと思ってたのに」


 そうぼやきながらもいくらか足を速める次兄に続き、譲られた冊子を胸に抱えたままリリアーナは早歩きで侍女たちの元まで戻った。

 長椅子の置かれた空間にはフェリバとカステルヘルミ、案内役の侍女とレオカディオのお付きの侍女、それにキンケードと若い自警団員、ファラムンドの従者を務める文官の男が立ったままこちらを見ている。自分たちふたりが戻るのをここで待っていたようだ。

 レオカディオが一歩前に出ると、イバニェス家の従者が恭しく礼を向ける。


「で、何かあったの?」


「はい。旦那様からご伝言を仰せつかっております。この後に予定されておりました晩餐会なのですが、急遽予定を変更することになりまして。リリアーナ様には魔法師の先生と共に、お部屋のほうでお食事をとって頂くようにと」


「え?」


 その言伝にカステルヘルミを見れば、何も言わないまま唇を引き結んでいた。硬い表情に疑問は見られないから、もうすでに事情などは聞いているようだ。


「リリアーナは……ってことは、僕は晩餐会に出席なんだね?」


「はい。先ほど、サーレンバー公の親類の方々が急な来訪をされまして、イバニェス領主とそのご子息にどうしてもご挨拶をと仰っておいでです」


「ふぅん、カビは放っておくと広がるもんだよねぇ」


 朗らかな笑顔のまま鼻で嗤うレオカディオにも、文官は表情を変えない。ずっとカミロやエーヴィを見てきているから、仕事のできる者は表情筋の操作も卓越しているのだろうということは何となく理解している。

 ひとまずサーレンバー領主の親戚筋が押し寄せて、ファラムンドたちとの会食を望んでいることはわかった。まだ十歳記も終えていない自分が公式な場から省かれるのも仕方ない。

 だが、それだけならなぜここにキンケードたち自警団員まで来ているのだろう。

 視線を向けたことでこちらの疑問を理解したのだろう、厳しい外向きの顔のままキンケードは鋭角に敬礼の形を取った。


「自分たちはお嬢様の警護を申し付かりました。お部屋の外で警備に当たりますので、どうぞお気になさりませんよう。……旦那様には守衛部の者がついております、そちらもご安心ください」


「……。そ、うですか、わかりました。よろしくお願いします」


 かしこまった言葉遣いに噴きそうになったのを、腹筋と顔面に力を込めて何とか堪える。口の端を引きつらせる、その凶悪な顔を見ているだけでおかしさがこみ上げるが、本人は真面目に職務に取り組んでいるのだから笑うのも失礼だろう。

 危ないので視線を隣のレオカディオに移し、見慣れた顔で気を落ち着かせる。


「休憩する時間もありませんね、兄上」


「そうだねー、熱烈な歓迎は嬉しいけど、さすがに到着したその日のうちとは思ってなかった。……父上は僕の合流をいつって言ってた? 晩餐の席、それとも今すぐ?」


「その判断はレオカディオ様へお任せするとのことです」


「それじゃあ今から行くよ。元々ここには顔繋ぎに来たようなものだし、あっちから出向いてくれるなら手間が省ける」


 文官にそう返事をすると、こちらを向いたレオカディオは手を伸ばして肩を軽く叩いてきた。


「そんな顔しないでよ、リリアーナだけ邪魔者扱いしてるわけじゃないって。前にも言ったろ、父上は過保護なんだ、礼儀も弁えない連中に見せるのはもったいないって思ってるだけ」


 そんな顔とはどんな顔だろう、表情を変えたつもりはないのだが。とりあえずサーレンバー側の目もあることだし、まだ令嬢らしい微笑を作っておくべきだろう。

 きちんと笑みを浮かべていれば、兄の言うことを素直に聞く殊勝な娘にも見えるはずだ。


「リリアーナも知らない大人に囲まれてつまんない話をしながら食事をするより、部屋でゆっくり食べたほうがおいしいでしょ。面倒なのは僕たちに任せて、のんびり読書でもしてなよ」


「それは……はい、お部屋で、大人しくしております」


「それ、クストディアに貰ったやつ……劇の脚本だっけ、面白いのかどうかは知らないけど。えーと、『燃ゆる月の慕情』?」


「「ゴフェッ」」


 こちらの手元を覗き込んだレオカディオが表装のタイトルを読み上げると、サーレンバー側の侍女とカステルヘルミが揃って咳き込んだ。これまで寸分も表情を変えなかったファラムンドの従者までもが、左右非対称の変な顔をしている。


「……何? これ、有名な作品なの?」


「ちょっと、お待ちくださささ、ごほっ、あの、そ、それをお嬢様が読まれますの?」


「ええ、クストディア様から譲って頂いたので、後で目を通そうと思います。この作品をご存知なのですか、カステルヘルミ先生?」


 譲り受けた脚本を読むことに何か問題があるのかと首をかしげれば、妙な顔をしていた大人たちは一斉に口を閉ざして沈黙した。不自然に視線だけ交わしている様子を見るに、何かしら共通して思うところがあるようだ。

 そちらに気を取られて注意の緩んだリリアーナの手元から、レオカディオが冊子を抜き取る。そして隣でぱらぱらと捲り、中程のあたりをしばらく読んでから両手でぱたりと閉じた。


「……うん。これは、リリアーナにはまだちょっと早いね」


「えっ」


「クストディアの嫌がらせだよ。こんなの読ませたと父上が知ったら卒倒しかねないから、この脚本は没収ね」


「え……っ!」


 とっさに伸ばした手は素早く避けられ、宙を掠める。反対の腕を伸ばすと、手の届かない高さまで持ち上げられた。次兄とは身長差が日ごと開いていくばかりだ、これでは背伸びをしても届かない。


