第172話 間章・まじめ魔王さまは本を読みたい④


 最寄りの川に支流を作り、底を固めて作った灌漑用水路は、城から少し歩いた東側を流れている。

 いずれこの辺りを耕作地として開拓したら、さらにここから細かな支流を造ったり水門をつけたりすることになるだろう。

 城の裏手に設置した転送陣による貯水池とは違い、テルバハルム山脈から遥々地表を流れてくる川の水だ。気候などによっては水量が大きく増減する可能性もあるため、そのうち堤防などの治水工事も必要になるかもしれない。

 デスタリオラが歩みを進める足元、水路の脇には早くも雑草がちらほらと芽を出していた。土地が水を吸い続ければ、数十年後にはこのあたりもきっと緑が生い茂るはずだ。

 魔法を利用した生活用水と、物理的な施工による農業用水の確保が叶った。何らかのトラブルでどちらかが潰れたとしても、片方が生きていれば当面は何とかなる。

 住まいと食料と水。城に集まった臣下たちの生活基盤が整いつつある手応えを感じながら、デスタリオラは携えた杖をつき水路沿いをのんびり歩く。

 ここしばらく地下に籠もりきりだったため、視察ついでの散歩のようなものだ。


「……というわけで、まず我の衣服から新調することになってな」


 塔の自室に置いていたアルトバンデゥスには、おそらく階下で交わされていた会話など筒抜けだったろう。そうは思いながらも一通り、事の顛末などを話して聞かせる。

 いつも携行しているからたまには休ませてやろうと思ったのに、部屋へ取りに戻ると念話の声はどこか気落ちした様子で、<対応:お帰りをお待ちしておりました>なんて無機質な声をかけてきた。

 思考そのものが存在理由のような杖は、もしかしたら殺風景な部屋に放っておかれるのがつまらなかったのかもしれない。今度からはウーゼたちに、部屋で話し相手になってやってくれと声をかけてから地下書庫へ向かうことにしよう。


<賛同:まず頂点に君臨するデスタリオラ様の身なりから整えるのは当然の流れかと。化蜘蛛アラクネルの糸で織られた布は数百年劣化しない逸品と言われておりますから、あとは腕の良い仕立て屋に任せることが叶えば、『魔王』にふさわしい立派な装束が出来上がることでしょう>


 言外に今の格好は『魔王』にふさわしくないと言われているようで、何とも返答に困る。

 アルトバンデゥス自身に貶めるつもりはなくとも、こうした言葉が自然と出るからには、やはりそれに近い認識なのだろう。現に夜御前やウーゼたちからも、今の服装に対する評価は芳しくなかった。

 デスタリオラはそれまで眺めていた水路から、自身の身に纏っているものへと視線を移す。

 長く着用したままでいた黒いローブとマントは端々がほつれ、擦り切れている。代謝がないため皮脂などで汚れることはなくとも、風雨に晒され砂埃を受けるうちに、布地自体がだいぶ痛んできたようだ。

 体躯があまり大きくないためか、初めて出会う者たちからあまりに見縊られるのを何とかしようと収蔵空間インベントリから引き出した肩鎧も、皆から遠まわしに似合ってないと言われては反論も出ない。


(両側に竜種の爪があしらわれていて、それ以外は無駄もなくシンプルで、ちょっと格好良いと思うのだがなぁ……)


 このままでは他の装備品を引き出してみたところで、彼女らに渋い顔をされるのが目に見えている。

 元々外見にはあまり頓着しないたちだから、下手に手出しをするよりは服も装備も全て任せてしまったほうが良さそうだ。何か必要な素材があれば適宜、収蔵空間インベントリから出せば良いだろう。

 仕立てに関しては、夜御前が縫製の得意な地人族ホービンに渡りをつけてくれるらしい。細々した道具の製作や調度品を任せられるような、手先の器用な種族も臣下に欲しいと思っていた所だからちょうど良かった。


 枝分かれした水路の先、水量の調整用に掘った溜池の端に小さな水飛沫が上る。

 わずかな波紋からぬらりと姿を現す四つ足の白い体。這うように水辺から上がり、長い尻尾を水中から抜いて後ろ脚で立ち上がったのは魔王城の古参、白蜥蜴だった。

 金色に光る瞳以外、体に色素を持たない彼は遠目でも目立つ。おそらく蜥蜴族リザードルの変異種だと思われるが、未だに個体名も種族もわからないまま。そのため呼び名も適当に「白蜥蜴」と呼んでいるが、当人はそれで構わないらしい。


「水浴びをしていたのか」


 近づいて声をかけると、もの言わぬトカゲは首をわずかに上下させ、体を震わせて水気を飛ばす。

 この白蜥蜴と小鬼族の兄妹は、初めて城に着いた頃から『魔王』である自分を恐れずに接してくれた、いわば最初の臣下だ。

 会話による意思疎通はできずとも、今でもこうして物怖じせず、変にかしこまることもなく普通に応じてくれるのは、こちらとしても気が楽でいい。


「こっちの水路は川の水を引いているから、魚も流れてくるそうだな。お前の食糧はそれで不足ないか?」


 水路を掘ってからいつもこの辺で姿を見かける白蜥蜴は、どうやら川魚を主食としているらしい。食糧調達に問題はないかと問えば、再び首を縦に振る。

 それからわずかに逡巡する様子を見せ、こちらの目をじっと見る。口を開きながらゆっくりと右手を上げ、次いで左手も持ち上げて、しばらくそのままの格好でいると、不意にそれらを下ろして口も閉じた。


