第179話 サンルームお茶会-長兄②
風味の強いお茶を飲み、一息ついたところでフェリバが切り分けた青林檎のパイを運んでくる。
コンティエラの青果商から購入した青い林檎は、あの後アマダがシロップ漬けにしてくれた。元の酸味が強くこのまま漬けてもあまり甘くはならないと聞き、それならばと甘いものが得意ではないアダルベルトでも食べられるように頼んでできたのがこれだ。
昼食前のためカットは小さいけれど、焼いた生地と果実の甘酸っぱい香りが漂う。見た目は以前食べたことのある、普通の林檎のパイとそう変わらないようだ。
お茶と同じく、自分が先にカトラリーを手にして一口大に切り分けたものを口へ運ぶ。
「……! なるほど、こうなるのか。兄上も食べてみてくれ、きっと口に合うと思う」
「これは林檎のパイか?」
慣れた手つきで切り分けたアダルベルトは、大きめの欠片を一口で食べた。ゆっくり咀嚼し、飲み込み、お茶を含んで息をつく。
「……うん、うまいな。甘みはあるが林檎の酸味と歯応えの良さがそれを気にさせない。主張の強いこの香茶ともなぜか合う」
「先日行ったコンティエラの街で、青林檎をいくつか買ってきたんだ。普段は酒にする品種らしいが、アマダに渡して菓子を焼いてもらった」
「この時期に青林檎?」
「ええと、屋台売りの廉価品らしい。あの店ではカミロから銀貨を受け取って自分で買い物をしたのだが、買う側が品物を見るだけでなく、店の方も客を見て売っているのだということを教えられた」
貨幣という、一定の価値が保証されたものを用いて買い物をするのは楽しかった。価値観の異なる種族、双方の同意でもって物々交換をするのが主流だったキヴィランタとは違う。物の価値に数字がついているのだ。
もっと色々な物品を買って相場……適正価格も学んでみたいと思っているが、次の機会はいつになることか。
金銭を稼ぐ手立てを思案するにも、商いについてはまだまだ知らないことが多い。それに引き換え、あまり外出はできないというリステンノーアは、なぜか自分よりも余程市井に慣れている様子だった。
あの日、あの白い少年から教えられたことは数多い。博識な彼とはまたいつか会って話をしてみたいものだが、あのあと無事に部屋まで帰りつくことができたのだろうか。ちゃんと食事を摂って元気にしているだろうか。
買ってきた青林檎のパイを食べながら、しばし、初めてできた同年代の友人のことを思う。
「コンティエラの街へ遊びに行くのは久しぶりだったろう、その様子ではずいぶん楽しかったようだな」
「うん、とても楽しかったし、色々と勉強になった。実際に自分の目で見てその場の空気にふれることは、人づてに学ぶのとはまた違う新たな発見も多い。あの日、見聞きしたもの全てが良い経験だったと思う」
「リリアーナは真面目だな、まるで勉強のために街へ出たみたいなことを言う。いや、実際にそのつもりだったのかもしれないけれど」
「まぁ、自分の楽しみと用事、半々といったところか。確かに知見を広める為という目的が大部分を占めていたかもしれないが、街への再訪を望んだのは購入したい物があったからなんだ」
「林檎といい、リリアーナは街で買い物がしたかったのか?」
そう不思議そうに瞬くのは、やはり商人を屋敷へ呼び寄せて注文するのが当たり前だという認識のためだろうか。
リリアーナ自身、普段着ている服などはそうやって注文されたものだし、物品の購入にまつわる金銭のやり取り以外に、入用な品を届ける馬車便にも雇用が発生していることはバレンティン夫人から聞かされている。
実際のところ、しばらく街へ行くことができなくなった以上は何か欲しい物があればカミロに頼むか、夫人の言う通り屋敷まで商人らを呼び寄せるしかないわけだが。
書状でのアポイントを経て、そうした商人のひとりが屋敷へ訪ねてきたのは一昨日のことだ。注文していた品が仕上がったとのことで、店主のイグナシオが自ら依頼品を届けに来た。
結局加工代にいくらかかったのかは聞けていない。あの店と職人のラロには今後も世話になるだろうから、そのうち時間を作って話をしたいと思っている。
隣のソファへ手を伸ばし、レース編みの道具を入れてある籠からビロード張りの小箱を取り出す。