「ソラ、どっかに隠しといて」


「どこかにと申されましても……、かしこまりました。リリアーナ様には大変申し訳ありませんが、こちらはお預かりいたします。旦那様のご許可が下りましたら、改めてお部屋までお持ちいたします」


「無理だと思うけどなー」


「待て、いえ、待ってください、その脚本の何がいけないのですか? せっかくクストディア様から譲って頂いたのに、勝手に没収というのはあんまりでは?」


 レオカディオから冊子を受け取った文官、ソラと呼ばれた細目の男に苦情を申し立てながら手を伸ばすと、素早く背後に隠された。追おうとすれば、その両脇にフェリバとカステルヘルミが立ち塞がりブロックする。まさかの裏切りに愕然として顔を見上げると、ふたり揃って何やら難しい表情をしていた。


「いえ、私もせっかくリリアーナ様がお喜びになってるのに、おもちゃを取り上げるみたいなことはしたくないんですけど……」


「良心の呵責に耐えながらも、子どものためを思って行動するのが大人の義務ですわ。お嬢様、この劇は少々、大人向けの内容ですの。脚本だけとはいえ、まだお嬢様のご年齢で嗜まれるのは早すぎます」


「大人向け? 政策に関わるテーマ……それとも残虐な場面が多いとか?」


「……」


 再び黙る大人たち。

 そう大して年齢の変わらないレオカディオやクストディアは良くて、自分には見せられないとは一体どういうことだ。そんな不服を視線に込めて次兄を見ると、わざとらしく肩を竦めるだけで何も言わない。

 フェリバもカステルヘルミも気まずげな顔をしているし、キンケードはずっと仕事中の顔を取り繕ったまま。少し目を離した隙にどこへ隠したのか、ソラはもう冊子を持っていなかった。

 そんな中、ここまで案内をしてきたサーレンバー側の侍女が遠慮がちに声をかけてくる。


「その……、お嬢様、大変申し上げにくいのですが、『燃ゆる月の慕情』は男女の情愛を描いた古典的な作品です。お読みになられてもまだ難しくてよくわからないかと思われますので、せっかくでしたらもっと楽しんで頂けるものをお読み頂きたいと、皆さまそう考えておられるのではないでしょうか?」


「内容の理解に年齢が重要だと」


「え、ええ、そうですね、人生経験とか色々……」


「わかりました。我が儘を言って申し訳ありません、せっかくクストディア様から頂いた品なので、手放しがたかっただけなのです。残念ですが、父上の許可が下りるまでは我慢をします」


 リリアーナが物分かりよくそう言うと、妙な緊張を漂わせていた大人たちは揃って息をついた。

 読ませてもらえない理由については未だ納得いっていないが、ここで侍女たちを困らせたいわけではない。文官のソラも、ファラムンドの許可が下りればと言っていることだし、後で父に直談判してみよう。

 侍女の言う「まだ難しくてわからない」なんていうあやふやな判断基準、中身の年齢が外見以上な自分には適用されないはずだ。

 古典だろうが男女の情愛だろうが、せっかく手にした本を読まずに手放すなんて以ての外。未だ手をつけたことのないジャンルでも自分なら大丈夫、きちんと話せばファラムンドならきっとわかってくれるに違いない。


「古典、情愛……。兄上、情愛とはどんなものを指しているのですか?」


「あはははは。それ、明日の朝にでも父上に訊いてみるといいよ」


「レオカディオ様、お戯れを。旦那様が丸一日、お仕事が手につかなくなってしまわれます」


 いつまでも不機嫌顔をしていても仕方ない。表情をまた外向きに作って、ちゃんと笑顔も浮かべておく。

 譲り受けた脚本はひとまずファラムンドの預かりとして、明日の自由時間に改めてクストディアの部屋を訪ねてみよう。他にもたくさんの脚本や書籍を所蔵している様子だったし、もしかしたら閲覧の許可を取りつけられるかもしれない。

 今日は挨拶のみだから、部屋の中に溢れかえる物品や、黒鎧について気になっても訊ねることができなかった。雑談ついでにそれらにふれてみたいと思うし、それともうひとつ、サーレンバー領に来たら一度確かめておきたいこともあった。

 下げたままのポシェットをそっと撫でる。旅行中、何があっても人前では絶対に動かないようにと厳命しているアルトは、それを察しても角ひとつ揺らさず静止を保つ。その探査能力が頼りである以上、ぬいぐるみアルトを持ち歩いていることを不審に思われるわけにはいかないのだ。


 以前、カミロからの報告で安全が確認されたとは聞いているし、それを疑うわけではない。とはいえ小さな紙片一枚、もしかしたらどこか意外な場所に紛れているという可能性だって有り得る。

 ヒトの精神に作用し、悪夢をもたらす『栞』。未だ許しがたい、酷い夢を見せつけられた元凶。

 作用範囲は狭いようだから、寝台の近くに置かなければ効果は発揮しないと思われる。本当に手元にないのならそれが一番だし、もしどこかにしまわれているようなら、万が一にも夢見へ影響する前に回収をしなくては。

 八年前に両親を失った令嬢は、きっと自分などよりもっと悲惨な夢を見せられるに違いない。

 アルトがいれば、本を一冊ずつ開いて確かめることなく探査することができる。この機会にサーレンバー令嬢クストディアの周辺を探って、あの構成が刻まれた栞が本当に届いていないか、きちんと捜索してみるつもりだった。


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