「……?」


 何か、訴えたいことがあるらしい。全く意図が汲めず、通訳を求めて携えているアルトバンデゥスの宝玉へ目を向ける。


<意訳:獲った川魚を小鬼族の子らにあげてみたが、どうやら泥臭くて食べられないようだ。臭みを抜いたり焼いたりと何か手立てがあれば、彼らにも食べられるだろう。……と言いたい様ですね>


「な……るほど?」


 うなずいてはみたものの、臭みだとか手立てとかの意味は理解し得ていない。何か、食す前に準備が要るということだろうか。地下書庫でまた調べてみよう。

 食糧はそのまま口に入れることしか考えていなかったが、そういえば八朔の実は固い皮を剥く必要があったし、耕作だって収穫した植物に何か手を加えないと食べられなかったはずだ。

 『魔王』として在るには不必要な事柄なのか、生得の知識にはそれに類する情報がほとんどない。ひとまず白蜥蜴には「検討してみる」とだけ請け負って、外水路を後にした。





「食事というのは難儀なものだな。種族毎に摂取できるものが異なるし、季節によっては手に入りにくかったり、長く置くと痛んだり、食味がどうこうとか色々あるのだろう? 面倒な上に手間もかかる。それを死ぬまで繰り返さねばならないとは、みな大変だな……」


<同意:生命体にとっては言葉通り生きる糧ですから、それを自らの力で確保できるかどうかに生存がかかっているんでしょうね>


 自室で本を読みながらぼやくと、そばに立てかけていたアルトバンデゥスも薄ぼんやりとした同意を返した。

 生命活動の維持に食事を必要としないという面では、自分も思考武装具インテリジェンスアーマも同じだ。食に対しての認識の薄さもおそらく共通しているだろう。

 通常の生命は食べなければ死ぬ。自ら食糧を確保できなければ生きられない。強者が生きて弱者が死ぬのは当たり前のこと。……そんな状況の中で、脆弱な小鬼族などはよく自分が城に着くまで生き永らえたものだ。


 部屋の中央に鎮座する巨岩。その上へ敷きっぱなしの布に腰かけていたのだが、ずるずると上半身が滑るうちに半ば寝椅子でくつろぐような恰好になっていた。

 はじめは邪魔だと思っていた岩だが、こうして寄り掛かることも座ることも、寝そべることもできるから中々便利なものだ。いつか上面を削ってテーブルにしようと考えていたが、このまま使うのも有りかもしれない。


「これから城の住民が増えれば、食糧は種類も量もさらに必要となってくる。耕作地を作る他にも何か考えておかねばなるまい……森で狩り尽すのもまずいから、ええと、畜産とかか?」


<同意:肉食の種族は多いでしょうから、森でとれる獲物だけではいずれ賄いきれなくなります。特に寒さに弱い種は冬が来ると活動が鈍るため、それまでに備蓄も必要かと>


「なるほど、備蓄か。保存するために必要なものを明日調べてこよう。どうもそのあたりのことは疎いから城に書庫があって助かった」


<質問:デスタリオラ様は、今まで全く食事を口にされたことがないのですか?>


「ああ、この自我が発生してからは物を食べた記憶がない。何をせずとも役割を終えるまでは生命を維持できるようになっているのだろう。食事も、睡眠も必要としない『魔王』の体というのは、便利ではあるが何だか少しつまらないような気もするな」


 疲れも飢えも知らず、全ての耐性を備え、熱に焼かれることも寒さに凍えることもない。

 脆弱すぎて生きるのに苦労するような者たちと比べれば、遥かに恵まれた境遇ではあるが、完全を繕うゆえの欠落のようなものを感じた。

 完璧な球体の、中身が一部こぼれ落ちているような。……表面のどこにも隙がないから、もうこぼれたものを戻すこともできない。そんな空想が胸中に浮かぶ。


「その通りですわ」


 自分の言葉尻を拾うように入口から声がかけられ、手元の本を閉じた。

 あれだけきつく言いつけたばかりなのに、その日のうちにまたこの部屋へ足を踏み入れるとは一体何を考えているのやら。有用である限り自分が害されることはないという自負によるものか、それとも他の目論見でもあるのか。

 部屋の入口へ顔を向けると、長衣を引きずりながら現れた夜御前は、唇で弧を描きながら静かに微笑みを返す。


「この地の全てを自由にできる立場でありながら、デスタリオラ様は所有欲や支配欲は希薄でいらっしゃいますけれど。生命の摂理に付属する欲くらいは、お愉しみになられてもよろしいのではなくて?」


 纏わりつくような声音が空気を伝い、窓の開け放たれた室内をぬるく満たす。

 化蜘蛛アラクネルの女王はうっそりと笑んだまま、たおやかな仕草で組んでいた両手を下ろす。……と同時に、着けていた長衣が足元へ落ちた。

 天井に浮かべた光球が照らすだけの暗い室内、一糸纏わぬ白い肢体が妖しく浮かび上がる。


「たとえ食欲と睡眠欲が不要でも、欲と言えば……もうひとつございますでしょう?」


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