片手に乗るほどの小さなものだが、開閉の仕組みもしっかりしており、内側には光沢のある布が張ってあるなかなか立派な箱だ。注文品と一緒に届けられたものだから、宝飾品はいつもこういう箱に入れて譲渡されるのかもしれない。
箱の端を両手で持って、向かいのアダルベルトへ手渡した。
「祝いの言葉は当日まで温存しておくが、これはちょっと事情があって早めに渡しておきたい。兄上への、誕生日プレゼントだ」
「え? ……あ、俺にか。ありがとう、開けてみても?」
もちろんと言ってうなずくと、手に取った小箱を開封したままアダルベルトの動きが止まる。小さく息を飲み、藍色の目がわずかに見開かれる。
「これは……リリアーナが用意したのか?」
「ああ。手元にその石があったから、バレンティン夫人に紹介してもらった店へ持ち込んで、タイリングに仕立ててもらったんだ」
深い青色の石はこうして見比べればアダルベルトの瞳の色にも似ている。が、何となくこそばゆくてそれを言葉にすることはできなかった。
中央に星を宿す、深海の石。賛美の言葉は得意でなくとも、髪も目も落ち着いた色合いの兄に似合うことだけは確かだ。
「手元にって……俺は宝石に詳しくないが、これは相当高価なものだろう?」
すでに店でイグナシオたちの驚き様を見ているため、アダルベルトの困惑ぶりも理解できる。しかし石の出元について詳細に語るわけにはいかない。
仕上がった品を受け取った時、同席したカミロが「もしアダルベルト様が石の出所について疑問を持たれるようでしたら、私の名前を出して下さればご納得頂けるでしょう」と言っていたから、ここはその通りにさせてもらおう。
「入手元は秘密なんだ。とはいえ決して怪しい品ではない、依頼と受け取りをした席にはカミロもいたから安心してほしい」
「いや、リリアーナを変に疑うわけじゃないよ。カミロが一緒なら大丈夫だろうし……、……ああ、そうか、なるほど、そういうことか……。わかった、宝石については深くは追求しない」
アダルベルトは一度言葉を切り、何かを納得したように目を細めてしばしタイリングを見つめ、顔を上げてサンルームの中を見回した。
庭に面する大きなガラス窓、曇り空を映す天窓に、薪の詰まれた暖炉。壁には湖畔を描いた大きな絵が掛けられており、隣のシンプルな白いチェストには花を生けた花瓶が置いてある。それらに視線を巡らせてから、ソファの肘掛けをそっと撫でる。
その表情があまりに柔らかいため、目の当たりにしたまま言葉を失う。長兄のこんな顔は今まで見たことがない。
「……だから、この部屋でこれを渡してくれたのか。ありがとう、リリアーナ」
「え?」
「いや、いいんだ。わかってる」
「そ、そうか? うん、それで、その青い石には護……お守りみたいな効果が、あってな。ええと、耐性が……体が丈夫に、というか、毒……悪いものを食べても腹を壊さないとか何か、そういう効果が付与されているんだ。だから、できれば外出する際などに身に着けるようにしてもらえたらと」
ただでさえ出所の怪しい石に、守護の構成が刻んであるなんて言っても不審さが増すだけだ。そう思って魔法の効果については省いてみたのだが、何とも要領を得ない解説になってしまう。とにかく、守護の効果があるからなるべく身に着けていて欲しい、ということさえ伝われば。
そんなリリアーナの拙い説明をどう思ったのか、アダルベルトは口元を綻ばせて小さく微笑んだ。
「ああ、会食の予定がある時などは必ず着けさせてもらうよ。これなら盛装にも映えるだろうし、意匠がシンプルだから普段使いもできそうだ。リリアーナはセンスが良いな」
「ん……実を言うと、どんなものが似合うかわからなくて、カミロに助言をもらったんだ」
「それでも最終的にこれを選んだのはリリアーナだろう。嬉しいよ、大事にする」
真摯なその声に何だか顔を上げていられず、口元がむずむずするのをごまかすようにティーカップを傾けた。
いつも世話になっている長兄へ贈り物をして喜んでもらいたかったのに、これでは自分のほうが余程喜んでいるみたいだ。
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